怒り
左翼に現れた大男雄叫びを上げると猛烈な勢いで雑兵を蹴散らし、指揮官の騎士ガーニーに襲いかかる。
ガーニーは勇敢にも立ち向かうが、力の差は歴然としており剣を交えて三合目にはもう攻撃を捌ききれずに血しぶきを上げて地に沈んだ。
「……ザギル・ゴジンだ…………」
小さな呟きが恐怖と共に味方に伝播していく。
左翼部隊だけでなく味方全体が恐慌状態に陥ってしまう。
味方が怯え竦む中ただ一人闘志を燃やす者がいた、そうシオンである。
「見つけた!」
小さく呟くと懐から小瓶を取出し、中身を父親の形見のショートソードに振りかける。
ちらりと一瞬シンを見つめ何か呟いた後、ザギル・ゴジン目掛けて敵の間をまるですばしっこい狐のように縫って走り抜けて行った。
シンは慌てて叫び止めに入ろうとするが、次々に敵が打ち掛かってくるので身動きが取れない。
それでも大声を上げてシオンを呼び戻そうとするが、シオンの耳には届いていないのか、もしくはあえて無視しているのかその歩みを止めようとはしない。
それどころか益々スピードを上げ、ザギル・ゴジンに近づいて行く。
「よせ、シオン! 戻れ! お前が勝てる相手ではないぞ、よせ!」
シンは敵を蹴散らしながら必死に叫び、シオンの後を追おうとするが敵が次々に掛かって来てその差は広がるばかりである。
奴がシオンの家族と村の仇だとしても勝てようはずがない。
何としても止めなければ!
シンは焦る、焦るがあまり攻撃が単調になってしまい敵を打ち破ることが出来ない。
今まで味わったことのないストレスに晒され、精神がささくれ立つ。
「どけぇ、邪魔だぁ、邪魔だってんだろぉが!」
体内でマナを循環させブーストの魔法を無意識の内に使い敵を槍の横凪で吹き飛ばす。
だが遅かった、既にシオンがザギル・ゴジンの前に到達しており誰もが怖れをなす巨人に猛然と突っ込んで行った。
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「見つけた!」
私は無意識の内に呟いていた。
忘れるはずもない。
あの巨体とあの巨大な剣……父の母の姉の……村人たちの仇を!
懐から小瓶を取出しオバケイラクサの毒を父の形見のショートソードに振りかけていく。
あの化け物に勝てないのはわかっている。
だがこの剣で一撃与えれば毒で殺せるはず、即死はせずとも毒が体を蝕みやがて死ぬだろう。
一撃でいい、一撃さえ与えられればこの命惜しくは無い。
父さん、母さん、姉さん、みんな……私に力を貸して頂戴、お願い……
チラリとシンを見る。
この国では珍しい黒い髪、アイスブルーの澄んだ瞳、厳つい表情……歳がまだ十七で私のたった三つ上だと聞いた時は思わず吹き出してしまった。
私の事を皆に黙っていてくれてありがとう、剣を教えてくれてありがとう、戦いでもいつもかばってくれてありがとう。
もしこんな出会いでなければ……
「シン、ありがとう……さようなら」
もう迷いは無い。
後は行くだけ……敵の間を縫って走る、小柄な私だから出来る事。
吹っ切れたせいか体のキレがいい、いける! いけるわ!
目の前に巨大な化け物が現れる、大きい……化け物は私を見て一瞬目を細めた後、口を開けて笑い出した。
馬鹿にして……油断するがいい、今に目に物を見せてやるわ!
巨大な剣と私の持つショートソードでは話にならないリーチの差がある。
最低でも一度は攻撃を掻い潜る必要がある……シンとやった練習を思い出す。
シンは私の身を案じてこの数日、攻撃を避けたり掻い潜ったりする練習ばかりさせた、それが今ここで活きる。
ああ、シン……あなたに会えたのは私の最後の幸運、見ていて! 私がやり遂げるところを!
私はおそらく死ぬわ、私は仇を討てればそれで満足なの……だから悲しまないでねシン。
たった半月一緒にいただけの人間なんてすぐに忘れて……
私は化け物に猛然と突っ込む、巨大な剣が唸りを上げて左から右に横凪に襲いかかって来た。
この速さなら躱せる!
