正義無き世界
獣人の少女を助けたハーベイは、情が湧いてしまったようで、移動中にもこまめに様子を見に来たり、食事を運んだりと甲斐甲斐しく世話をした。
最初は警戒していた少女も、ハーベイが自分は帝国の出身だと言うと、少しずつではあるが警戒を解き、顔を合わせると二、三言葉を交わすようになった。
少女の名はスーラ。虎猫族の出身で両親は狩人を生業としていたが、ラ・ロシュエル王国の侵略により両親は殺され、自分は捕まって奴隷にされたと言う。
「なぁ、シン……助けた人たちの事なんだが、戻る場所の無い人たちはどうするつもりなんだ?」
ハーベイが助けた少女を親身になって世話をしていることをシンは知っていた。
助け、世話をしている内に情が湧いたのだろう、実にハーベイらしいとシンは思う。
「本人の希望にもよるが、働く場所は国が用意してある。勿論、奴隷としてでは無いぞ。給金もきちんと支払われるし、気に入らなかったらいつ辞めてもいい。だが、帝国の民となるのだからそこを辞めても税は払って貰わねばならないが……まぁ、気に入らなくて辞めるにしても小銭を貯めてからにした方がいいな」
「仕事って、どんな仕事なんだ? 危険な仕事なのか?」
「いや、普通の農耕や綿花の栽培、および綿花の加工などを予定している。軍事教練を受けて、それらを害獣や侵略者から守る衛士というのもあるが……」
「そうか、幾つか選択肢も用意されているんだな。安心したぜ……なぁ、俺たちがやっていること、これからやろうとしていることは正義に基づいた、正しいことなんだよな?」
難解極まりない質問である。ハーベイの士気を高めるには、迷わず肯定し悩みや迷いを吹き飛ばすのが最善の選択だろう。
だが、それではハーベイという人間に対してきちんと向き合っていないという事になる。
シンはその問いに対してしばらく沈黙を保っていたが、意を決するとゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……ハーベイ、正しい事や正義というものは、持っている量や方向性といったものが人それぞれ違うと俺は考えている。俺たちが正しいと思っている事でも、敵対者から見ればそれは悪として映ることもあるだろう。誰もが認める絶対の正義なんてものは、はなから存在しないのさ」
助けられた奴隷たちから見ればシンたちは正義の使者ともなるが、これからの作戦で被害を被るであろうラ・ロシュエル国内の創生教団や貴族たちの目には、悪の化身に映るであろう。
シンの言葉を聞くハーベイに普段の軽薄さは微塵も無く、静かに黙ってその言葉一言一言に耳を傾けている。
「俺は自分が行っている事が、正義に基づくものなどとは微塵も考えてはいない。大体よ、今回の事だってやっていることは騙し合いや奪い合い、殺し合いだぜ? それの何処に正義なんてものがあるんだ? 正義なんてクソ喰らえさ! 俺は俺のやりたいようにやるだけだ。全ての人を助け、幸せにすることなんて神様でも出来やしねぇ。だったら、俺は俺の助けたい人間を助け、幸せにしたい人間を幸せにする……ただ、それだけだ……そのためには敵から悪鬼と呼ばれても一向に構いはしねぇよ」
ハーベイは助けた少女と触れあったことで心境に変化が生じ、それを持て余しているのだろう。
その持て余したあやふやな心の拠り所として、正義という言葉を選ぼうとしたのだ。
だがシンによって、味方からは正義と褒め称えられる行いも、敵から見れば掠奪者であり殺人者であると言われたハーベイの頭と心は、今までの人生に無い程に困惑する。
冒険者として迷宮に挑んでいた頃は、日々生き抜くのに必死であり余計な事を考えている暇すら無かった。
だが碧き焔に入り、色々な物を見、経験し、様々な価値観に触れたハーベイは、己自身をシンと見比べた結果、自分の心に強い芯のような物が通っていないとも感じ始めていた。
「俺は、寒村の農民の小倅だ。難しい事はわかりゃしねぇ……でも、何となくわかってきたよ。俺はやっぱり虐げられている人たちを助けたい。たとえそれが、誰かに悪と言われるとしてもだ。へへへ、やっぱりシンはすげぇな……でもよ、俺はお前がてっきり正義……正しいと思ってこの作戦を行っていると思っていたぜ」
この時からだろう、何となく流されて生きて来たハーベイが確固とした己自身の信念のようなものを持ち始めたのは。
「俺は別に凄く無いよ。ただ人一倍意地が悪くて我儘なだけさ……ハーベイ……一つだけ言っておくぞ。全てを助けようとは思うな、俺たちの手はそんなに大きくは無い。欲張って全てを抱え込もうとすると、いつか抱えきれずに出来てしまったその隙間から、大事な物がこぼれてしまう……そんな気が俺はするんだ……」
シンの言葉にハーベイは頷きながら答える。
「シン、俺は馬鹿だが身の程は弁えているつもりだ。お前より遥かに弱い俺が、お前よりそういったものを抱え込めるわけがねぇ……俺は、俺が本当に大事だと思う者だけ救うことにするよ」
そう言うとハーベイはシンの元を離れて行った。
あの少女の所に行くのだろうか?
