次の段階へ
戦闘を終えたシンたちは戦場掃除を済ませた後、野営に適した場所へと移動した。
見晴らしの良い緩やかな丘を中心として、警戒網を引き歩哨を立ててから、夕食の準備を開始した。
夕食を取り終えた時には、頭上に青い月が煌々と輝き、その周囲を色とりどりの星々がきらめいて漆黒の夜空を飾り立てている。
騙し討ちとはいえ、度重なる勝利に部隊の士気は上がっていた。
見張り以外の者には軽い飲酒を許可し、飲むことが出来ない見張りには、食事を一際豪華にすることで互いのつり合いを取った。
シンは酒を飲まず、一人皆から少し離れた場所で大の字になって寝ころび、夜空に浮かぶ青い月を見上げていた。
シンがこのように一人で月を眺めている時は大抵の場合、望郷の念に駆られている事が多い。
今宵のシンの胸中を占めているのは、地球での何気ない日常、柔らかな布団、寿司や天麩羅などの和食、青臭い畳の香りと、この帝国では絶対に手に入れる事が出来ない物たち……地球に居た頃にはその価値に気付かず当たり前のように受け入れていた物たちが、脳裏に次々と鮮明に現れては掻き消えて行く。
見上げている青い月が霞み、揺れた。潤んだ瞳から涙を溢すまいと、唇を強く噛みしめ堪える。
そんなシンにはお構いなしに、野営地では歓声や歌声で賑わっていた。
「師匠!」
一番弟子であるカイルが、ワインを満たしたジョッキをシンに手渡してくる。
シンは大きく息を吸ってから起き上がると差し出されたジョッキを手に取り、なみなみ注がれたそれを一息に飲み干した。
お代わりを持ってこようとするカイルを止め、シンは大きく溜息をつく。その息には濃いアルコールの香りと地球に対する未練の思いが多分に含まれていた。
「師匠、今日も勝ちました!」
元が純朴な田舎の子供だったカイルは、キラキラと輝く瞳を尊敬する師へと向ける。
その純粋さが放つ輝きは、今のシンには眩しくて、つい目をそらしてしまう。
「卑怯な騙し討ちで勝っても自慢にはならんよ」
「でも、でも、あいつらは悪党です!」
「悪党だからって騙しても良いってことはねぇだろうが」
ああいった手合いに襲われ家族を失ったカイルやエリーの敵愾心は高く、また相手に対して一切の慈悲は無い。
それはカイルとエリーに限った話では無く、部隊の大多数の者たちが同じような思いを抱いていた。
戦闘前や戦闘中は、シンも似たような感情を抱き容赦なく敵を屠るが、戦闘後に一気に押し寄せてくる殺人の罪悪感は、惑星パライソに芯まで染まり切れないシンの心を確実に蝕んでいった。
そういった罪悪感に押しつぶされそうになった時に込み上げてくるのが、先程のような望郷の念であった。
「いえ、あんな奴らをのさばらせておくよりは、嘘に塗れてでも始末した方がマシです。それを罪と咎められ死後に地獄の業火に焼かれようとも、僕は後悔しません」
カイルの強い言葉を聞いても、シンは地球の、日本の常識を完全に捨て去ることが出来ない。
今に染まりきれず、かと言って過去を貫くことが出来ない自分は、何と言う中途半端な存在なのだろうかと、ふと情けなさを感じたシンは自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた。
「明日も、その次もこの手を使って勝ち進むんですよね?」
カイルの言葉にシンは首を横に振った。
「いや、明日は兎も角、その次は無い。騙し討ちは明日のウルスト村で最後だ」
「何故です? ここまで上手くいっているのに」
気が付けばシンの周りを皆がぐるりと囲んでいた。
いつの間にか、シンの横に当たり前のように座っていたレオナの、澄んだ美しい声に脳髄が一瞬痺れる。
背後に感じる気配はマーヤのものであろうか? 碧き焔を中心として見張り以外の者たちが続々と集まって来る。
「さっきの傭兵団、何だっけ? ああ……思い出した、灼熱の獅子だ。そのリーダーと言葉を交わした際に、敵の情報伝達が思っていた以上に早いのに驚いたよ。こりゃ、騙し討ちも長くは続けられないと思ったよ。だから敵を騙すのは次で最後にしようと思う。後はこの仕事は騎士団に引き継いでもらって、俺たちは次の段階に移ろうと思っている」
