峡谷殲滅戦 其の一
大きな爆発音と共に、土砂と土煙がもうもうと舞い上がり、二人の身体に降り注ぐ。
シンとカイルは休憩を取り交代しながら、大地に魔法剣の技の一つ、名付けて地裂斬を撃ち込んでいた。
その名の通り、大きく抉られるような大地の傷は、覗き込んでも底が見えない程深くまで及んでいる。
「よし、これくらいでいいだろう。これ以上やると、敵が来る前に崩れ落ちるかもしれん」
シンの声を聞いたカイルは、自身に降り積もった土砂を犬が身震いするように、体全体を震わせ振り払う。
孤児たちを見送った翌日に、ビルゼンスの街を発ったシン率いる冒険者パーティ碧き焔は、ヴェルドーン峡谷近くの国境沿いに設けられた野営地にて新設された部隊と合流した。
既に部隊の大多数がヴェルドーン峡谷に先行しており、敵を仕留めるための下準備を始めている。
今までは身動きが取りやすいように、総兵力二百未満に押さえて来たが、諜報や影などの情報収集のおかげで、敵は国境警備の兵力まで南方の戦線に投じていることがわかり、敵の警戒網を気にする必要が無いと考えたシンは、今までの五倍以上の兵力を以って今回の作戦にあたることにした。
いくら身を隠すところが豊富な峡谷といえども、一千の兵を隠しきれるかどうかの不安はあったが、ここでも例の迷彩布が大いに役立つ結果となった。
シンたちが身を隠すヴェルドーン峡谷は、大昔の川が干上がって出来たもので、奥に進めば進むほどに谷は深く幅が狭くなっている。
馬車がギリギリ通れなそうな谷幅の崖の上に、シンとカイルは地裂斬を撃ち込み何時でも崩せるように工作していた。
また峡谷の上には、上から落とす落石用の石や矢筒、油の入った樽などが置かれ上から迷彩布を被せられて巧妙にカモフラージュされていた。
「後は敵が来るのを待つだけだな。カイル、敵が来たら打ち合わせ通りにやれ……敵の兵が半分以上過ぎてから、峡谷を崩して敵の退路を断ってくれ。崩した後は後方へ速やかに後退、エリーたち後方部隊の援護にあたってくれ」
「わかりました。師匠、ご武運を……」
二人は互いの土まみれの黒い顔を見て同時に吹き出す。
「これが最後の作戦だ。情報によると敵の兵力は二千から三千……これを打ち破れば、余程の阿呆でもない限り、次は万余の兵を送り込んで本格的に殲滅しようとするだろう。まぁそれだけの兵力を前線から抽出すれば、侵攻も鈍くなるだろう。最低でも半年くらいは時間が稼げるだろうよ。その貴重な半年の間に、帝国は戦の準備をこれまで以上に大急ぎで進めて行かないとな……」
そう言うシンの横顔を見たカイルは、突如襲い来る震えを堪えかねて全身を震わせた。
その震えが武者震いなのか、それともシンの異質さに触れたからなのかは判断がつかない。
――――師匠は勝つ。例え敵がどれ程の大軍であろうと、師匠は必ず勝つに違いない……いったい師匠はどういう事をどれだけ学んで育って来たのだろうか? この帝国……いや、大陸には無い剣術といい、エルフの賢者ゾルターンですら及びもつかないような、独自の魔法理論といい、更には政治経済、そして兵法にも明るいなんて……大陸中を探しても類を見ない多才さといい、師匠は本当に何者なのだろうか?
