冒険者は何でも屋
鉛色の空から降り注ぐ激しい雷雨を受け、雷に怯える馬たちを抑えつつ中継地点の村へと急ぐ。
龍馬に跨るレオナ、御者をしているハンクは、馬車の中から手渡された外套を被り風雨を凌ぐ。
手渡された外套は表面に塗られた獣脂の匂いがきつく、レオナはその鼻に付く匂いに形の整った眉を歪めた。
外套の裏側には蝋が塗られており、水分の浸透を妨げている。
それでも隙間から入って来る雨風に、体温を奪われ不快感が増していく。
シンの着るバルチャーベアの毛皮で作られた外套も表には獣脂、裏には蝋が塗ってある。
時折風のいたずらによる横殴りの雨のせいで視界が遮られ、その度に一行は足を止めなくてはならなかった。
雨が上がり、先を急ごうとするシンたちに立ちふさがるのは霧である。
数メートル先すら見ることの出来ない霧に、シンは諸手を上げて降参した。
無理をしてはぐれたり魔物や賊の奇襲を受けるならばと、街道の脇に馬車を止め身を寄せ合うようにして霧の晴れるのを待つことにした。
乳白色の濃い霧は、雨よりも遥かに厄介であり、息苦しさと体温の低下、それに敵襲に対する不安とストレスを感じずにはいられない。
レーベンハルト伯爵に霧が晴れるまでは待機する旨を伝えると、シンはメンバーにいつもよりも短い間隔で交代しながら周囲の警戒に当たるよう指示を飛ばした。
僅かな隙間からでも、容赦なく侵入してくる霧によって下げられた体温を取り戻すのに、体力の消耗が激しいためにそうせざるを得ない。
ついでに、気付け用に用意してある赤ワインの飲酒についても許可を出した。
ゾルターンやハーベイが調子に乗ってがぶ飲みするのではないかとの不安もあったが、二人ともベテランの冒険者らしく、時と場合をきちんと弁えていた。
「みんな、すまないな。霧が晴れるまでは待機だ」
「仕方があるまいて……所詮、人は偉大なる大自然には勝てぬ。若いお主らのことだから、怖いもの知らずに先へと急ぐのかと思うたが、やはり一角の冒険者よのぅ。いやいや、決して見縊っておった訳では無いぞ」
ゾルターンはいざという時には、自分がパーティの抑え役をせねばなるまいと思っていたが、旅慣れ、迷宮慣れしているシンたちには無用であったかと、皺に刻まれた顔を綻ばせた。
「それにしても、すまんな。護衛任務ばかりで……」
冒険者であるからには、未知の世界へと挑んだり迷宮に深く潜ったりするのが本来の姿だろうと、この時までシンは思っていた。
「ん? そりゃ貴族の護衛ってことで緊張はするけどよ、報酬は高額だし最高じゃないか」
「ああ、まったくだ。やっぱり、国のお抱え冒険者ともなると仕事の報酬も段違いだよなぁ……」
ハンクとハーベイは最初この依頼を受けた時に報酬の多さに驚き、何度もシンに間違いではないのかと聞きなおしていたのを皆は思い出す。
「でも、冒険者なら迷宮とかに行きたいだろ? それを護衛任務ばかりになっちまって申し訳ないと思っているんだ」
シンの言葉に皆は口を開けてポカンとする。
あたまの回転の速いハンクが、いち早くシンと皆のズレに気が付いた。
「そうか、シンは異国の出だもんな……シン、冒険者ってのは言わば便宜上の名称で、その実態は何でも屋なんだぜ。そりゃグラントさんみたいに、迷宮に魂を売っちまう変人もいるけどさ、大抵の冒険者は金を稼ぐために迷宮に潜っているんだ。他で稼げるなら、態々無理に危険を冒して迷宮に行くことは無いのさ」
「そうそう。何でも屋だと恰好つかねぇから、冒険者って名乗っているだけで、やっていることは荷運び、護衛、傭兵などが大半だろうよ。俺たちは現状に満足しているぜ」
ハンクとハーベイが不満が無いと知り、シンは少しだけ心のつっかえが取れた気がした。
何でも屋か……シンは今まで冒険者ギルドで受けた依頼を思い返してみると、確かに傭兵、荷運であった。
魔物の討伐も、言うなれば傭兵の一形態と言えるだろう。
「だが、危険な迷宮にも一つだけ他には無い利点がある……それは、魔物や人との戦闘だ」