姿勢をこれでもかというくらい低く、低く、まるで地を這うように倒しながら肉薄する。
突然目の前に黒い塊が現れる、全てがスローモーションのように……時間がゆっくりと流れる。
拳だ! 化け物は右手一本で巨大な剣を振るったのだ、だから私が躱せる速さだったのだ。
いや、これは誘い込まれたのだ、ワザとギリギリ私が躱せる速度で剣を振って自分の元に呼び込んだのだ。
途轍もない衝撃が全身に走る、だが夢中で振るった剣が拳を握った左手の甲を浅くだが切り裂いたのを見た。
やった! やったよ! 父さん、母さん、姉さん、みんな……シン……私、あの化け物を倒したよ。みんなの仇を取ったよ!
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シンが目の前に立ちふさがる敵をブーストを掛けた槍の横凪で吹き飛ばして、シオンを探すと既にシオンはザギル・ゴジンと対峙していた。
慌てて駆け寄ろうとするが、一騎打ちの邪魔はさせじとばかりに敵が立ちふさがる。
シンは苛立ちながら敵を強引に打ち倒したその時には、シオンがグレートソードの左から右への横凪を掻い潜ってザギル・ゴジンの懐に飛び込もうとしている姿が目に映る。
次の瞬間、左手の猛烈なアッパーを喰らいシオンが空中に吹き飛ばされる。
今度は右から左への横凪の追い討ちがシオンに襲いかかった。
シンは届くはずの無い手を伸ばし叫ぶ、シオンの胴をグレートソードが真っ二つに切り裂く。
内臓と鮮血を撒き散らしながら二つに分かれた体が地に落ちた。
「シオーーーーーン!」
プツンと頭の中で何かが切れるような音が聞こえた気がする。
ザギル・ゴジンが傷ついた左手の甲を舌で舐め
「どぐが、ぎがん、ぎがんわ、おでにどぐなどぎがんわ、ごんなものでおでをだおすづもりだどはわらわぜるわ」
濁声だが良く通る声で大口を開け高笑いをする。
またしてもシンの頭の中で何かが切れる音がした。
「黙れ……黙れってんだよ、木偶の坊が、臭い口を開けて笑ってんじゃねぇよ……」
シンの右手にもつ槍、ブラッディー・ブリーズにマナが流れ込んでいく。
裂帛の気合いと共にブラッディー・ブリーズをザギル・ゴジン目掛けて思いっきり投擲する、穂先の部分が渦を巻き空気を切り裂く音をさせて驚くべき速度で飛んでいく。
誰もが討ち取ったと思ったが、ザギル・ゴジンは恐るべき速さでグレートソード、死の旋風を振るい迫り来るブラッディー・ブリーズを撃ち落とす。
魔法武器と魔法武器がぶつかり合い一瞬激しい火花が散ると、ブラッディー・ブリーズの穂先が砕け散った。
砕け散った破片がザギル・ゴジンを襲いあちこちに刺さるが、まるで痛みを感じないかのごとくニヤリと口元を綻ばせる。
シンの身体に戦慄が走る、ブラッディー・ブリーズを失ったことよりも死の旋風を振るスピードにである。
あの巨剣を一太刀でも浴びればそれは即、死に繋がる。
全部躱さなければいけない、受ければ騎士ガーニーのように剣ごと斬られるのは目に見えている。
どう戦う? どうすれば勝てる? どうしたらシオンの仇が討てる?
ブーストの魔法を維持しながら戦えばなんとか躱せるだろう、だがマナがもし底を着いたらおしまいだ。
長期戦は不利だ、短期決戦で行くしかない。
だが身長差があり過ぎて首や頭が狙えない…………なんとか奴を屈ませないと……よし、覚悟を決めた! シオン見てろよ、必ず仇を討つ!
シンがマナを全身に巡らすと身体から湯気のような、いや陽炎のようなオーラが微かに立ち上り始める。
アイスブルーの瞳は徐々に黒く変化しさらに今度は紅く爛々と輝き始めた。
腰に履いた愛刀、天国丸をゆっくりと抜き正眼に構える。
「覚悟しろ、クソ野郎……その首叩き落としてやる!」
ザギル・ゴジンはグレートソードの死の旋風を右手で肩に担ぎ、左手で手招きをして挑発する。
辺りは二人の一騎打ちを見守り一時的に交戦が止む。
不気味な静けさが漂う中、常軌を逸した戦いが始まろうとしていた。
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