三人目の女神
ラ・ロシュエル王国北部辺境区の地下三百メートルに、明らかに自然に出来たのではない空間があった。
中央大陸の地表にある文明とは、全くの異質の存在。
星の海すら自由に行き来するような、圧倒的な科学力を駆使して建設されたここは、惑星パライソ中央大陸D2ポイント……通称、魔物配置所。
ここは培養装置によって作りだされた様々な魔物を、指定の地点へとテレポートで送り込み配置するという、ゲームで言うモンスターのリポップ或いはリスポーンを司る施設であった。
だが中央管理施設同様、製造されてから何ら補修を受けていないこの施設は、経年劣化と相次ぐ故障によりその機能の大半を失っている。
???「昆虫型監視ドローンの定時報告……D2-4-3に配置した魔物、正式名称キマイラの反応ロスト。同地点にプレイヤー反応あり……また故障でしょうか? 魔物のロスト信号は兎も角、開園していないのにプレイヤー反応があるわけが……中央管理施設からの通達は無し。尤も、中央管理施設も当施設と同様に修理補修も覚束ない状態のはず。さて、どうしましょうか? と言っても最早倒された魔物の再配置すら不可能な状態、ドローンをD2ポイントに集中させて更なる情報収集に努めることにしましょうか……」
非常灯しか灯っていない施設の中心に、その人物は居た。
施設の不備によるものか、その立体的なホログラフィーには時々ノイズによって映像の乱れが生じている。
そのホログラフィーの人物は、指先どころか視線すら動かさずに空中に開かれた複数のモニタースクリーンの情報を読み取った後、幾つかの指令を下してから無駄なエネルギーの消耗を避けるためにホログラフィーの表示を止めた。
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「せーーーーーの! よいしょ!」
ぬかるみに嵌ってしまった馬車をシンは一人で後ろから押し上げる。
青い瞳は瞬時に紅く染まり、シンを良く知る者ならブーストの魔法を使っているとわかるだろう。
シン一人で並みの大人十人分の力を発揮し、見る見るうちに馬車はぬかるみから押し出されていく。
強力な力にはそれなりの代償が必要で、ブーストの魔法はマナの消費だけでなく、多大なるカロリーの消費と肉体的な疲労の蓄積をもたらすことになる。
頭から泥水を被ったその身は、振り続ける大粒の雨により瞬く間に洗い流されていく。
ル・ケルワの街を出て三日目、雨は止んでは降りを繰り返す。
それによりすっかりぬかるんでしまった街道は、道としての機能を大幅に低下させている。
このままずっと雨が降り続けば、街道は道では無く川となってしまうだろうと思われた。
――――まるでソ連に攻め込み、雪解けの泥土に苦しめられた独軍の気分だ……しかし、あの時出発しておいて良かった。悪戯に延期でもしていたならば、帝国へ帰ることすら覚束ない状態になってしまっていたかも知れない。しかし、雨季だか梅雨だかわからんが、この泥土は想定外だった。これは聖戦の時にも気を付けねばならんな……
それから更に二日経つが、街道沿いに賊の姿は見当たらない。
それも当然、この泥土の中を進もうと思う商隊などは居らず、そんな中で泥に塗れ雨に打たれながら待ち伏せをするような賊も居ようはずも無い。
ル・ケルワの街から国境の関所まで、天候と道が良ければ三日と掛からぬ距離を倍以上の時間を掛けて突破したシンたちは、関所を避けるために道なき道を強引に進んで行った。
それは文字通りの泥の地獄で、一日掛けても僅かな距離しか稼げず、皆はストレスを感じてフラストレーションを溜めこんでいく。
それでも幸運なことに、鉛色の空は変わり映えしないが雨は止んでいた。
さらにそこから二日を掛けてラ・ロシュエル王国の国境線を突破し、帝国への帰還を果たすことに成功した。
この泥土では、国境を守備する騎士や兵も身動きが取れず、恐れていた見廻りにも遭遇せずに済んだ事に安堵した。
