ギギの敵討ち
ラ・ロシュエル王国北部辺境区のアルドワ男爵家に集まった貴族たちは、結局の所掛かる事態に対し、然したる有効な手立ても無いまま解散せざるを得なかった。
現状で出来る事と言えば、国王と創生教に嘆願書を出す事と、お互いの連絡を密にする事、家族を王都に逃がす事ぐらいしかない。
だが、一方でシンもこの状態に困惑していた。
「敵の国王の考えが読めない。亜人の諸部族と南方の小国家群を同時に攻めている時点で、軍事的なセンスは皆無だとわかったが……まいったな、動きが素人過ぎてかえってわからないぞ……」
兵力分散の愚を犯している時点で、シンのラ・ロシュエル王国の国王および麾下の将帥の評価は低い。
だが油断は出来ない。有能な将帥が居ても今は国王に押さえつけられているだけなのかもしれない。
「なぁ、もしシンがラ・ロシュエルの国王だったらどうした?」
ハンクが好奇心丸出しの質問に、シンは苦笑いをしながら答える。
傍に居るカイルやハーベイ、幾人かの部隊長たち、そして老賢者のゾルターンまでもが興味深そうにこちらを窺っている。
「そうだなぁ……俺がもしラ・ロシュエルの全軍の指揮権があるとするならば、まぁ亜人たちは攻めずに放って置くね。領土的野心を持つ部族にだけ抑えの兵を置いて、残りの全軍をもって南方の小国家群の中で一番大きい国を出来る限り早く攻略する。その後は他の国を軍事力をチラつかせて脅し、従わない国だけ滅ぼせばいい。亜人たちはそれが終わってから攻め込む。亜人たちに攻め込む時には、属国になった国たちに先鋒をやらせ、本国の戦力は温存。こうすることによって、属国の力を削ぎつつ亜人たちの戦力も消耗させることが出来るだろう。兎に角、今のラ・ロシュエルは何を焦っているのかあちこちに手を出し過ぎだぜ。あれじゃ、どこの戦線においても決定打が打てずに、ズルズルと消耗するばかりだ。まぁ、そっちの方が帝国にはありがたいんだが……」
「若さに似つかわしくない見事な見識じゃな……シン、お主は本当はいくつじゃ? 儂より年上じゃなかろうの?」
そうゾルターンが茶化すと、周囲からも笑い声が上がった。
ここまでシン率いる不死隊は連戦連勝の負け知らず。敵の数が少なく弱いと言えばそれまでだが、どんなに小さな勝利でも勝利は勝利、部隊の士気は否が応にも上がっていく。
無論実戦であるからには死傷者は出る。これまでに十二名が戦死し、多数の負傷者が出ている。
欠員が出ても帝国に戻る度に埋められ、常に最初と同じ百七十名を保っている。
「これほどまでに敵の抵抗が少なく、動きが鈍いとは思わなかった。作戦を前倒しにするか……よし、次の目標はフォア士爵家……ギギの仲間の敵討ちに行く。最初に言っておくが、殺すのは抵抗する者のみ。無抵抗の者や女子供には絶対に手を出すな。俺たちは身形は賊そのものだが、心まで賊になりきるつもりは無いからな。後、フォア士爵は、ギギの獲物だから手を出すなよ」
次の目標は決まった。本来ならば、追討軍を打ち破ってその間隙を突いて行う計画であったが、北部辺境区全体の敵兵力が少ない事と、その敵兵たちの士気がおしなべて低い事を考慮した結果、追討軍が派遣される前にカタを付けてしまう事にした。
ギギの敵討ちを優先するために先にフォア士爵家を襲い、帰りがけに荘園を襲う事にする。
――――それにしても、南方の戦線から戦力を呼び戻したくて暴れ回っているのに全くの無視とは、ラ・ロシュエルは北部辺境区を見捨てるつもりなのだろうか? もしそうだとすると、悪手極まりないぞ。国王と貴族たちの間に埋められない溝が出来ることになる。そこに付け入る隙はないだろうか?