「次の段階? 俺たちは南部を荒らしまわる賊や傭兵たちを一掃するんじゃないのか?」
ハーベイはそう言いながら手に持っていた塩漬け肉に齧り付いた。
「ああ、勿論そうなんだが敵の傭兵団には全滅してもらっちゃ困るんだ」
皆の顔に疑問符が浮かぶ中、ゾルターンだけが興味深そうな視線をシンに投げかけていた。
「補給を絶って飢えた敵を適度に叩いて、ラ・ロシュエルに帰って貰わねばならない。対して稼ぎも無く、食い物に飢えた傭兵団は、帝国から追い出されてラ・ロシュエルに戻ったら何をすると思う? 当然、食うためにラ・ロシュエルの街や村を襲い出すさ。俺らはそのどさくさに紛れて、貴族の荘園や創生教の荘園を襲い、攫われた人々を一人でも多く救い出す」
「つまり奴らに罪を擦り付けるのじゃな?」
ゾルターンは、それは謀略というより悪戯に近いものがあるわと、カラカラと笑う。
「その通り! 俺たちだけが暴れたら目立っちまって仕方がねぇ、俺たちは他の傭兵団の名前を借りて暴れ回るのさ。上手く行けば追っ手が勘違いしてくれるかもしれないだろ? 今、影や諜報に傭兵団の名前を調べて貰っている所なんだ。そうだ、灼熱の獅子の名前も使えるな……」
自分たちが明日、せいぜい明後日のことを考えながら戦っている時に、シンは自分たちの考えが及ばない遥か先の事を見据えて戦っているのだと気付いた皆は、一様に身震いした。
「ふむ、じゃがまだ我々がラ・ロシュエルに行くのは早いじゃろう?」
ゾルターンの問いにシンは頷く。
「ああ、ラ・ロシュエルに行く前に、ちょっと確認したい場所があってな……地図で見ただけじゃわからないんだ」
「場所?」
「ああ、追っ手に追いかけられた時にやり過ごしたり、撃退したりするための場所をこの目で確認しておきたいのさ」
「なるほど、戦場の下見と言う訳じゃな?」
「そういうこと。明日、ウルスト村を叩いてからそれらの場所へ向かう事になる。騙し討ちは明日で最後だ、みんな……バレないようにしっかり頼むぜ」
シンの声に呼応して、野営地に熱を帯びた雄叫びが響きわたる。
その熱気に煽られても、シンの心は冷えたまま……ワインをもう一杯引っ掛けて、そのままやや強引に眠りへと着いた。
翌日、ギルボン村の時と同じようにレオナ、エリー、マーヤの三人と他に十名ほどが攫われた人々に扮して作戦は開始された。
マーヤが動きやすくするために、ドレスの裾を破ったのを見たレオナとエリーは、自分たちも動きやすいようにと、同じように裾を破いた。
三人の破いたドレスの裾から見え隠れする美しい足に、部隊の男たちからの熱視線と囃し立てる口笛が放たれる。
シンは一瞬、賊の振りではなく本当の賊の頭領になったかのような錯覚を受け、思わず口許を綻ばせた。
いざ作戦が始まると、昨夜のような罪悪感や望郷の念は何所へ行ったのか鳴りを潜め、心中に沸々とした戦いの高揚感が湧き上がって来る。
「よし……傭兵団鷹の爪、行くぞ!」
「そう言えば鷹の爪って名前、かっこいいですね」
何気ないカイルの一言に、シンは思わず吹き出した。
「カイル、鷹の爪ってのは俺の故郷では唐辛子の事なんだよ」
それを聞いたエリーがまず笑い、その笑いはたちまち部隊を包み込んだ。
「つまりシンの国だと俺らは傭兵団唐辛子ってことか、こりゃ傑作だぜ!」
ハーベイも腹を抱えて笑っている。
この笑いのおかげで、皆の肩の力が抜け、漲っていた殺気が薄れて行った。
これでいいとカイルに感謝する。先程までのように血走った眼をして殺気を漲らせていては、敵を騙すことは出来ないだろう。
今のようにある程度気が抜けている方が、敵に無用な警戒心を抱かせることが無いかも知れない。
皆が笑顔の中、唐辛子をかっこいいと言ってしまったカイルだけが困惑したような複雑な表情を浮かべていた。
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