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帝国の剣  作者: 0343
225/461

決死の反撃


 

 前足を大剣で力任せに払われたキマイラは、体勢を崩した。

 敵が舐めてくれていたために作ることが出来た、最初で最後の機会をシンは見逃さない。

 薙ぎ払いの余韻を力づくで抑え込み、直ぐに剣を体に引き寄せると全身のバネを使って一気に懐へと潜り込み、大剣をキマイラの胸に突き刺した。

 硬くそれでいて柔軟な、分厚い皮を貫く感触が手に伝わる。

 次に伝わるのは鋼のような筋肉を断ち割る感触、そして最後に伝わるのは、柔らかい臓器を貫くそんな手応えのはずであった。

 だが、シンの手に伝わって来たのは、分厚くしなやかでありながら鋼のような筋肉に僅かに突き刺さっただけの、凡そ致命傷には程遠い手応え。

 キマイラの驚愕の表情は、与えられた痛みにより苦痛に変わり、それは瞬時に怒りへと変わった。

 それに対しシンの顔は、してやったりと歯を剥き出しにした野獣の笑みから一転、恐怖と絶望の色に変わる。

 

「ば、馬鹿な! どうして?」


 呆けている間もなく竜のあぎとがシンに襲い掛かる。

 筋肉が噛みつき、抜けなくなった大剣からやむを得ず手を離し、地に転がりながら攻撃を躱し距離を取ると、急ぎ腰の愛刀を引き抜き構えた。

 

 なんという化け物か、その強さは成竜にも匹敵すると言ったゾルターンの言葉が脳裏に浮かぶ。

 キマイラは怒りの咆哮を上げながら、身をよじる様にして体を震わせた。

 切っ先が刺さったままであった大剣が抜け地面に落ちると、憎々しげな唸り声を上げながら、前足でそれを踏みつけた。

 キマイラの獅子の目は、今まで味わったことの無い屈辱と怒りの炎を滾らせている。

 その目を見てしまったシンは、無意識の内に怯え、膝下が小刻みに震えた。

 シンは刀を構えながら、周囲の様子を探ってみる。

 レオナは、いつ炎を吐くともわからぬ竜の頭に牽制されキマイラに近付くこともままならない。

 一方のカイルもまた、尻尾の毒蛇の執拗な攻撃を躱すのに精一杯であった。

 ゾルターンは迷っていた。前に出てシンと共に戦うべきか、それとも仲間を信じてキマイラの動きが止まったところに大技を打ち込むべきか……

 ゾルターンを守るハンクは剣を構え、今にも飛び出さんと逸る心を理性によって押さえつけている。


 ――――来る! 


 シンに襲い掛かるキマイラの攻撃は、先程までとはまったく異なる性質を持った、一切の遊びを省いた殺戮を目的としたものであった。

 込められた力も速さも先程までとはまるで違う。

 刀で受け流すなど到底不可能。全身水を被ったように冷や汗を掻きながら、身をかがめ地に転がり必死に交わし続ける。

 爪、爪、牙……それに時折、竜の顎がシンを咥えこもうと大きな口を開けて迫る。

 躱し続けるシンに、キマイラの獅子の頭と竜の頭は苛立っていたが、山羊の頭は冷静だった。

 爪と牙と顎に追い立てられたシンは、キマイラのもう一つの頭の事をすっかりと忘れていた。

 激しい攻撃に曝されながら、今まで一切攻撃には加わらずに沈黙を保っていた山羊の頭に注意を払うのは、どだい無理と言うものである。

 これはレオナやカイル、離れているゾルターンも同じで、誰も大人しい山羊の頭に生えている、大きく逞しい角に対して、その存在は認識していても脅威として捉えてはいなかったのだ。


 シンは小さな悲鳴を上げ、息を荒げながら荒れ狂う暴風のようなキマイラの攻撃を、反撃の機会を探りながら躱し続ける。

 だが、六つの目により常にその姿を捕捉され続け、的確な攻撃に曝され続けているシンの精神は、最早限界に近い。

 筋肉には乳酸が溜まり身体が鉛のように重く感じられ、血中酸素の低下により身体どころか脳の働きまで鈍く衰えていく。

 ただただ目の前の攻撃に対し反射的に交わし続けていたシンに、疲れが見え始めたのを冷静な見詰めていた山羊の頭は、満を持しての攻撃に移った。

 爪に追い立てられ、山羊の頭の正面へと誘い込まれてしまったシンを、今まで激しい攻撃の最中微動だにしなかった山羊の角を使った突き上げ攻撃が襲い掛かる。

 全くの予期せぬ攻撃に反応する事が出来ず、山羊の太く逞しい角はシンの左太ももを貫いた。

 峡谷にシンの絶叫が響き渡る。 

 そのまま山羊の頭は首を持ち上げて、上下左右に滅茶苦茶頭を振り回す。

 視界が上下左右に揺さぶられ、三半規管をこれでもかと痛めつけられたシンは、意識を手放そうとする度に太腿に刺さった角がもたらす痛みによって、現実へと引き戻される。

 口から泡を吹きながらも、右手にはしっかりと刀が握られている事を知り、自分で自分を褒め称える。

 シンは目を回しながらも刀だけは手放さないよう意識を保ちつつ、反撃の機会を覗い続けた。

 