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不死隊の進むところ、まさに無人の野を行くが如し。最近では、髑髏の旗を見ただけで敵は剣を交える事無く逃げ散って行く。
――――何故だ? 幾ら何でも戦意が低すぎる。何をそんなに怯えているのか? あっ、まさか俺の正体がバレたんじゃないだろうな? だとすると拙いぞ……表向きは帝国を首になって無位無官の身だが、これだけ派手に暴れてりゃどんなアホでも帝国の策謀だと気が付いちまう。ただ不死隊の精強さに恐れてをなしているのであれば良いのだけれど……
髑髏の仮面を被っている自分が、伝説の魔物であるリッチだと思われているとは露知らずにいるシンは、敵の不可解な動きに対し、より慎重にならざるを得ない。
そんなシンの指揮ぶりに、戦意が高まっている不死隊の中から、些か慎重にも度が過ぎているのではないかとの声も上がり始めていた。
シンは表向きは、ここは帝国内では無く敵国内なのだからこそ、慎重になるべきだと部隊を抑えていたが、実際には敵のあまりにも不可解な動きに戸惑っていたに過ぎなかった。
ともあれ、南方の戦線から戦力を呼び戻させねばならない事には話にならないので、ギギの敵討ちも兼ねて敵貴族の居館を攻め落として挑発してみることにした。
幾つかの村を束ねるだけのしがない小貴族であるフォア士爵の居館は、マルセーという村の中央に建っていた。
村の周囲には申し訳程度の柵が張り巡らされているだけで、とりわけ厳重な警備体制が敷かれているという訳でもない。
それもそのはず、貴族位の最底辺である士爵家で、更に辺境区の外れに位置する貴族とは名ばかりの貧乏貴族に十分な警備体制を敷く余裕などは無い。
村の入り口を守る数名の兵士は、馬蹄を鳴らしながら迫り来る髑髏の騎士とたなびく旗を見ると、持ち場を放り出して我先にと逃げ散って行く。
「逃げる者に構うな! 目標はフォア士爵かそれに類する者たちだ。もう一度言うが、村人や女子供に手を出すなよ、もし手を出したりでもしたら俺がその場で叩き斬るからな!」
シンはこれまでの戦いにおいても、民への暴行や虐殺を許さなかった。抵抗する者や敵将兵は仕方がないが、それ以外の者たちには指一本触れることすらも許さぬと言い渡していた。
その分、兵たちには酒や嗜好品を多く与え、臨時のボーナスなどを出したりするなどの配慮を重ねている。
今回もシンたち不死隊は、逃げ惑う村人には一切目もくれずに、フォア士爵の居館目掛けて殺到する。
馬を降りこぢんまりとした館のドアを蹴破り中へと侵入するが、中には騎士が数名と兵が十人ほどが居るのみであった。
敵はテーブルや椅子などをバリケードにして果敢に抵抗を試みるも衆寡敵せず、左程の時間を掛けずに制圧する事が出来た。
「貴様が、フォア士爵か?」
屈強な兵に取り押さえられている、若い青年は顔を青くしながら頷いた。
「な、何が目的だ? 金なら払う、この館にある物は全て持って行っても良い、足りなければ村の者たちを好きにして良い。だから、命だけは……どうか、どうか!」
フォア士爵を捕まえては見たものの、どうするかまでは決めていなかったシンだが、士爵の村人に対する一片の情も無い言葉を聞いて、僅かな憐れみの心さえもどこかへと消え去って行った。
「このゴブリンに見覚えはあるか? 当然あるだろう? 貴様が以前に無理やりに捕え、奴隷として売り渡した者なのだからな。このゴブリンの戦士は貴様に受けた屈辱晴らし、仲間の仇を討ちたいそうだ」
シンがフォア士爵を取り押さえている兵たちに目配せをすると、士爵を突き放すようにして解放した。
つんのめるように地面に両手をついた士爵は、すかさず身を翻して逃走を図ろうとする。
だがシンとギギ、そして士爵を武器を構えた兵が十重二十重と取り囲んでいるのを知ると、再び地面に手をついて必死に許しを乞うた。
見苦しく命乞いをする士爵の目の前に、剣を一本抜き身のまま放り投げる。
ひぃと短い悲鳴を上げた士爵は、髑髏の仮面を被るシンと地面に転がる剣を交互に見た。
「このゴブリンの戦士は、貴様との決闘を望んでいる。もし貴様が勝ったのならば命を助け、我らはこの場から去る事を約束しよう」
士爵は恐る恐る剣へと手を伸ばしながら、周りの様子を窺う。
周囲は完全に囲まれておりどこにも逃げ場が無いと知ると、剣を手に取り立ち上がった。
「ほ、本当に本当だろうな、勝てば見逃してくれるというのは……」
震える声で何度も念押しをしてくるフォア士爵に対し、シンは二言は無いと言ってそれ以降は口を開かず沈黙を保った。
ようやく覚悟を決めたのか、フォア士爵は二度三度と剣を素振りすると、ギギと相対して腰を僅かに落とし構えた。
それに対しギギは、鋭い犬歯を剥きだしにして笑った後、腰から山刀を抜くと今まで聞いたことの無いような声で雄叫びを上げた。
「ひ、ひぃぃぃ」
ギギの雄叫びに度胆を抜かれてしまったフォア士爵は動揺し、その動揺は剣先に現れて小刻みに上下左右、不規則に揺れていた。
ギギは雄叫びを上げた時とはうって変わり、呼吸音も聞き取れない程に静かにゆっくりと動き、ジリジリと間合いを詰めていく。
それに対しフォア士爵は、剣先が先程より大きく揺れ、顔を見れば歯の根が合わぬ程にガチガチと音を立てながら震えている。
フォア士爵の持つ震える剣先とギギの山刀が触れ合い、小さな澄んだ音を立てた瞬間、ギギはまるで地面を這うように姿勢を低くしながら踏み込み、士爵の脚を真一文字に薙ぎ払った。
そのギギの攻撃を、避けるどころか全く反応出来ずに左の太腿を切り裂かれたフォア士爵は、無様にも転げ、転がってから自分の太腿が斬られたことを知り悲鳴を上げようとする。
だがその悲鳴を上げるよりも早くギギの第二撃が放たれ、士爵の生っ白い首筋に赤い線が一本描きだされる。
なおも悲鳴を上げようとするフォア士爵の口からは声は出ず、首筋から鮮血を吹き散らし、斬り裂かれた気管からぴぃと縦笛のような音がこぼれ出す。
フォア士爵はすぐさま剣から手を離して片手で懸命に首筋を抑えるが、抑えた指の隙間から溢れ出す血は士爵の着る貴族服に吸われていく。
既に目の焦点が合っていない士爵は、口を金魚のようにパクパクと開閉した後で苦悶の表情のまま息絶えた。
ギギは倒れた士爵の首筋に山刀を打ち込み首を刎ねると、真っ赤な血に汚れたブロンドの髪を掴み、まだ血の滴る首を高々と持ち上げ、勝利の雄叫びを上げた。
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