嵐の中の密謀
宰相と諸大臣は退出し、部屋には皇帝とシンのみが残る。
向かい合って座る二人の顔を、閉められた窓の僅かな隙間から差し込む稲光がパッと照らし、音が僅かに遅れて鼓膜を叩く。
雨は強風を伴いいよいよ勢いを増し、雨戸を叩く雨音によって二人の声はかき消されていく。
これでは扉の前で警護する近侍たちにも、一言すら聞こえはしないだろう。
「これを……」
シンが懐から差し出して皇帝に渡すのは、先のヴェルドーン峡谷のキマイラとの戦いで得た竜の首から取った鱗の一枚をお守りに加工した物だった。
「これはいったい?」
「ヴェルドーン峡谷で倒したキマイラの竜の首から取った竜の鱗のお守りだ。ギギが言うには、竜の鱗には軽い魔除けの効果があるそうで、ゴブリン族でも希少で価値が高いんだそうだ」
お守りを受け取りながら皇帝はふと思った。どうして皇子アルベルトに渡す品を自分に渡すのかと……推測から導き出された結論は一つ。シンは皇子に会えなかったのだ……いや、この場合は会わせて貰えなかったというのが正しいだろう。
皇帝にある意味で最も近く、個人的武勇に関しては帝国でも一、二を争うであろうシンを、皇妃一派は潜在的な敵とみなしたのであろうことは、この件により明白となった。
「すまぬな……お主には何かと苦労を掛ける……」
皇帝は素直に謝罪し、首を垂れる。他の家臣に対してこのような姿勢を見せた事は今までに無い。
もし仮に今の姿を廷臣たちが目にしたとすれば、多くの者がシンに対し嫉妬の感情を抱くであろう。
「気にするな、お前のせいじゃないさ。ハインリッヒ皇子にも会えはしなかったが、受け取っては貰えたよ」
第二皇妃アーデルハイトはしがない弱小子爵家の出で、実家の家計は火の車であり勢力を築くような余裕は一切無い。
実家がこの状態では子が生まれても帝位継承争いなど出来ようもなく、そこに目を付けた皇帝は実家の支援を約束することで、アーデルハイトを娶り側室とした。皇帝ともなれば、好き嫌いに関わらず多くの側室を娶らねばならぬが、アーデルハイトを始めとしてその他の側室も、実家が没落寸前だったり財政難であったりと力を持たぬ貴族家の出の者が多い。
これは正妃である皇后マルガレーテと、その実家に対し多分に配慮した結果であり、後宮に二大勢力を作り争うような事のないようにと考えた結果の事であった。
だが、この夫である皇帝の表向きはへりくだりにも似た態度が、皇后マルガレーテとその一派を増長させる結果となってしまう。
今や実家の支援もあり後宮にて逆らう者も無しの皇后に、側室たちは怯えて部屋に閉じこもるような生活が続いているという。
第二皇妃アーデルハイトが今回シンに会わず、皇子を面会させなかったのは皇后マルガレーテの怒りを買うような行為を一切控えているためであり、アーデルハイト自身はシンのハインリッヒに対する好意を感謝していた。
「クソ! これは余の失敗だな。だがしかしあの時は、当時は伯爵家であったがルードシュタット家に頼らざる得なんだ……それに、マルガとは幼少の頃より何度も公私に亘って会っていた。まさか、まさかこのような事になるとは……」
ルードシュタット家は皇后マルガレーテの実家である。今はマルガレーテが嫁いだことにより陞爵し侯爵となっている。
叔父のゲルデルン公爵が野心を露わにし簒奪を目論んだ折に、皇帝が当てにしたのがルードシュタット家であった。
中央で権勢を誇っていた有力な貴族家であり、その人脈と保有する財力、武力共に大いに期待しての事であった。
「過去には戻れぬし、過去は変えられねぇ……嘆くのは全ての事が終わってからだ。で、どうする? このままでは本当に帝国を乗っ取られちまうぞ」
「そうだな、お主の言葉は正しい。過去を悔やんでも仕方がない。マルガには……皇后には、歴史の表舞台から退場して貰う他無いだろう。だが、今すぐというわけにはいかぬ。聖戦が終わり次第、そのどさくさに紛れて一気にやるしかあるまい」
皇帝も好き好んで自分の妻を廃したいわけでは無い。それは、言葉の端々にもひしと感じられる。