帝国南部に入ると、こちらでは雨が降っておらず、ラ・ロシュエルでの苦労は一体何だったのかと思うほど順調に進むことが出来た。
途中バートミンデンの街に寄って補給と休息を取り、その後は一路レーベンハルト伯爵のお膝下の街であるビルゼンスを目指した。
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「おお、シン殿無事であったか!」
ビルゼンスの街に着くと脇目も振らずに、レーベンハルト伯爵の居館に赴き帰還を告げた。
タイミングのよい事に伯爵はビルゼンスに戻っており、取次ぎから報告を受けると自ら玄関ホールまで出向いて歓迎した。
「伯爵様もお元気そうでなりよりです」
「こちらは何も変わり無しだ。場所を移そう。卿も疲れているだろうが、報告を聞きたい。それと、卿に渡す物がある」
「渡す物? 一体それは?」
「見ればわかる」
伯爵は執事に、碧き焔の面々の世話を命じるとシンを伴って執務室へと移動した。
伯爵は鈴を鳴らし近侍を呼ぶと、軽食と軽めの酒を用意させると人払いをするよう命じた。
「大した物が用意出来ずに申し訳がない。その代りと言っては何だが、夕食には大いに期待しておいてくれ」
「いえ、御配慮感謝致します。雨の中で齧る黴臭い干し肉以外ならば、何であれご馳走の類です」
シンは伯爵に促されるままに軽食に手を伸ばし、酒を胃に流し込んだ。
食後のお茶を啜りながら一息つくと、シンはラ・ロシュエル王国で手に入れた情報を伯爵に話し、共にその情報の内容を精査する。
「なるほど、その話を聞く限りではシュバーラ王国は当てには出来んな……そのゴブリンの方はどうなのだ?」
「ゴブリン族の戦士はとても誇り高く、何より名誉を重んじています。彼は仲間を殺し自分を辱めたラ・ロシュエルに深い憎しみを抱き、復讐を望んでいます。私はこの復讐に協力することで彼と信頼関係を結び、何れはその信頼関係をもって帝国とゴブリン族との間に国交を結びたいと思っております」
「……亜人だぞ?」
「はて? 伯爵様は亜人差別主義者では無かったかと思いましたが……」
「勿論私は違う。私だけでは無く亜人との関わりが深い南部の貴族の大半もそうだろう。だが、他の地方の貴族はどうだろうか?」
伯爵の懸念は尤もであるとシンは同意せざるを得ない。
だが、来たる聖戦の折に味方は一人でも多い方が良い。
「無論私の一存では決められませんので……結局のところは陛下の御裁量次第ではありますが……」
「ああ、そうだ。忘れぬ内に卿に渡しておこう」
伯爵は部屋の奥から何重にも鍵が掛けられた箱を持ってくると、箱とその鍵をシンに渡した。
「これは?」
「箱の中には陛下より卿宛ての手紙が入っておる。後で良いが、必ず目を通し返事の手紙をしたためよ。卿が書いた手紙は儂が責任を持って陛下へとお届けしよう」
「はっ、必ずや返書をしたためます。それと、私がお頼みした準備の方は?」
伯爵はにんまりと笑みを浮かべた。
「万事ぬかりなし! 兵数百五十、南部選りすぐりの精鋭を揃えた。その他にも変え馬、馬車、それから卿の考案した装備の用意も整っておる」
シンが考案した装備とは、トンプ湿地帯で試した板樏と迷彩布の事である。
板樏は五十足、迷彩布は百羽織ほどの用意が済んでいる。
「あの靴の方はよく分からぬが、あの布は私も試してみたが物凄い効果だったぞ。卿に教えられたようにして草木を結び付けて狩場の森に潜んでみたが、儂の近侍どもは大いに惑わされておったわい」
その時の状況を思い出したのか、伯爵は大きな声で腹を抱えて笑い出す。
でかい図体をしていても、まるで子供の様な悪戯心を持つレーベンハルト伯爵に対し、シンは素直な好感を抱いた。
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一般的なRPGでゴブリンとは対極的な存在……それは絶対的強者であるドラゴン。
大空を自由に舞い、強力なブレスを吐くオーソドックスなタイプが私は一番好きなのですが、皆さんはどんなタイプのドラゴンがお好きでしょうか?