もしシンにカイルの心の声が聞こえていたとしたならば、シンは顔を真っ赤にしてその全てを否定し、最後には穴を掘って身を隠したに違いない。
これは単なる教育の賜物であって、資質の問題では無いと必死になって説明しただろう。
シンが数学に強く、政治経済に明るいとされているのは全部、日本の義務教育のおかげである。
魔法理論は義務教育に加え、この惑星の管理AIのハルに学んだことであり、兵法などは趣味の読書から得た知識を流用しているに過ぎないのだ。
今回のこの作戦も、三国志演義の諸葛亮の南蛮征伐を、そっくりそのまま拝借しただけに過ぎない。
「よし、じゃあ俺は敵を釣りに出るとするか」
シンは兵より手渡された手ぬぐいで黒く汚れた顔を拭うと、木彫りの髑髏の仮面を被る。
騎兵百騎を引き連れたシンは、峡谷へと続く足跡を付けながら街道をワザと人目につくように走った。
それぞれの村や街に潜む影たちも、髑髏の騎士の一党がヴェルドーン峡谷付近で度々目撃されているとの噂を流して回った。
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頭上から降り注ぐ太陽の日差しと、それによって温められた地面から立ち上る熱気の中、助けを求める悲痛な兵の声とそれに続く断末魔が、このトンプ湿地帯に響き渡っていた。
「またか! ええい、直ぐに救助に向かえ!」
そう指揮官が部下に怒鳴り散らすのを、シラー将軍は床几に腰を掛けて蜂蜜水を啜りながら眺めている。
シラー将軍率いるラ・ロシュエル王国軍がこのトンプ湿地帯に来たのは今より三日前。
まだ湿地帯に賊が潜んでいるかもしれないと、湿地帯の捜索を命じたものの、索敵に出した者の半数は戻って来ずに、いたずらに時間と兵力を損ねるだけの結果となっていた。
また、このトンプ湿地帯は陸と見分けのつかない泥沼だけでなく、たちの悪いことに前回の戦いで命を落とした者たちがアンデッド化し、泥の中から足を掴んで引きずり込まれるという被害が多発していた。
マッドゾンビと名付けられた泥まみれのゾンビたちに兵は怯え、士気は上がらず、中には脱走を試みる者さえ出始める始末であった。
「将軍、これ以上の捜索はいたずらに兵を損ねるだけです。ここは最寄りの街へ一度兵を退き、更なる情報の収集に努めるべきであると愚考いたしますが……」
シラー将軍自身、この任務にはあまり乗り気では無い。国王に命じられたから仕方なしにやっているだけである。
「わかった。卿の意見に従おう。最寄りの街と言うと、何処だ?」
「ル・ケルワという街が、ここいら一帯で一番栄えている街でありますれば、そこにて賊の動向を御探りになるとよろしいでしょう」
「あいわかった。直ちに兵を纏めよ。その、何だ……ル・なんとやらとかいう街へ向かうぞ。ここは、蒸し暑くて敵わん。賊が見当たらぬのであれば、このような場所に用は無いわ」
ぐびりと蜂蜜水を喉に流し込むと、グラスを小姓へと渡してお代わりを要求する。
拭っても拭っても吹き出す汗に、顔を顰めながらシラー将軍はトンプ湿地帯からの撤兵を急がせた。
湿地帯から兵を退き、ル・ケルワの街へと着いたシラー将軍は、驚く程あっさりと例の髑髏の騎士率いる一党の情報を得ることが出来た。
最初は、あまりにも簡単に情報を得たことを訝しんだが、実際に目撃をした者が多数おり、近隣の村へと派遣した兵たちも、みな同じような情報を持ち帰って来たことによってこの情報を信じて、ヴェルドーン峡谷へと兵を進めることに決定した。
「王都が恋しいわい。このような何もない辺境では、酒も女も碌なものが居らぬわ」
シラーは一人ごちるが、それを聞いた周りの者たちも、それに同意した。
斥候から、峡谷の方へ続く道に多数の騎馬が通ったと思われる痕跡があると聞いたシラーは、さっさとこの面倒な任務を終わらせるべく、足跡を辿るようにと全軍に命を下す。
目撃情報といい今回の足跡といい、あまりにも次々にあっさりと尻尾を出した敵に、部下の一人が罠ではないかと進言するが、さっさと任務を終えて王都へと帰還したいシラーは、その進言を一蹴した。
「馬鹿め、何を恐れておる! 敵はただの賊だぞ……ペグーの愚か者が後れを取ったのは、あの湿地であればこそ。泥沼に足を取られさえしなければ、我ら王国軍がたかが賊ごときに後れを取るはずもあるまい。それにわが軍は前回の三倍の三千、敵はたかだか二百と言うではないか! 罠があろうと無かろうと、この兵力差であれば恐れるに足らぬではないか!」
実際には湿地帯で百人近い損害を既に出していたのだが、それでも兵数二千九百余り……シラー将軍どころか、指揮官から一兵卒に至るまで、ある程度の損害は出ても負けるとは露ほども思ってはいなかった。
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三国志演義の南蛮勢では、兀突骨が一番好きです。
字面からして蛮族っぽくていいですよね。
 




