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帝国の剣  作者: 0343
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はじまりから血の臭い

 春の気怠い昼下がりの高速道路を一台の観光バスが走る。


 修学旅行の日程を終え帰路に着く生徒男女併せて三十二人を乗せて渋滞にも遭わず、このまま予定通りに解散場所に着くはずだった。


 窓から外をぼんやりと眺める生徒の一人、佐竹 真一は憂鬱だった。

 自分は何のために生まれて来たのだろう。

 決められたコースをただ歩く人生に意味はあるのだろうか?

 今のつまらない世界が続くならば、自分は耐えられないかも知れない。

 思春期なら誰もが考えるような事だが、真一を取り巻く環境が心の影の部分を他の人間よりも、深く濃くしていた。


 真一は私立東鳳大付属高校の一年生で幼稚舎からのエスカレーター式の進学校に通い、成績は努力しても何とか上位に食い込む位でしかなく、頭が特に良いとは言えない。

 運動は得意であったが進学校故に運動部は弱小で、華々しい活躍の機会に恵まれずその内面に燻るものが、どんよりと淀みのように堆積していた。


 修学旅行の賑やかさの余韻が漂うバスの車内は、何人かは寝ているもののあちこちでお喋りの声が満ちていたが、真一に話しかけるものは誰もいない。

 何故なら真一はクラスで浮いていた。

 家庭環境のことも原因の一つだが、真一自体が深く人と付き合おうとしなかったのである。


 父親はエリート官僚、母親は良家の子女で見合い結婚の末に彼が生まれた。

 両親の仲は良好とは言えず、父親は出世欲が異常なほど強いうえに家庭を一切顧みることがなかった。

 母親の方は多少ヒステリーの気があり、父親との仲も上手くいってなかった。

 その目は自然と真一に向けられる事になるが、自分の生み出した優秀な作品を世に知らしめ、その母親であることを周りに認識させたいというような一種の倒錯した顕示欲を持っていた。

 実の子に対する愛情というよりは作品や物に対するような歪んだ愛情を真一に注ぎ続けた。


 子供は両親の感情に敏感である。自分が人としてではなく物としての愛情を注がれていると知った時に真一は家族の事など、どうでもよくなってしまった。

 兄弟でもいればまた違ったのかもしれないが、残念ながら真一は一人っ子であった。

 両親の思惑は違っていたが教育方針は一致していた、徹底したエリート教育を真一に施そうとしていた。

 幼少の頃から知育玩具しか与えられずテレビも教育番組とニュースだけ、漫画やゲームなどは当然のごとく排除された。

 趣味も書道などなら未だしも娯楽的なものは何一つ許されなかった。


 これが後にクラスで浮く切っ掛けとなってしまう。

 学校というのは学業だけではなく人間関係やコミュニケーション能力の練習と発達の場でもある。

 切っ掛けは何でもいい、共通の話題から入り趣味嗜好が似通ったものが集まりグループが形成されるパターンが多いと思うが、彼はまず共通の話題……主に子供な話題の中心的なテレビ、漫画、ゲーム、趣味などの知識や経験が殆ど無い。

 そのため子供たちの輪に入り込めないし、そもそも会話にならないのだ。

 子供たちが集まり、昨日のテレビの内容やゲームの話に興じる中、真一は無言で佇むしかなかった。

 真一は会話に入ることが出来ずだんまりになるしかない。

 そのうち子供達もあいつとは話すことがない、一緒にいてもつまらない、いつでも黙ってて気味が悪い、暗い、などと陰口を叩かれ始めた。

 これだけならまだしも両親がこの状態に盛大に油を注いだ。

 本当に数少ない友人に対し成績や家柄が釣り合わないから付き合うのを辞めるように言い、その事が何処からか漏れて伝わり、子供だけでなく保護者たちの反感をも買ってますます孤立することとなる。


 そんな真一にとって心休まる時間は、習い事の剣道だった。

 稽古に通う切っ掛けは、官僚である父親が元警察官僚OBが開いていた道場に真一を通わせることでパイプを強化するためであった。

 だが真一にはそんな事はどうでもよく剣道の面白さ、奥深さに嵌まり込んで行った。



---



 真一は面白くなさそうに外を眺めていた。

 外を眺めるのに厭きた真一は英会話の本に目を通す。


「こんな時までお勉強かよ、相変わらずつまらねぇ奴だな……息苦しいったらないぜ」


 隣の席の本多が吐き捨てるように呟く。


 やがてバスはトンネルに入り車内は一気に暗くなる……

 真一は読んでいた本を閉じ、窓からトンネル内を見る。

 点いているはずの照明の明かりは全く見えず、真っ暗闇であり、何故か心がざわつくのを感じていた。

 そのうちにざわざわとクラスメート達も騒ぎ出す。

 しばらくすると前方が明るくなってきて車内に軽い安堵の雰囲気が流れ始め、このまま何事もなくトンネルを抜けると思われたその時、激しい衝撃と鼓膜が破れんばかりの音が車内の全員に襲い掛かる。