「……そうだな……あれ程の濃い経験は、他ではそう滅多な事では味わえないだろうな……まぁ修行には持って来いかもしれねぇが、死んじまったら元もこうもねぇ。やっぱり引き際が肝心よ、俺たちはそれを嫌って言うほど思い知らされたぜ……」
ハンクとハーベイの実体験から来る言葉には、千鈞の重みがある。
一応不満などは無いかと、それぞれに聞いて回るが、誰もかれも現状には満足しておりシンはホッと胸を撫で下ろした。
霧に包まれたまま夜を迎え翌朝になるまで霧は晴れず、ずぶ濡れで体温を奪われた龍馬と馬はへそを曲げてしまっていた。
「サクラ、すまんな。朝飯はしっかり食べてくれよ」
不機嫌そうにゴロゴロと喉を鳴らす龍馬であるサクラの身体を、乾いた布で拭い水分を飛ばしていく。
朝食には時間を掛けて、火の通った物と熱いスープを用意し、身体を冷やした龍馬や馬にも普段よりも消化の良い食事を与えた。
雨によって道の悪くなった中、馬たちは乗り手たちの期待に良く応え、日暮れ寸前に中継地点の街へと滑り込むに至った。
屋根のある場所で眠れる喜びを噛みしめ、先触れによって確保してある宿の部屋でそれぞれが身体を休める。
そんな中、伯爵とシンは賊となった後の事について話し合っていた。
「すると、兵は要らぬと言うのか……しかしそれでは……」
「全く必要ないわけではありませんよ。ただ、身元が割れてしまうと、敵に口実を与えかねません。ですから本当に必要な時以外は正規兵は使わないで行こうと思っております」
「だが、幾ら卿らが一騎当千の強者とは言っても限度はあろう?」
「兵力の拡充は図ります。それについては、解放した人達から戦意のある者たちを集めようと思っております。彼らは攫われた家族を取り戻すため、あるいは復讐の為に力を貸してくれるでしょう。武器や食料などの支援は伯爵に全てお願いすることになってしまいますが……」
「それは承知した。だが、いくら戦意は高くても素人だぞ?」
伯爵の危惧するところはシンも承知していた。
「そこで彼らの人数がある程度揃った時点で一度活動を止めて、後方で訓練を施して貰いたいのです。その間に私は、亜人たちの国に赴いて協力を求めて見ようと思っています」
「訓練するのは構わぬが、亜人たちが帝国に協力するかは、甚だ疑問と言わざるを得ぬな」
伯爵は先帝の施した悪法である亜人追放令に振り回された、苦い経験を思い出す。
亜人たちを不当に国外へ追い払うのは、返って国の損失となりかねないと声を上げた幾人かの貴族たちは、反逆罪を言い渡されその一族郎党を滅ぼされた。
それらの行いにより先帝に対する忠義をすっかりと失った伯爵は、ラ・ロシュエル王国と帝国との微妙な力関係を盾にとって、サボタージュを決め込んだ。
南部から亜人を追えば、当然南にあるラ・ロシュエルにも多数が逃げ込むだろう。
属国とはいえ近年実力を伸ばしつつあるラ・ロシュエルに亜人たちの難民を送り込むのは、かの国の戦力を増やす結果となりかねないが、如何にすべきかと問うた。
帝都ではそれについて会議が行われたが、一致した見解を得ることが叶わず、問題は先送りとなる。
それに付け込んで伯爵は、完全に亜人追放令に対してサボタージュを決め込み、そうこうしている内に先帝は病に倒れ、亜人追放令自体が有耶無耶となっていった。
だが、南部では亜人は迫害されなかったが、他の地方ではそうではない。
国外へ追い出された彼らの一部は、ルーアルト王国やハーベイ連合、そしてラ・ロシュエル王国を伝って同族の元へと向かった者もいる。
彼らによってもたらされた情報により、亜人たちの各部族は帝国に対して悪感情を抱いている事は明白であった。
「ええ、平時ならば一縷の望みも無いかも知れません。ですが、ラ・ロシュエル王国の侵攻に悩まされている今ならば、話を聞いてもらえる可能性はあります」
シンの数々の偉業は伯爵も耳にしている。もしかしたらという期待が無いわけでは無いが、今回ばかりは荷が重すぎるのではないかと訝しまずにはいられなかった。
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