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帝国の剣  作者: 0343
235/461

ル・ケルワを発つ


 

 夜明け前より降り始めた雨は、夜が明けると一層雨足を強くした。

 帝国北部から中部は温帯、南部は温帯と亜熱帯の境、そしてその南部と国境を接するラ・ロシュエル王国北部もそれと同じく温帯と亜熱帯の境にあたる。

 季節は初夏が終わり、本格的な夏へと向かう途中。その途中にあるのは梅雨である。

 前日まで雲一つ無い青空が広がっていたのに、今では鉛色をした雲が天一面に厚く広がり、大粒の雨を降らしながら、陰鬱さで心まで押し潰そうとして来る。


「お客様、今朝出発とのことですが、あいにくの雨となっております。雨足も強く、この様子だと数日は降リ続けるかと……わたくしどもと致しましては、御無理をするよりは滞在を御伸ばしになった方がよろしいかと存じます」


 宿の支配人が慇懃に礼をしながら、雨足の強い事を理由にして滞在の延長を提案してくる。

 シンは、どうしても戻らねばならない用事があると言って、支配人の提案に感謝の意を示しつつも出発の準備を急いだ。

 支配人は上客を逃すまいと尚も食い下がるが、シンの決意が変わらないとわかると諦めて下がって行った。


「師匠……じゃなかった。ピエール様、支配人の言う通り延期なさってはどうですか? 雨によって視界も悪いし危険ではありませんか?」


 カイルも安全の面から、出発の延期を提案して来るがシンは首を横に振る。


「これは言わば天啓とも言うべき雨だ。今が出発の絶好の機会だよ、コイル君」


 コイルとはカイルに付けた偽名である。最近はシンの一番弟子として、名前がぼちぼちと知られるようになって来たので、念のために偽名を使っている。

 カイルは窓から外を見て、厚い雨雲と降り頻る雨を見て首を捻った。


「確かにお前の言う通り、視界も悪く音も遮られ危険ではある。だが、この雨ならば外套のフードを深く被っていても怪しまれずに済む。それに雨の日に仕事熱心な門番など、この世のどこを探しても居やしない。な? 俺たちにとっては絶好の出発日よりだろう?」


 なるほどとカイルは思った。それと同時に、自分の頭の廻らなさを恥ずかしくも思って俯いてしまう。

 天候を上手く使って物事を成功させた例は幾つもある。

 織田信長の桶狭間の戦い、長篠の合戦、三国志の赤壁の戦いなど、有名無名探せばいくらでも出て来る。


 ――――もっとも桶狭間は雨のせいで発見されなかったというのは眉唾だが、これを見ると確かに視界と音が遮られる。


 長篠の合戦は鉄砲を使うために梅雨明けを待ってから開戦し、赤壁の戦いでは季節風を上手く利用している。

 古今東西名将智将たちは、気象と上手に付き合い利用し、勝利と成功を収めて来たのだ。


「梅雨入り前に、トンプ湿地帯とヴェルドーン峡谷を見に行っておいて正解だったな。今頃湿地は沼に変わり、峡谷には川が流れ、乾いた土は泥土と化しているだろうからな。よーし、みんな手を止めて一旦集まってくれ。全員いるな? マーヤ、周囲に人の気配はあるか? 無い? よし、では始める。まず、俺たちの目標は本格的な準備をするための帝国への帰還。最初に辿って来たルートは使えない。何故なら、今頃はトンプ湿地帯は増水して沼になっていると思われるからだ。峡谷のルートも同じような理由により使えない。ラ・ロシュエル王国を西進して亜人領域から帝国本土に帰還するルートもあるが、王国内を堂々と歩けぬ身であるからに危険が大きすぎる上に、時間も掛かる。ならばいっその事、本街道を一気に北進して関所脇を突破しようと思う」


 シンの大胆と言うより無謀とも言える発言に、レオナがすかさず手を上げて、異議を唱える。


「危険です! 本街道は、帝国から追い立てられた賊どもが待ち伏せをしている可能性が大です。無謀な賭けに出るよりは、無駄に時を浪費してでも慎重に梅雨明けを待ってから行動しては如何でしょうか?」


「レオナの言は全くをもって正しい。だが、却下だ。その理由は、時間だ。梅雨が明けるまで、一月ないし長引けば二月、それから帰還すれば秋になってしまう。その間、今ここいら一帯を強略している傭兵崩れの賊どもが、ラ・ロシュエルに完全に排除されてしまう可能性が出て来る。俺の作戦は以前話した通り、その賊どもの振りをして攫われて奴隷とされている人々を救い出し、罪を賊どもになすり付ける事だ。だが、肝心の賊が居なくなってしまっていては、作戦自体が始まらない」


