髑髏の騎士
「皆揃ったようだな……では、始めるとしよう」
十組は相対出来る食堂の長大なテーブルに五組と一名が席に着く。
テーブルの上に置かれたティーカップから漂って来る高級茶葉の香りが、着席した貴族たちの鼻腔に飛び込み、飲む前からその味を連想させ楽しませてくれる。
ここはラ・ロシュエル王国北部辺境区のリール―地方にあるアルドワ男爵の居館にある食堂である。
アルドワ男爵家は、このラ・ロシュエル王国北部辺境区の最北端であるリール―地方で一番大きな貴族家であり、周辺の準男爵家や子爵家の取りまとめ役を代々仰せつかっている。
「本日集まって貰ったのは他でも無い、この北部辺境区を荒らしまわる賊どもについてだ……」
一人上座について議長役をするのは、この家の前当主であるボルヌ・アルドワ。
ボルヌ・アルドワは今年で六十八歳になる老人で、十年前に息子に当主の座を譲り渡して隠居していた。
だが当主となった息子が、南方の戦に召集されてしまい仕方なしに楽隠居を楽しんでいた別館を出て本館に移り、留守中の指揮を預かることとなった。
この場に集まっている貴族家の大半は同じような理由で隠居した前当主の老人、あるいは次の当主である若者であった。
その集まった老いも若きも、賊という言葉に深い溜息をついた。
「複数の賊が暴れ回っておる。先月と今月の二ヶ月で、村が三つ、関所が十二、荘園が二ヶ所、あと他にも創生教の運営する荘園が二つ襲われ、甚大なる被害が出ておる」
この内、シン率いる不死隊が襲ったのは関所が十一ヶ所、荘園二ヶ所、創生教の荘園二ヶ所である。
三つの村と関所一つは、不死隊が関所を潰して歩いたことにより、行動により自由を得て活気づいた賊どもが襲ったものであった。
一人の若い士爵が、直ちに賊どもを捕捉撃滅すべしと勇ましく吠えた。
それに対する老貴族たちの視線は冷たい。口にこそ出さぬが、現実も見えぬ青二才がと、その若い貴族を蔑む雰囲気が食堂を支配する。
「どの家も兵が足りぬ。足りぬどころでは無くほぼ居らぬのだ。それでどうやって討伐の軍を出すというのか……それもこれも陛下が領軍はおろか、我らが共同で出していた国境警備の兵たちまで根こそぎ徴発したせいであろう!」
自分の運営する荘園を襲われた老貴族の一人が、拳をテーブルに叩きつけながら国王の批判にはしる。
「これ、口を慎まれよ!」
複数の貴族が慌てて激昂する老貴族を嗜めるが、その老貴族の怒りは収まらずに、返って火に油を注ぐ結果となった。
「これが言わずに居られるものか! この賊どもの正体、卿らも薄々は感づいておろう。そう、この賊どもは陛下が奴隷商人達を焚きつけて帝国へと送り込ませた傭兵どもだ! その傭兵どもが本腰を入れた帝国軍に敗れ王国に逃げ帰り悪さをしているのだ!」
「こ、これ、何もそうと決まった訳ではあるまい。もし、そうだとしたらその傭兵どもと話し合いの余地も生まれるというものである」
この場合の話し合いとは、金銭を渡して見逃して貰う、あるいはその傭兵を雇ってしまうという意味である。
この言葉に今度は別の貴族がいきり立ち、怒声を上げた。
「話し合い? 話し合いだと! 我らの何処にそのような金があるというのだ! 相次ぐ戦争により嵩んだ戦費、労働力まで根こそぎ兵として取られてしまった我らは、この年の冬を越せるかどうかも怪しいぐらいなのだぞ! それを、それなのに陛下は……つい先日更なる派兵を要求して来おったわ!」
「では、どうすると言うのです? このまま賊どもを言いように暴れさせておくのですか?」
「そうは言わぬ、そうは言わぬが現状打つ手が無いのが事実である」
満座に深い失望の溜息が漏れる。折角の高級茶も、誰も一口すら口を付けぬままに冷め切ってしまっていた。
「取り敢えず、この現状を前線に居る家の者たちには知らせてある。あと出来ることは、この場に居る全員の連名で陛下に嘆願書を出す事ぐらいしかないだろう。それよりも一つ気になる噂があってな……」