ハーベイは優しすぎるとシンは思った。普段の荒くれ者としての振る舞いも、そんな性格が表に出てくるのを誤魔化しての事なのかもしれない。
そんな心根の優しい男を、碧き焔に引き込み過酷な任務に従事させているシンは、ある種の責任を感じている。
心が病む前に、何処か落ち着く先を作ってやらねばならない。
それはハーベイだけの事でなく、碧き焔全員の将来についても考えなければならない。
そのためには、金と力が必要だろう。それらを得るには確たる実績を上げねばならない。
――――そのためには、この作戦を成功させ時間を稼ぎ、何れ起こる聖戦に勝たねばならない……
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「お待ちしておりました、シン殿!」
何とか脱落者を出さずに国境を突破したシンたちは、帝国軍の待機する予定地点へと到着した。
予定地点には帝国軍約一千が駐留しており、救い出した奴隷の引き渡しとシンたちの補給が行われた。
帝国軍一千の指揮を執るのは、レーベンハルト伯爵の次男でリッペンドルフ家に婿入りして家を継いだ、ディートマー・フォン。リッペンドルフ男爵である。
リッペンドルフ男爵は二十代後半で、周囲から父親であるレーベンハルト伯爵の若いころにそっくりだと言われており、その性格も父親譲りで武断的な性格を引きついており、サバサバとしていて兵や領民からも慕われている。
ディートマーは二日前にこの地に到着すると、すぐさまシンたちの受け入れ体勢を整えシンの予定進路上に騎兵隊を派遣して障害の排除に努めた。
そのおかげで、帝国に入ってからシンたちは然したる障害も無く順調に進むことが出来たのだった。
「男爵様、御面倒をお掛けしますがよろしくお願いします」
「なんのなんの、しかし流石は先の戦で味方に大勝利をもたらしただけの事はある。敵国に潜入しながら、味方の兵を損ねる事無くこれ程大勢の人々を救い出すとは……実に天晴れであるな!」
体育会系のノリで、がっはっはと笑いながらシンの肩を叩くディートマー。
そこには気取った貴族っぽさの欠片も無く、その雰囲気は貴族を苦手とするシンを大いに安堵させた。
助け出した奴隷たちは、ここでやっと枷を外され十分な食事を振る舞われた。
食事が終わった後に、解放された人々に奴隷から解放する事を告げ、今後の待遇などを話すと野営地じゃ盛大な歓声に包まれた。
助け出された人々は誰彼かまわず抱き合って涙を流し、作戦上の事とはいえ今まで黙っていて悪かったと謝るシンに対して、手を取って口々に感謝の言葉を述べた。
喜びと興奮の坩堝と化した野営地に設けられた広場から、少し外れた所に一組の男女が向かい合って立っていた。
一人は碧き焔の冒険者であるハーベイ、もう一人は虎猫族の少女スーラである。
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不死隊の元ネタはアケメネス朝ペルシアの多民族で構成された精鋭部隊です。
もう一つ、その名前の字面に基づいたちょっとした伏線をぶち込む予定です。




