無位無官となったシン、帝都を発つ
「では最後にもう一度、今後の展開についておさらいしておこう」
皇帝は卓上にある鈴を鳴らして近侍を呼ぶと、宰相のエドアルドを呼んで来るよう言い付ける。
程なくして宰相が皇家秘蔵の地図を持って現れると、それを卓上に広げた。
シンは皇帝の差し出した指揮棒を受け取ると、地図を指示しながら説明を始めた。
「まず最初の目的は、ラ・ロシュエルが送り込んで来る賊を装った傭兵団と奴隷商人の排除」
南部の国境沿いを指揮棒で何度もなぞる。
「次に今度は俺たちが賊に扮して越境し、貴族の荘園、創生教の荘園、奴隷商人の店舗やアジトを襲い攫われた人々を一人でも多く救い出す。その救い出した人々はレーベンハルト伯に任せる。救い出した人々の中から戦意のある者たちを選んで軍事教練を施して、戦力に加える。まぁ暴れ回ってしばらくすれば、ラ・ロシュエルの騎士団や創生教お抱えの聖騎士団が討伐に来るだろうから、そうなったら一度退くぜ」
「うむ。奴らも馬鹿ではないだろうから、調べてお主が率いている事を見破るであろう。当然、余に責任を問うて来るであろうが、余は知らぬ存ぜぬを通す。だがシンよ、気を付けろ。そうなると表立っての支援は出来ぬぞ」
皇帝の注意喚起を受け、シンは深く頷いた。
「わかっている。そこで、そうなったら俺は一度兵を引く。亜人たちの国へ行き、そこでゲリラ活動に入る」
シンの口から発せられたゲリラという言葉は、帝国にも、いや中央大陸の何処の国にも無い言葉であった。
皇帝と宰相の顔に疑問符が浮かんでいるのを悟り、シンは言葉を付け加えていく。
「ああ、ゲリラっていうのは……まぁこの場合は要するに、亜人たちに武器や物資を帝国から供与して、ラ・ロシュエルに抵抗させるってことだと考えてくれ。今は各氏族がバラバラに抵抗しているのを、出来る限り纏め上げて組織的に抵抗させる。そこで、以前に話した通り、俺に外交権限を与えてくれ」
「それは構わん。だが前に協議した通りだとは思うが、今一度その外交方針の確認を頼む」
「ああ、そうだな。まず、帝国に組すると決めた亜人の氏族には、元の領土に加えラ・ロシュエルから削り取った領土を与える。この条件で奴らを釣りたい」
皇帝も宰相もその条件に異論は無い。至って普通と言っても良い条件である。
「組しない氏族はどうする?」
「それだが、そんな時流の読めない奴らは滅んでくれて構わないんだが、今回ばかりはそうは行かない。そこで元の領土を返してやることを条件に、ラ・ロシュエル側に組しないように約定を交わす」
「それでは、先の帝国に組する者たちから不満の声が上がるのではないか? 何もせずとも元の領土を返してしまってはな……」
「ああ、出るだろうな。帝国に組した氏族とそうでない氏族との間に溝が出来るだろう。聖戦の後はそこを煽る。帝国に組しない奴らなんぞ、残しておく価値はねぇ。帝国に協力的な氏族たちに裏から武力供与して、滅ぼさせる」
「それだとその氏族たちが力を着けて、第二のラ・ロシュエルが出来るのでは?」
宰相の疑問に、皇帝も同様の懸念を抱く。
「ああ、だからそうならないように、恩賞で与える土地の量に差をつけたりして不満を煽り、常に互いに争うように仕向ければいい。何にせよ、各氏族を一時的には纏め上げるが、最終的にはまたバラけさせる方向で行きたい」
ラ・ロシュエルと言う敵を折角倒したのに、それに代わる強大な敵国を作り上げないようにせねばならない。
最初に融和政策も考えはしたが、普人種と亜人種の習慣や文化の差からいって、短期間でどうこうなるようなものではないために、諦める他なかった。
それに、この程度の策謀に気が付かぬようでは、氏族や国家の長たる資格はない。
そんな長を戴く氏族や国は、この弱肉強食の中央大陸では滅びるのは当然だとシンは考えていた。
時は正に戦国時代、血で血を洗うような地獄の真っ只中。他国に情けなど無用である。
「方針はそれで良いな。何にせよ先ずは、来るべき聖戦に勝たねばならぬ。レーベンハルトが用意した、ラ・ロシュエルに恨みを抱く者たちで構成された部隊……その数が凡そ百だが、ちと少なくはないか?」
皇帝ヴィルヘルム七世は、武芸はからっきしで軍事に疎い。
そのため、普段はあまり軍事に口出すことは無いが、シンの身を案じるが故に今回は口を挟んだ。