 シンの絶叫を聞いたレオナは、即座にシンを救おうと動くが、竜の首がその動きを嘲笑うかのように立ち塞がる。


「邪魔を、するな!」


 レオナは顔が憤怒に染まる。素早く魔法を唱え、突き出した左手から圧縮された空気の塊が竜に当たる。

 竜の首は持ち上がり、その下を潜ってシンに近付こうとするが、今度は獅子の牙、そして大きく薙ぎ払われる爪によってその試みは失敗に終わった。

 体勢を立て直した竜の首が執拗にレオナを狙い始め、益々シンの救出が困難となって焦りに焦ってしまい、動きが雑になり攻撃を躱すのがやっとの状態になってしまう。

 カイルも相変わらず尻尾の毒蛇に阻まれ、容易に近づくことが出来ない。

 この尻尾の毒蛇は、最初はとぐろを巻いていたのでわからなかったが、その実は相当に長くキマイラの後方と側面を完全にカバーする事が出来た。

 噛まれたならば即死という、強烈なプレッシャーに晒されながら粘り強く戦い続けていたカイルだが、シンの絶叫が耳に入っても、どうする事も出来ない自分が情けなく、その両目に涙が滲みだす。


 シンは体の力を抜き痛みを堪えつつ死んだふりをする。だがその右手には、しっかりと刀が握られている。

 シンの絶叫が聞こえなくなると、死んだと思ったのか山羊は頭を揺さぶるのを止めた。

 この機会を待っていたシンは、今一度痛めつけられ続けた身体に命の火を灯し、山羊の耳の穴に全力で刀を突き刺して、グリグリと抉った。

 

 ――――そう簡単に死んでたまるかよ! くらいやがれ!

 

 素早く刀を引き抜き、今度は手当たり次第に突き刺しては抉る。

 山羊は一度大きく頭を振って悲痛な叫び声を上げると、痙攣して口からだらりと長い舌を垂らして首を垂れた。

 白い山羊の毛はシンの傷から流れ出た血によって赤く染まっていたが、その上から更に自分の血で真っ赤に上塗りされていく。

 仕留めたと思っていた獲物からの思わぬ反撃により、首を一つ失ったキマイラの絶叫は、峡谷中に木霊した。

 未だかつて無い痛みにより、絶叫し跳ね回り暴れるキマイラ。

 その動きによってシンの太腿から角が抜け、弾き飛ばされるようにしながら、受け身も取れずに地面に叩きつけられるシン。

 叩きつけられた衝撃により幾つかの骨が折れ砕け、肺腑の中の空気が全て吐き出される。

 シンは仰向けになり、血の泡を吐きながら空気を求めて両手で苦しげに宙を掻き毟った。

 馬車と龍馬をやっと遠ざけ終えたハーベイとマーヤが、シンの絶叫を聞いて急ぎ戻ってくると、丁度シンが空中に投げ出されて地面に叩きつけられているところだった。

 二人は急ぎ駆け寄る。


「かはっ、ぶっ、お、おこ……せ」


 シンは血の泡を吐きながら、ハーベイの肩に手を回す。

 ハーベイはがシンの身体に手を添えると、シンは苦痛に喘ぎながら震える右手を、痛みによって暴れ回っているキマイラへと向けた。


「く、喰らえ…………イタチの最後っ屁だ……」


 シンの右手から、最後の力を振り絞って放たれた炎弾は、暴れ回るキマイラの左後ろ脚に見事命中し、バランスを崩したキマイラはそのまま横転した。

 その時に自分の身体に巻き込まれ尻尾の一部を押し潰される形となった毒蛇は、対峙するカイルの前で無防備な姿を晒してしまう。

 カイルがその隙を逃さず毒蛇の首に渾身の力を込めての打ち下ろしを放つと、大人の太腿ほどもある毒蛇の身体は切断され、刎ね飛ばされた頭は虚しく地を転がり跳ね回った。

 

「レオナ、下がれ! 下がるのじゃ!」


 ゾルターンの声を聞いたレオナは、竜の首に背を晒しながらも急ぎキマイラから距離を取る。

 そのレオナと行き違いになるかのように放たれた強力な魔法は、獅子の頭に命中し、下顎を残して頭部を粉々に爆砕する。

 第二射が来るかと身構えながら、レオナはゾルターンの方を覗うが、ゾルターンは今の一撃で精根尽きたのか杖を支えに荒い呼吸を繰り返していた。

 これで残るは竜の首のみ。その竜の首は、左右に頼りなくゆらゆらと揺れながら、口を大きく開けて空気を吸い込み喉を膨らませていた。

 

 


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