「では、聖戦の時にルードシュタット家の兵を使い潰させた方がいいか?」
「いや、あからさまにそれを行えば、奴らも気が付いてしまうであろう。それにルードシュタット家は皇后の実家、余に近い位置に配さねばそれだけで疑念を抱くであろう。やはり中軍からは動かせまい」
聖戦には皇帝自ら出馬するのだ。当然、親族であるルードシュタット家も出陣せねばならない。
そこでシンは考えた。敵の手によって、ルードシュタット家の当主やそれに近い者たちを排除する事が出来ないものかと。
「では、いっその事出陣させずに帝都に留守番させるか?」
「それは余も考えたが、それでは奴らに帝都を丸々くれてやるようなものではないのか? 聖戦によって傷ついた我らと、無傷の帝都の厚い城壁に守ら奴ら……負けるとは思えぬが、下手をすれば帝都が灰燼に帰す恐れがある」
「……そうだな……すまん、浅慮だった。もしそんな事にでもなれば、周辺諸国が大人しく見てるはずも無いだろうしな。やはり帯同させる他ないか。ところで、そのルードシュタット家というのは、ハーゼ伯爵家のような武家なのか?」
ハーゼ伯爵家は、帝国創立初期からの叩き上げの武家であり、歴代の当主の積み重ねて来た武勲によって最下層の士爵家から昇り詰めて来た生粋の武家である。
「いや、違う。それどころか、現当主の……皇后の父親のギュンターめは、武芸はからっきしで軍才も無い。もし奴に軍才があれば、あの時ハーゼの代わりにカーンへと派遣しただろうな。ただ、中央に確たる人脈を持つゆえ、麾下には武家も居るので油断は出来ぬ」
それから皇帝は、ゲルデルン成敗の折に奴らは数だけで、軍事的にはクソの役にも立たなかったと悪態をついた。
「弱兵だろうが、総大将に軍才が無かろうが油断はしないが、下手すりゃまた内戦か……周辺諸国が泣いて喜ぶだろうな。で、勝ったとして皇妃とアルベルト皇子はどうなる?」
皇妃やその実家は兎も角として自分に懐き、かわいい盛りのアルベルト皇子をどうするのか?
「皇妃とは離縁するしかあるまい。アルベルトからは皇位継承権を取り上げて臣籍に落とす、といった所であろうな……」
それを聞いたシンは内心ホッとしていた。後の争いの種となりかねなアルベルト皇子を、いくら国家安寧のためとはいえ、殺すような真似を容認する事は出来ない事を自覚していた。
最悪、皇子を攫い帝国を出て何処か遠くへと旅立つ事も考えてはいたのだ。
「……そうか……何にせよ、流れる血は最小限で頼む」
これに対し皇帝はただ黙って頷くのみ。このように何が起こるかわからぬ乱世、軽はずみな約束など出来ようはずも無い。
それからは各自各々、暗殺に注意することなどを話し、ついに皇女ヘンリエッテの話になる。
「そうか、宮殿に身の置き場が無くて遠乗りや武芸に励んでいたのか……」
「うむ。あれもそろそろ嫁入りの頃合いゆえ、あまりそう言った風評を立てぬ方がいいのだが……このまま皇后一派が勢いづくと、あれの身の置き所どころか下手をすると害されかねない……」
そこまでかとシンは驚く。その驚いているシンに、皇帝はゲルデルン成敗の際にヘンリエッテを自分が何かあった際の後継者として指名したことがあるのだと語る。
勿論、今それは撤回されており、第一後継者となるのはアルベルト皇子であり、第二はハインリッヒ皇子である。
「このままでは、皇后とその実家であるルードシュタット家を恐れて、嫁に貰おうとする家も無いであろうな……余のせいで、ヘンリにまで要らぬ苦労を掛けてしまっておるわ……」
暗く沈む皇帝を前にして、シンはある閃きを思いついた。
それはありふれたものではあったが、皇帝と臣下一同、そしてヘンリエッテ本人の度胆を抜く提案であった。
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台風五号、進路の迷走具合といい、色々とヤバイです。皆さんもお気を付けて。
八月八日は葉っぱの日、日頃目を楽しませてくれている家の観葉植物に、感謝の意を捧げて追肥しようと思います。