「ですが!」


 眦を上げて食い下がって来るレオナを手で制し、シンは話を続けた。


「危険は承知だが、天候が我らに味方した。この雨を利用して、一気に北進し帝国へ戻る」


「雨を利用? どういうことだ?」


 今度はハンクが、身を乗り出して来た。


「本街道の周囲は開けている。晴れているなら兎も角、この雨の中で賊がそんなところで待ち伏せしてると思うか? 雨の中、いつ来るかも知れぬ旅人や商隊を待ち続けるのは、相当の体力と精神力が必要だ。賊になるような根性なしどもが、そんな事出来るわけがない。そんな気合いの入っている賊がいたら、敬意を表して全力でぶち殺すまでよ。大方の賊は、近隣の襲った村で雨宿りでもしているさ」


「なるほど、シンの言っている事は理に適っておる。だが、何事にも例外は付きもの。くれぐれも油断はせぬことじゃ」


 ゾルターンの言葉に碧の焔の全員が頷く。


「よし、作業を再開してくれ。先ずは第一関門のル・ケルワ北門通過からだ」


「シン、またあれを使うか?」


 あれとはラ・ロシュエル王国南部の大貴族、オーベルヌ家の紋章入りの短剣の事である。

 ハンクが懐に収めている短剣を取り出そうとするのを、シンの手が止めた。


「それは良く出来てはいるが、所詮は偽物。むやみやたらに使うのは危険だ。奴隷商館でも、受付の男は引っかかってくれたが、支配人のブノワに見せたら見破られていたかも知れん。まぁ、門番が難癖つけてきたらなるべく金で済ませる努力をしよう」


「わかった。それにしても、今の話が本当なら俺たちかなり危ない橋を渡っていたんじゃないのか?」


「ああ、少しでも怯えがあれば偽物だと見破られると思ったから、あの時は言わなかったのさ。おかげで上手く行っただろう?」


 そう言いながらシンは片目を瞑って見せた。

 ハンクは絶句し、その場で固まる。はっはっはと、シンは笑いながらハンクの肩を叩くと、外套を身に纏いフードを深々と被った。



---



「この雨の中ご苦労様です」


 降り続ける雨の中、ル・ケルワの北門を守る門番は二人しか立っておらず、残りは傍に建っている詰所に籠っていた。

 御者を務めるハーベイが馬車から降りて、門番の元へ行き通行税を払う。

 

「僅かばかりではありますが、これで後で冷えた身体を温めて下さい」


 通行税の他に、銀貨を一枚余分に渡す。勿論、紛糾の種にならぬよう二人に一枚ずつである。

 銀貨を渡された門番は、雨に打たれて不機嫌だった顔を綻ばせ、臨検を免除して通行の許可を与えた。


「気を付けて行け。それから、この街に再び来る時はこの北門を必ず通るのだぞ!」


「へい、その時はまたお手数をお掛けしますが、よろしくお願いしたします」


 終始高圧的でおざなりな態度の門番たちに、ハーベイは腰を低くへりくだって接した。

 ゆっくりと馬車は北門を通過し、そのまま街道を北進する。

 ル・ケルワの街が完全に見えなくなると、シンは足を速めるよう号令を掛けた。


「上手く行ったな。よし、少し足を速めるぞ! 視界が悪い、索敵にはいつも以上に気を配れ。自分たちもそうだが、馬たちの身体もいつも以上に気を配れ、行くぞ!」


 街道と言っても舗装されているわけでは無い。所々に出来た水たまりを、ハーベイは器用な手綱さばきで避けながら進んでいく。

 粘土質を含む泥が脚に纏わりつくのが嫌なのか、龍馬のサクラは不機嫌な唸り声を上げる。


「すまんな、サクラ。帝国に戻ったら好物の猪の腸詰肉をたらふく食わせてやるから、今は我慢してくれ」


 仕方がないなとサクラが鳴くと、それに釣られてレオナの愛馬シュヴァルツシャッテンも低い唸り声を上げるのだった。

ブックマーク、評価、感想ありがとうございます!


現実の梅雨入りに合わせて、作中も梅雨入りです。

私の家の洗濯機には一応簡単な乾燥機能が付いているのですが、電気を馬鹿食いするわりには全然乾かなくて、しかも生乾きで臭くなってしまうと言うアホみたいな機能でして……結局近所のコインランドリーに乾燥機だけ掛けに行くのですが、ドラム型の乾燥器の中で洗濯物が舞っているのを見るのが好きで、ついつい何もせずにボーっと乾燥終わるまで眺めちゃうんですよねぇ。

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