車内が上下左右に振られ激しい振動に物が中に舞う! 突然のことで誰もトンネルを抜けた外に目を向けるどころではなく必死に手すりや席自体にしがみつき目をつぶり悲鳴をあげる。


「うわあああああああああああっ!」


 前方から野太い声で一際大きい叫び声がした瞬間、一際大きな衝撃が車内全体を襲い、人が前から後ろに飛ばされてくる。

 甲高いクラクションの音が鳴り続ける中、あちこちで呻き声や咳き込む音が聞こえる。


 真一はとっさに手すりに捕まり体を丸め歯を食いしばり衝撃を備えたが、口の中を切りその血に咽て咳き込む。

 口の中に溜まった血を足元に吐くと顔を上げて車内を見回し、悲惨な光景に思わず絶句した。

 隣の席の本多が床に倒れていたがうつ伏せに倒れているのにその顔は天井を向いていた。

 体は小刻みに痙攣し口から血の泡がブクブクと溢れ出し口の端を伝って床に血だまりを作り始めている。

 どう見ても助かる見込みがないのが嫌でもわかってしまう。


 やがて車内のあちこちからつんざく様な悲鳴が上がり一種のパニック状態に陥った。

 真一もまた人の死を初めて目の当たりにして顔は青ざめ動悸が激しくなり、軽い眩暈と吐き気に襲われていた。


 どれ位時間がたったのだろう、いつの間にかなり続けていたクラクションは鳴りやみ担任の石田が点呼を取り始めていたが、返事を返した生徒は少なく車内には相変わらず苦痛の呻き声に満ちている。

