ゴブリンの丸薬
梅雨が終わったとはいえ、まだ地面は湿り気を帯びている。
頭上からジリジリと照りつける日差しと、その日差しによって温められた地面から立ち上る肌に絡みつくような湿気が、奴隷たちの体力を容赦なく奪い去って行く。
それによって元より速くは無い奴隷を伴った行軍は、のろまな亀のように遅々として進まない。
予定外の人数の多さにより、食料にゆとりが無い現状を考慮した結果、シンは非情の決断を下す他無かった。
「いいか、よく聞け! 今日から二日、休憩は最低限とし出来る限り歩いてもらう。残念な事に食料に全く余裕が無いため、このままダラダラと歩いて時間を喰えば喰うほど、お前らに与える食料が減ってしまう。二日間頑張って歩いた後は腹一杯飯を食わせ、十分に休息させてやるから気張って歩け!」
シンと指揮官たちは奴隷たちに対して盛んに発破を掛ける。
その間にも四方に出した物見が盛んに出入りし、敵の存在や障害物の有無を報告する。
「シン、ちょっといいか?」
指揮官の一人として十名を預かり、隊列の側衛をしているハーベイがシンに駆け寄り声を掛けて来る。
「ん? どうした? 敵か?」
シンは腰の刀に手を滑らせながら周囲を窺い始める。
「あ~いや、すまん。そうじゃないんだが……」
ハーベイは親指を立てて道の脇を指し、隊から少し離れた場所で話したいというジェスチャーをした。
シンは無言で頷くとサクラから降り、サクラの面倒をレオナに任せてからハーベイを伴って道の脇へと逸れた。
「それで、何だ?」
「あのさ、奴隷たちを解放したら駄目なのか? せめて枷だけでも外してやれば、少しは彼らも楽になるんじゃないかなと思ってさ……」
疲弊している奴隷たちを見て居たたまれなくなったのだろう。
ハーベイという男は口が悪く粗野ではあるがその実、誰よりも情が厚い男であった。
シンはそんなハーベイの優しさを再確認し嬉しく思いながらも、表情を硬くして首を横に振った。
「何でだ? だって彼らを奴隷から解放するために俺たちは散々骨を折って来たんだろう? だったら……」
その先の言葉をシンは手で押しとどめる。
「落ち着け……ハーベイの言う事はもっともなんだが、今は駄目だ。その理由は幾つかあるんだ。まず彼らをここで解放したとして、彼らが今すぐに自分たちの故郷に帰りたいと言い出したらどうする? 一人一人故郷まで送って行くのは無理だし、無理だからといって放り出せば彼らの大半は死んでしまうだろう。俺も彼らの枷を解いてやりたいのは山々なんだが……自由の身になった彼らが現状に堪えかね、俺たちの目を盗んで逃げだす可能性も考えるとな……逃げた人たちによって、俺たちの存在が白日の下に晒されるのが今は何よりも拙いんだ。存在が知られたその時から、敵や賊どもが飢狼の如く襲って来るかも知れないし、それによっては今後の作戦計画にも大幅な変更を余儀なくされる恐れも出て来る」
この奴隷たちを抱えたままでは満足に戦う事も難しい。
今は例え恨まれたとしても統制を保ちながら行軍速度を上げて、少しでも早く国境を突破するほかないとシンは考えていた。
「なるほど、俺の考えが足りなかったようだ。すまん」
ハーベイは自分の考えの至らなさを認め、素直に頭を下げた。
「いや、謝るようなことじゃない。それよりどうして急に、奴隷たちの枷を解いたほうがいいなんて考えたんだ?」
シンが何故ハーベイがそういった考えを持ったのかと聞くと、奴隷の獣人たちの一部の者たちが目に見えて衰弱しているのだという。
「ああ……なるほどな……そいつらは恐らくだが、後から急いで掻き集められた奴らだな。最初から居る奴隷たちは十分な食事を与えられていたはずだ。とりあえずの対処としては馬車の荷物配分をやりくりして空きを作り、動けなくなった奴らをそこへ乗せるしかねぇか……だが全員は無理だろうから、何とかしないとな……」
落伍者を出さないようにと、ハーベイの隊をその獣人たちのサポートに回すことに決めたシンは、その事をハーベイに告げると足早に隊列の先頭へと戻って行った。
ハーベイも早速シンに言われた通りに、隊を纏めると落伍しがちな獣人たちの一団をサポートするべく側衛の任を交代して最後尾へと移動した。
最後尾に回ったハーベイは、遅れがちな獣人たちの中でもとりわけ遅れがちな一人の少女に目をやった。
その獣人の少女は元は貫頭衣であったであろう襤褸を纏い、ただ歩いているだけなのに荒い息を吐いている。