シンはその思いを汲み取り、感謝の念を心中に抱きながら、皇帝の不安を取り除くように丁寧に説明して行く。
「大丈夫だ、問題無い。最初に行う掃討作戦は、南部の騎士団と協力体制で臨むし、越境してからはあまり大部隊だと目立ってしまって返って危険になってしまう。欠員が出た時は、補充を頼むよ」
「わかった。物資、人員、何か足りない物があれば言うが良い。直ちに用意させよう」
黙って聞いていた宰相エドアルドが、手を上げて発言する。
「シン殿が要望していた影なのですが、本当にあれでよろしいのですか?」
それは、シンが諜報員として随行させる影たちの多くが、ベテランでは無く新人揃いであることに対しての疑問であった。
「……良くは無いが、これしかない。手練れは要人警護やもっと重要な諜報に回すべきだし、影自体設立から日が経っていないがために、これ以上どうする事も出来ない。実地で鍛え上げていくしかないな……」
「わかりました。そうですな……陛下、ブナーゲル子爵が率いる間諜からも、多少の人手を回して貰うというのはどうでしょうか?」
「うむ。向こうもあまり余裕は無いであろうが、そうするしかあるまいな……何をするにも時間が足りぬ。あと十年、いや五年後ならば……愚痴を言っても始まらぬ、現状で出来る限りの対応をするしかない……」
「それでは行って来る。期間は一年後を目途に……」
「うむ、達者でな。裏で計画通り噂を流しておくぞ、実は今回のは全て演技、実のところは魔法剣を完成させるべく武者修行に送り出されたのだと……」
「それでいい。嘘の中に真実を混ぜる。完全に嘘でなければ、人っていうのは勝手に納得するもんだ」
シンは皇帝と固い握手を交わし、次に宰相とも交わした。
宰相エドアルドは、最初こそシンを危険人物であると警戒していたが、今はそうではない。
敬虔な創生教徒でもあるエドアルドは神託の件以来、正に神が帝国を救うべく遣わした使徒であると思っていた。
二人に別れを告げたシンはその場を去り、宮殿を出てから一度だけ振り返った後、自宅へ急ぎ戻って行った。
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「オイゲン、すまんが後を頼む。もし俺が帰って来なくても心配するな。皇帝陛下が良いように取り計らって下さるはずだ」
「お館様……このオイゲン、お館様が御帰りになるのを、いつまでもお待ちしておりますれば……」
オイゲンはシンをお館様と呼んでいた。シンが自分は貴族ではないので、普通に名前で呼ぶように言ったが、この邸宅の持ち主である以上はお館様であると言って頑としてゆずらなかった。
「ハイデマリー、ローザを頼む。それと算術はクラウスが多少ならば出来るから、わからないところはクラウスに聞くがいい」
ハイデマリーが抱くローザを抱き上げたシンは、頬擦りをしてその柔らかな感触を楽しむ。
玄関に響くローザの笑い声が、再びここに戻らねばならないという、使命感にも似た感情を呼び起こす。
その横でクラウスが、仏頂面をしているのが目に入った。
「クラウス、ちょっと来い」
皆から少しだけ離れたシンは、手招きをしてクラウスだけを呼びつける。
「クラウス、いいか良く聞け……これは、帝国内でも極々一部の者にしか知らされてはいないことだが、近いうちに帝国は大きな戦争に巻き込まれる。その時はクラウス、お前や近衛騎士養成学校の生徒たちも戦場に駆り出されるかも知れない。だから、俺が居ないからと言っても絶対に手を抜くんじゃないぞ。あと、この事は他言無用だ。まだ秘中の秘であるため、漏らせば影に消されるから気を付けろ」
シンから国家的大事を聞いたクラウスは、全身の毛を逆立てながら背筋を伸ばした。
両の眼を大きく開けて、コクコクを大きく頷く事しか出来ない。
そんなクラウスの顔を見て、シンは吹き出しながら両の肩をバンバンと力強く叩く。
「じゃあ、言って来るぜ。後は任せた」
「師匠! ご武運をお祈りしています!」
背に掛けられたクラウスの言葉に、シンは振り返らずにただ天に向かって右の拳を突き上げると、颯爽と龍馬のサクラに跨り、帝都南門方向へ駈け出して行った。
ブックマーク、感想ありがとうございます!
すいません、お待たせしました。
熱は下がりましたが、患部の腫れが引かずより酷い状態になってしまって、精密検査を受ける事になりました。
感想の返信も遅れており、申し訳ありません。




