碧き焔、帝都に帰還す
「ふ、増えてる……何で?」
翌日、校庭でヘンリエッテを指導するために待機していたクラウスの前に、ヘンリエッテとエマを含む年頃の少女たち六人が整列していた。
あの様子だと明日もおそらく来るであろうとクラウスも予想していたのだが、まさか人数が増えるとは思いもよらず、ただただ茫然とするばかりである。
「この子たちは全員わたくしの侍女です。今日から、わたくしと一緒に訓練を受けることになりました。勿論、校長の許可は取ってありますわ」
なんと根回しの良いことか……クラウスは頭を抱えて蹲る。そんなクラウスをからかう声が、校庭のあちらこちらから聞こえて来て、クラウスは今にもこの場から逃げ出し、何もかもを放り投げ出したい気分になっていた。
はぁ、と大きな溜息をついた後、クラウスは昨日と同じ訓練メニューを行った。
女が三人集まれば姦しいと言うが、まったくをもってその通りで隙があればおしゃべりをし、その度に雷を落とさなければならないクラウスは、時間とともにこれまで味わったことの無い精神的疲労感に苛まれていった。
持久走の時に、ヘンリエッテとエマの動きが全く違う事に気が付いたクラウスは、二人に昨日は手を抜いていたのかと問いただした。
すると二人は、顔に怒りを露わにして違うと言う。では、昨日ここを出てから何をしたのかと問うと、昨日は宮殿に戻ってから筋肉が強張って歩けなくなったので、治癒士を呼んで治癒魔法を掛けて貰ったのだと言う。
なるほどと、クラウスは納得した。クラウスはシンより、人体の構造やスポーツ科学というものを少しだが学んでいた。
筋力をつけるというのは、その鍛えたい部分の筋肉を傷めつけ、それを身体が治した時に以前よりも壊れ難く強固にすることであると簡単に学んでいた。
つまり、昨日ヘンリエッテが訓練により破壊された筋組織は、治癒魔法により代謝を促進されて再生され、その際に急激な強化を引き起こしていたのだろう。
これはクラウス自身も身に覚えのあることで、迷宮に挑む前の訓練期間中に、筋肉痛を取り除くのにエリーの治癒魔法の修行がてらにそれを行っていた結果、本来よりも短い期間で筋力の増強をすることが出来た経験があった。
だがこれは運よくパーティに治癒魔法の使い手、それもかなりの実力者であるエリーがいたからこそである。
普通の者が、たかが筋肉痛ごときで治癒士を呼んでいたら、治療費で破産は免れないであろう。
それが出来るのは、碧き焔のような恵まれた環境の者たちか、財力のある者や皇族や貴族ぐらいである。
「今日も自分の限界まで走り込め。で、帰ったら必ず昨日と同じく治癒士に治療してもらえ。いいな」
その後クラウスは一切手を抜かずに少女たちをしごき抜き、訓練を終えた少女たちは文字通り這う這うの体で学校を去って行ったのであった。
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「いやー、やっぱり帝都は大きいし賑やかだなぁ! よし、今夜は久しぶりに羽根を伸ばすとしようぜ!」
街道の先、地平線に浮かぶ巨大な城塞都市であるガラント帝国の首都であるシャルロッテン・ヴァルデンベルクを見て、ハーベイのテンションは次第に高まっていく。
ここまで帝都に近付いてしまえば、もう賊や魔物の心配はない。斥候の役を終えたハーベイは、シンと並ぶようにして歩いている。
シンも馬車の前をゆっくりと歩いている。龍馬のサクラとシュヴァルツシャッテンは、鞍を背負ってはいるものの、背に人を乗せずに自由に辺りを走り回って自由を満喫していた。
「ハーベイ、帝都に着いたら宮殿に直行だぞ。まずは陛下に会わねばならん」
えっ、とハーベイが目を見開きながらシンの顔を見る。
ハーベイやハンクが、お堅い場所を苦手としているのは知っているのだが、こればっかりは我慢して貰わねばならない。
「な、なぁシン……俺とハンクは皇帝陛下と会うのは二度目なんだが……その……なぁ……」