その顔立ちは造形の美醜がわからぬほど汚れきっており、頭頂部に生えている耳は力なく垂れ、右の耳の先が少し欠けている。
よろよろと歩く姿を見かねたハーベイが何度か大丈夫かと声を掛けるが、少女はハーベイを憎悪の籠った目で睨み返すだけで決して口を利こうとはしなかった。
落伍すれば死は免れないとわかっているのか、少女は震える膝に力を込め懸命に前に進もうとするが、とうとう精根尽き果てたのか、膝を折り両手を大地についたまま、立ち上がることさえままならなくなってしまった。
「ちっ、見てらんねーぜ!」
吐き捨てるように悪態をついたハーベイは、隊の指揮を部下の一人に預けると、その少女の元に駆け寄りヒョイとその身体を脇に抱えた。
少女を脇に抱えたハーベイは、まずその軽さに驚く。
次いでその身体が発する高すぎる体温と、ごつごつと浮き出たあばら骨の感触を手に感じたハーベイは、迷うことなくエリーの居る馬車へと駈け出した。
抱えられた少女は、ハーベイをきつく睨み返すがそれまで。そのうち力なく瞳を伏せると、悔しそうに口を歪ませながら咽び泣き始めた。
動けなくなった奴隷の末路は決まっている。そのままうち捨てられるか、処分され殺されるかである。
少女は迫り来る死の恐怖と、こんな場所で生を終える悔しさに、溢れる涙を堪えることが出来なかった。
そんな二人が追い越しすれ違う奴隷たちの目には、少女を憐れむ気持ちが溢れていたが、枷を嵌められた奴隷の身ではどうする事も出来ない。
それでも幾人かが気付かれ咎められないようにと口の中で、もごもごと自身の信ずる神に祈りの言葉を唱え、多分殺されてしまうであろう哀れな少女に対して最後の慈悲を乞うた。
「エリー、急患だ。頼む!」
ハーベイは碧き焔の馬車に駆け寄ると声を張り上げエリーを呼んだ。
後ろから大声で呼ばれたエリーは、隊列から馬車外し一旦道の脇へと止めた。
「誰か怪我でもしたのかしら?」
念のために手綱を馬車に同乗していたロラに預け、後ろの垂れ幕を捲って顔だけを出す。
するとハーベイが小脇に人を抱えて、慌てた様子で駆け寄って来る姿が見えた。
エリーは急いで垂れ幕を大きく捲ると、到着し息を切らせているハーベイから少女を受け取って荷台へと寝かせた。
泣きながら苦しそうに喘ぐ少女の身体に触れたエリーは、その熱さに驚き額に手を当てた。
「かなりの高熱ね……」
それを聞いた馬車に同乗してしていた誇り高きゴブリン族の戦士であるギギは、腰にぶら下げた小袋の中から黒い丸薬を一粒取り出すと、エリーに渡し少女に飲ませるようにと言う。
「コレ薬、飲ム、熱下ガル」
エリーは取り敢えず受け取った後、この薬は何で出来ているのかと問う。
「ヨモギ、タンポポ、クズ、ジャノヒゲ……熱、痛ミニ効キ、強壮効果モアル」
荷台に寝かされた少女はゴブリンであるギギの姿に驚き逃げ出そうとするが、体に力が入らず身を捩るのが精一杯であった。
エリーはもがく少女を自慢の力で押さえつけ、無理やりに口を開かせるとギギから受け取った丸薬を放り込み、ハーベイから手渡された水筒の水を押し付けて無理やりに嚥下させる。
飲み込ませた後は力を抜き、荷台に毛布を敷き詰め寝床をつくりそこへ少女を横たえさせる。
「治癒魔法も万能じゃないからね~骨を接いだり傷口を塞いだりは出来ても、失った血液や体力を戻すのは無理なのよ。でも、ギギの薬は良く効くからこのまま安静にしていれば多分大丈夫でしょう」
ハーベイはエリーとギギに礼を言う。
それにしてもギギが製薬に長けていたとは今まで露知らず、今この場でその事実を知ったハ―ベイは驚きを隠せずにいる。
「我レラ戦士ハ、旅立ツトキニ祈祷師ヤ薬師カラ薬ノ作リ方オソワル。ソレニ戦士ハ狩リデ毒ヲツカウ。毒ト薬、イッショイッショ」
そう言ってギギは、ケラケラと笑った。
確かに薬草の中には、製法により毒にも薬にもなる物が多く存在する。
後でこの話を聞かされたシンは、ゴブリン族は決して蛮族などでは無く、一部に於いては帝国を遥かに凌駕する高度な知識や技術を持っている、優れた種族であると考え始めていた。
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昨日は疲れていたのか、ほぼ一日中寝てしまい更新を怠ってしまいました。申し訳ないです
 