 真一は口の中を切り口中に溜まった血を床に吐き出すと、身体の他の場所に異常がないか確かめる。

 体のあちこちが打撲で痛むが骨に異常は無さそうでほっとするが、肺が若干ではあるが苦しくそれだけが気がかりではあった。

 遮光カーテンを持ち上げ外を覗いてみて真一は眼を擦り、何度もまばたきをする。


「は?……何だこれは……何処だここは?」


 外に広がるのは広大な草原、遠くに赤茶けた岩山が見え、まるでオーストラリアのエアーズ・ロックを彷彿とさせる。

 また反対方向を見ると草原の二、三百メートル先に鬱蒼と茂る森があった。

 視線を動かし前を見ると、バスの前部が潰れ黒い壁にぶつかったらしいことがわかった。

 首を振って左右と後ろを見回しても、トンネルも高速道路も影も形もなくただただ雄大な自然を見せつけられるだけであり、真一もしばらく茫然とせざるを得ない。


 暫し放心状態にあった真一を現実に引き戻したのは臭い、それも血の臭いであった。

 車内のあちこちから悲痛な呻き声が聞こえてくるあたり傷ついたり、残念ながら本多のように死んだ者もいるのだろう。

 深く息を吸い込み心を落ち着かせようとしたが、血の臭いを胸いっぱいに吸い込んでしまい不快感に顔を顰める。

 取り敢えず何かしらの行動を起こすべく足をふらつかせつつ立ち上がると、想像以上の惨状に又もや絶句する。


 運転手は即死、添乗員も床に倒れ、口から血を流し眼を開けたまま身じろぎ一つしない。

 クラスメートは八人が死亡。

 意識不明が二名、重症が三名、残りの全員も打撲や擦り傷など何かしらの怪我を負っている。

 担任の石田は左のこめかみの辺りから血が流れ左の頬は赤く染まっていたが、意識はしっかりしているようで周りの無事な生徒達に指示を飛ばしていた。

 怪我人の治療などは殆ど行われず怪我の程度や意識の有無を調べるのが精一杯、だがこれは仕方がない。

 全員が医療の知識など殆ど無く苦痛に呻くクラスメートに対して全くの無力であり、事故のショックで励ましの言葉すら出てこない。

 しばらくして、石田の指示で遺体を車内の前方に移動させ意識不明の者や重症の者は動かさず軽症者を車内後方に集めた。

 担任の石田は傷の痛みに顔を顰めながら生徒たちを励ます。

 だがこれは半分自分自身に対する励ましのようであり、大人とはいえこの場では何の役にも立たないであろう石田に対する生徒たちの反応は薄い。


「直ぐに救助が来る。気をしっかり持つように! 必ず助けは来るんだ、救助が来るまで皆で力を併せて頑張ろう!」


 生徒たちはまだ混乱から回復したとは言えず、石田の言を聞いてもそれぞれが思い思いの行動や言動を取っていた。


「先生、本当に救助は来るんですか?」


 ある生徒は石田の言葉に懐疑的であり、逆に食って掛かるような言動をする。


「スマホが圏外だわ、これじゃ通報出来ないじゃない! どうすんのよこれぇ!」


 またある生徒は外部と連絡を取ろうと試みるがそれが敵わないと知ると狂ったように泣き叫んだ。


「ううっ、お母さん……助けて……」


 救いを求める負傷者の苦痛に満ちた声が車内に溢れだすと、それまで気丈に振る舞っていた者たちも嗚咽を漏らし始める。


「救助は必ず来る、必ず来るから信じて待つんだ!」


 根拠の無い石田の言葉は空を虚しくただ彷徨うだけで、誰の心にも入って行かない。


 本当に救助はくるのだろうか? なんというかこの事故は普通じゃない気がする。

 上手く言葉には出来ないのがもどかしいな。真一は口には出さずに心の中で呟く。


 少しずつ落ち着きを取り戻してきた車内には血の臭いの他に吐瀉物や糞尿の臭いに溢れていた。

 充満する悪臭に耐え切れなくなった生徒達が窓を開け放つが、この行為が後に恐怖の引き金になるとはこの時は誰も思いもよらなかった。


 真一は車外の様子をもっと詳しく知りたいと思ったが、担任の石田が生徒達に車外に出る事を禁じていたため何とか車外に出る口実を考えていた。

 そして直ぐに一計を案じる。


「先生、トランクルームから荷物を取ってきていいで」


 言い終わる前に鬼のような形相で石田が怒鳴る。


「駄目だ、車外に出るなと言っただろう!」


 これは相当精神的に参っているなと思いながらも真一は猶も食い下がり、車外から荷物を取ってくることを提案する。


「荷物の中のタオルや着替えを怪我の治療に使えませんか? お土産の食べ物もあるはずです」


 怒鳴ったことによって少しは気が落ち着いたのか、しばし考えるような仕草を見せた後で渋々と言った様子で許可を出す。


「……そうだな……仕方がない許可する」


 真一は早速行動に移る。

 バスの出入り口はひしゃげていてかなり狭くはなっているが通れないこともない。

 車内前方に移動させた遺体をなるべく見ないようにしながら外へ出ると開放感からか自然に伸びをして声が出た。


 バスがぶつかった黒い壁の正体が気になっていた真一はそれを見て驚く。

高さは少なく見積もっても十メートル、幅は六メートル程であろうか、厚さは三メートル程の長方形をした物体であった。

 色は全体が黒一色で風雨に晒されているであろうに、磨き上げられたように美しかった。

しばらく謎の建造物らしきものを眺めた後、目的の荷物を手に入れるべく反対側のバスの側面へと回り込んだ。

 トランクルームの扉は既に壊れていて半数程の荷物が残っているだけだった。

 残りの荷物は何処にいったのであろうか? 草原を見回してもそれらしきものは落ちてはいない。

 真一は自分のバックパックを見つけたが、親しくも無いクラスメート達に自分の私物を提供する気にはなれず、誰のかわからない他人のカバンを幾つか運び込む。

 カバンを運びながら周りの様子を覗うが、何処をどう見回しても高速道路やトンネルを見つける事は出来ず豊かな自然が広がるばかりであった。

 夕日が赤く大地を染め上げ始める……遠くに見える赤茶けた岩山が一層赤くなり一瞬事故のことなど忘れ見惚れてしまいそうになる。

 車内に一通りカバンなどを運び終えると、後の事は担任の石田に任せてさっさと自分の席に戻り、これからのことを考え始めた。


 誰も助けに来ないまま時間だけが流れ、虫の鳴き声が夜の闇を支配しだした。

 何の虫かわからない鳴き声と怪我人の呻き声、すすり泣きや両親や神に救いを求める呟きなどが真っ暗闇の車内に絶え間なく響く。

 これには流石に真一も気が滅入り、耳を塞ぎたくなる。


 しばらくすると突然虫の鳴き声が一斉に止む。

 次の瞬間けたたましい叫び声が上がり車内の全員が思わず息を止めた。

 何かの生き物の甲高い鳴き声が暗闇に響き渡る。

 鳥だろうか? 一羽が鳴くとそれに呼応するように数羽が鳴き返す。

 近づいているのだろうか? 段々と鳴き声が大きくなり真一は気になったので窓の外に目を凝らして見ると暗闇の中に赤く光る無数の光点が、ゆらゆらと近づいてきてるのがわかった。

 他の生徒も窓から見て気が付いたのだろう。

 何か居る、何か居るぞ! と誰かが叫び、他の生徒がスマートフォンの明かりで外を照らし始める。

 それは微々たる明かりだが黒い大きなシルエットを映し出すことには成功した。

 黒い大きな生き物がバスを取り囲んでいるのがわかると車内で一斉に悲鳴が上がる。

 真一はその黒く大きいシルエットを開けっ放しの窓から見て、ハッと気が付く。

 ――――しまった、匂いだ……血の匂いに惹かれてやって来たんだ。だとすると拙い、武器も何も無い上に救助の当ても無い……一体どうすればいい?


 車内から悲鳴が上がると、それに呼応するかのように謎の怪物も一斉に鳴き声を上げだす。

 この悲鳴と鳴き声の合唱が恐怖満ちた夜の始まりの合図となった。










ちょっとだけ合間を見て修正しました。

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