普段快活で歯切れの良いハーベイにしては、珍しく言い辛そうに口篭もる。
「言いたいことがあるなら言ってくれ、善処はする」
「いやぁ、そのな……俺の、俺の名前のことなんだが……ほら、シンにこの前聞いた話だと、ハーベイ連合と帝国って仲が悪いんだろ? そのハーベイ連合と俺の名前、音も綴りも一緒なんだよ……それで、皇帝陛下は気を悪くするんじゃないかなと思ってな……」
しょっちゅう皇帝に会い、その素顔を知っているシンはもう忘れてしまった感覚だが、ハーベイたちにとって皇帝は雲の上の存在かつ絶対権力者である。
些細な事であってもその怒りを買うことを恐れるのは当然であった。
「心配するなよ。そんな事でどうこうするような器の小さい男が、この広い帝国を統べることが出来るかよ。何も問題はねぇさ……けど、一つ聞いていいか? どうしてハーベイって名付けられたんだ?」
ハーベイは、シンの言葉を聞き心底ホッとして顔色を普段通りの色に戻すと、自分の名前の由来を語った。
「俺の両親はハーベイ連合の出身でよ、俺が乳飲み子の時に村に行商に来たんだが、村の側で賊に襲われて俺以外皆殺しにされてしまったらしいんだ。護衛の一人が母親から赤ん坊だった俺を託され村に逃げ込んだおかげで助かったんだが、その護衛もすぐに村を去り、俺は天涯孤独の身になっちまったそうだ。当時の村長は、赤ん坊の俺を見殺しにするのは忍びないと言って引き取って育ててくれてよ、そん時にハーベイ連合から来た行商の子ってことでハーベイって名付けえられたわけさ。まぁあの村にはある意味恩義があるんだが、あのクソ村長一家の野郎どもめ、俺を奴婢のようにこき使いやがって……思い出しただけでも腸が煮えくり返るぜ!」
多分だが、ハーベイを引き取った村長は建前は慈悲を与えると言いつつ、本音はハーベイの言う通り奴婢として村の労働力にするつもりだったのだろう。
「ハーベイって名前の響きはいいし、俺自身は結構気に入ってるんだぜ」
そう言いながら笑うハーベイの肩を、俺もいい名前だと思うぜとシンは言いながら軽く叩いた。
そうこう言っている内に、城門前の混雑の列が視界に入って来る。
「こりゃ、中に入るのは午後になりそうだな……」
そう言いながら入城待ちの列の最後方に馬車を着け待っていると、城門の方から数騎の騎兵がシンたちを目掛けて掛けて来るのが見えた。
騎兵たちはシンを見つけると、下馬し礼をする。それを受けたシンは、作法に則って返礼した。
「シン殿、御無沙汰しております」
騎士は兜を取り笑顔を向けた。その騎士の名は思い出せなかったが、その顔は良く知っている。
近衛騎士の一人で、宮中で度々顔を合わせた事のある者であった。
「御役目ご苦労かな? よく今日到着するのがわかったな」
「諜報の者より知らせがまいっておりましたので……異国の使節殿も御同乗していると聞き及んでおりますれば、このような所で待たせるわけには参りません。ささ、どうぞ我らに続いてくだされ」
異国の使節とはエルフのロラとゴブリンのギギの事である。別にふたりとも使節でも何でもないのだが、宮殿に通すにはそれなりの肩書がいるために、あえて使節だということにしているのだった。
「わかった。お手数を掛けるが、よろしく頼む!」
シンは口笛を吹いて龍馬のサクラを呼び、騎乗の人となる。レオナもそれに倣い、ハーベイたち他の者も馬車に乗り込み先行する近衛騎士の後に続き、列に割り込み城門を潜った。
そのまま宮殿までどこにも寄らず直行し、宮殿の門を潜るとそこには久々に見る友の笑顔が待っていた。
「よくぞ戻った、シン!」
「只今戻りました」
下馬して皇帝の前に跪く。周囲の者たちも一様に跪く中、シンはすっくと立ち上がると、皇帝と互いに肩をたたき合い笑い合う。
臣下でも何でもない者をわざわざ皇帝が出迎えるとは、異例の事であった。
シンたちは馬と馬車を預けると、皇帝と共に応接室へと通され、そこで異例の歓待を受ける事となる。




