奴隷商館 ラ・デューレ
奴隷商館の中は、清潔かつ普通の商館といった感じであり、シンが想像していたものとはかけ離れていた。
シンはてっきり助け出した人たちと同じように、狭い部屋に押し込められ虐待を受けているものだと思っていたのだ。
――――まぁ、当然か。商品が傷付いていたり不潔だったりしたら売れないものな……
シンは表情を変えないように努めて、来店の目的を告げる。
「奴隷を買いに来たのだが……」
「それはそれは、ようこそ御出で下さいました。当商館をお選び下さり大変嬉しく存じます。当ラ・デューレの奴隷は近隣一と自負しております。きっとお望みの奴隷を、手に入れることが出来るかと思われます」
揉み手をしながら慇懃に頭を下げる受付の男は、頭頂部が禿げ上がり疎らになった髪の間から日に焼けた赤い頭皮が覗いている。
「して、本日はどのような奴隷をお探しでしょうか?」
揉み手を止めずに卑屈な笑みを顔に貼り付けたような店員に、シンは不快感を表に出さぬよう努めて話を進める。
「最近ある所から仕入れた、活きのいい奴隷が大量に入ったと言う噂を聞いてな……」
シンの話を聞いた店員は笑みをこそ崩しはしなかったが、その目に警戒の色が現れる。
「お客様、その話をどこで? 当店は至ってまともな商いを行っております。何かの御間違いではないでしょうか?」
「支配人と直接話がしたいのだが……」
仮面のように張り付いていた笑みは消え去り、訝しむような警戒心剥き出しになった店員に、シンの後ろに控えていたハンクは懐から短剣を取出し、柄頭に彫られた家紋を見せる。
驚く店員の手をシンはすかさず掴むと、その手のひらに金貨をしっかりと握らせた。
手のひらを開いて収められた物を確認すると、店員は最初に浮かべていた笑みを取り戻し、シンたちを奥へと案内し、応接室のような部屋に招き入れると支配人を呼ぶためにその姿を消した。
応接室にある上等なソファーに深く腰を掛け、そのまましばらく待つ。
「シン……」
一向に人の来る気配がないことに焦れたハンクが、沈黙を破ろうとした瞬間
「しっ、誰か来る!」
シンは貴族らしくリラックスしている風を装い、ハンクは御付の者らしくシンの腰かけるソファーの後ろに立ち、背筋を伸ばす。
奴隷らしき給仕の少女を連れて、恰幅の良い男が扉を開けて部屋に入って来る。
「お客様、大変お待たせ致しました。わたくしが当館の支配人を務めます、ブノワと申します。以後お見知りおきを……」
給仕が手際よくお茶を煎れる。
高級茶の品の良い香りが、高価な調度品が散りばめられた応接室に漂う。
シンの前に支配人のブノワが腰かけると、給仕の少女が二人にお茶を配り、頭を下げると部屋を退室した。
完全に扉が閉まるのを確認してからブノワは、シンに話しかけて来た。
「店の者から、お客様はオーベルヌ家の御方とお聞きしております」
「左様、儂はピエール・デルヴと申す。だが本家の者ではない。しがない分家ではあるが、この身には誇りあるオーベルヌの血が流れている」
胸を張り出来るだけ尊大に構える。
「それはそれは、遥々南よりこのような片田舎まで足をお運びくださり、歓喜の念に堪えませぬ。本日は、奴隷をご所望とのことですが……」
「儂は見ての通り武人気質でまどっろっこしい駆け引きは好かぬ。故に単刀直入に申す。帝国より手に入れし奴隷をオーベルヌ家に売れ」
シンは腰に履く長剣を片手でポンと叩きながら、カップに注がれたお茶の香りを楽しむ振りをする。
「いやはや、弱りましたなぁ……王国でも名高きオーベルヌ家のお頼みとあれば、喜んでお望みを叶えたい所なのですが、既に殆どの奴隷は捌いてしまいまして……残っているのは七十か八十程しかおりません」