ボルヌ・アルドワの顔色が見る見る内に悪くなっていくのを、集まった貴族たちは不安げに見守る。
「何です? その気になる噂とは?」
「それが……創生教の荘園を襲ったのは賊ではなく、魔物だと言うのだ……」
「狼や猪、もしくは熊ですか? その程度なら荘園の守備兵でも手こずる事も無く倒せそうなものですが……」
ボルヌ・アルドワはその言葉に首を振った。
「狼や熊では無い? では一体何が?」
「荘園から逃げて来た者が言うには、不吉な髑髏の旗を立て、巨大な剣を軽々と振るう恐ろしい髑髏の騎士であると。しかもその髑髏の騎士はゴブリンや亜人を従えていたと言うのだ……」
一同は絶句した。賊だけでも対応不可能で頭を痛めているのに、さらに怪しげな者まで現れるとは……
「見間違いでは? 亜人どもは兎も角、髑髏の騎士とゴブリンとは大袈裟な。大方逃げてバツが悪くなったので嘘をついただけなのでは?」
「……それが複数の証言、それも創生教の運営する荘園二ヶ所共に同じ証言があっても、卿は嘘だと思うか? しかもその髑髏の騎士は人語を話し、その上誰も見た事も無いような強力な魔法を使うと言うのだ」
今度は一同騒然とする。魔法は使い手次第ではあるが、未熟な魔導士でも兵数人分の働きをする。
それが熟練者ならば、数十人、数百人分の戦力として計算しなければならない。
「じょ、冗談では無い! そのような化け物がなぜこの地方に現れたのか! しかもよりによって将兵が出払っているこの時期に!」
一人の老貴族が、その身をカタカタと震わせながら呟いた……リッチだと。
その言葉を聞いた全員が、見る見る顔を青ざめさせていく。
「リ、リッチだと……馬鹿な! 伝説やお伽話に出て来る巨悪ではないか! ただのスケルトンの見間違えだ、そうに決まっている!」
「じゃが、人語を話し、魔法を使うスケルトンなど居らぬぞ! それにリッチであれば、ゴブリンが付き従っているのにも合点がいくではないか!」
「賊どころの騒ぎでは無いぞ……そうだ教団に、教団にこの話を伝えて聖騎士団を派遣して貰おう。そうしよう。そうするほかない」
賛同する声が上がる中、議長役を務めるボルヌ・アルドワは絶望の表情で首を横に振った。
「もう既に話は教団本部へと伝えられたそうだ。だが、本部はこの話を与太話として相手にもしてくれなかったと言う。よしんば話が通ったとしても、聖騎士団もまた南方にありどうする事もできないであろう」
今度は複数の老貴族たちが激昂し、拳をテーブルに叩きつけた。
「寄進ばかりせびりおって、一大事の時には何の役にも立たぬとは! この事を陛下はご存じなのか?」
「教団を通じて耳になされたが、南方ではもっぱら笑い話とされているらしい」
一同の顔色が落胆から絶望へと変わる。
「しかし、伝説の魔物であるリッチは、数ある荘園の中から何故、創生教の荘園を?」
「不死者であるリッチ、生ある者を守護する神に対する反逆であろう」
「その……リッチだが、生き残りの証言では荘園で働く奴隷たちを生きたまま連れ去ったと言うのだ」
「何故? 伝承にあるリッチとは不死者たちの頂点に君臨し、生きとし生ける者を憎む存在。それが、何故奴隷どもを攫うのか?」
それに対しては憶測に過ぎぬが……とボルヌ・アルドワは前置きをし自論を述べる。
「リッチに付き従っているのはゴブリンや亜人だけでは無いと言うのだ。儂が考えるに、リッチは何らかの方法で奴隷たちを自分の意のままに操る兵としているのではないだろうか? それか、どこかに根拠地を築くための労働力を欲しているのかも知れん」
ボルヌ・アルドワの話を聞いた貴族たちは最早、これ以上何を聞いても驚くことは無かった。
賊だけでも手に余るのに、この上伝説の魔物までも現れたとなれば、滅亡する他はあるまいと全てを諦めてしまっていたのだった。
夜、ベランダで洗濯物を干している僅か数分の間に、六カ所も蚊に喰われてしまった。
蚊許すべからず! 次からは携帯型蚊取り線香を用意してベランダに出ることにします。