「何? 残りはどうした? いや、愚かな質問であった。近隣に捌いたのであろう」
「はい、おっしゃる通り近隣の貴族様方がご所望なさったので……お分かりかと思いますが、この北部辺境は未開の地が広がっており、多くの労働力を必要としておりますれば……」
シンは手を上げて話を遮る。
「わかっておるわ。オーベルヌの名を聞いて貴様も察したであろうが、オーベルヌ家は北が力を蓄えるのを好ましくは思わん。わかるな? 今後はオーベルヌ家に売れ、値段は相場の倍でどうだ?」
シンは犬歯を剥き出しにして笑顔を浮かべながら、身を前に乗り出した。
その凶悪とも言える笑みに気圧されたか、ブノワはハンカチを取り出して額に滲み出す汗を拭った。
「よ、弱りましたな……わ、わたくしどもにも近隣のお付き合いというものがありまして……」
「ほぅ、北部辺境区の弱小貴族共と我がオーベルヌ家を天秤に掛けるか? それがどういう結果をもたらすのか聡い貴様ならばわかるであろう?」
シンは更に凄み、勢いだけでグイグイと押していく。
そのやりとりを見たハンクは、内心でシンの度胸の良さに舌を巻いた。
――――よくもまぁ、口から出まかせだけで商人を手玉に取るもんだ。嘘をつくなら嘘の中に真実を混ぜるべしと、シンはよく言うがなるほどな……事前に、ラ・ロシュエルの貴族の事を諜報から学んだとは聞いていたが、これほどまでに詳しいのであれば、ひょっとすると全て上手く行くかもしれない。
「……わかりました。残りの奴隷の全てをオーベルヌ家にお売り致します」
南部で権勢を誇る大貴族と、ここでパイプを繋いでおくことに旨味を見出したか、無駄な駆け引きも無く即答に近い形で取引が成立した。
「わかっているとは思うが、くれぐれもこの事が他に漏れぬようにな。これは手付だ」
シンは懐から、金貨が百枚ほど入った革の小袋を取り出すとブノワの手を取って渡した。
その重みと、袋の口から僅かに覗く黄金色を見たブノワは、満面の笑みを浮かべながら押し戴くようにして革袋を懐へ収めた。
「それともう一つ、何処の貴族にどれ程の人数の奴隷を売ったのか教えよ。先程も申した通り、北が力を蓄えるのを好ましく思わぬ。それ以上は詮索するな、貴様はただ今言った情報を教えればよい」
ブノワは顎に手を添え思案する。
近隣の貧乏貴族どもを相手にするよりは、南の大貴族に靡いた方が先に明るい未来が待っていると考え、決断した。
「わかりました。ですが、わたくしの口より申し上げましたことは、御内密にお願いいたします」
「わかっておるわ」
腹を決めたブノワは、奴隷を何処の誰に売ったのかを事細かに説明した。
全てを聞き終えたシンは、立ち上がりブノワの手を取って謝辞を述べた。
「感謝するぞ。オーベルヌ家は貴公を決して粗略に扱わぬことを誓おう。それと、奴隷に関しては儂が一切の窓口となっておる。もしオーベルヌの名を語る他の者が来ても、相手にするでないぞ」
「承知致しました」
「それとな、儂は報告をするために一度南に戻らねばならぬ。奴隷を引取りに来るのに数ヶ月は時間を要するであろう。その間に奴隷を養うための費用は代金に上乗せせよ」
「畏まりました」
恭しく頭を下げるブノワに対し、鷹揚に頷く。
「最後に今いる奴隷の状態を見たいが、どうか?」
「はい、勿論宜しゅう御座いますとも。当店の手入れに行き届いた自慢の商品を是非ご照覧下さいませ」
部屋を出て、支配人であるブノワに従いその後ろをシンとハンクは着いて行く。
長い渡り廊下を通り、別館の入口に着く。
そこには武装した兵が二人、扉の前に立っておりブノワを見ると、深々と頭を下げた。
ブノワは腰に吊り下げている鍵束の中から一つの鍵を取出し、扉の錠前に差し込み扉を開けた。




