研鑽惜しむ者は、死神の腕に抱かれる
新しい仲間としてマーヤが加入した碧き焔は、力信教の帝国に対する全面協力を取り付けたのち、急ぎ帝都へと出発した。
途中に立ち寄った街の宿で、シンは早速行動に移る。
「マーヤ、お前算術は出来るか?」
シンの言葉にマーヤは首を横に振った。幼いころに攫われ拳闘奴隷として育てられたマーヤは、数こそ何とか数えられるものの簡単な計算すら覚束ない有様であった。
シンはレオナとエリーにマーヤに算術を教えるように言うと、今度はハンクとハーベイ、ゾルターンを呼び、パーティ内でのハンドシグナルの統一と運用方法を検討する。
冒険者にとってハンドシグナルは必須である。声を立てずに意志疎通を図る機会は多く、多くは目線と共に使用される。
今現在、碧き焔ではハンドシグナルが、三つの流派がごちゃ混ぜで使用されている状態である。
一つは碧き焔本来の物、二つ目は暁の先駆者の物、三つ目はかつて冒険者でもあったゾルターンの物。
ハンドシグナルがそれぞれ違うのは、他の者に見られても内容を悟らせないようにするためである。
碧き焔が使っている物に統一するのが筋であるが、シンは思い切って従来のハンドシグナルを廃して新たに制定することにした。
その理由は二つ、一つはそれぞれのパーティの良い部分を取り入れるため。二つ目は皆で知恵を出し合って作ることによりパーティの結束を高めるためである。
紆余曲折を経て作り上げられたハンドシグナルは、以降碧き焔が解散するまで使われ続ける事となり、その完成度の高さから後世において、軍にも採用されることになる。
旅をしながらもシンたちは自己研鑽を惜しまない。厳しいこの世界では、怠惰と堕落は死を呼び寄せる。
今やパーティ内の知恵袋となっているゾルターンは、シンより自然科学の手解きを受け、従来の魔法の詠唱の簡略化を図っている。
手解きと言っても、シンは普通の高校生であったがために専門的な深いところまでの知識は無い。
だが大多数の自然現象が、神や悪魔のもたらす所業であると思われている迷信深い世界では、自然科学の学問としての発展は望むべくもなく、実際に殆どと言ってよい程に学問的には発展してはいなかった。
せいぜい猟師や漁師などが、経験に則って口伝で伝えている程度でしかない。
新たな考え方のきっかけさえ与えれば、ゾルターンならば今まで培った経験とそれらを組み合わせ、一気に技を昇華させるであろう。
シンの目論見は図に当たり、ゾルターンは旅をしながら色々と試していた。
マーヤは連日ハードな訓練を受けていた。持久力アップの為の持久走をはじめ、魔法の訓練、パーティメンバーとの連携訓練、算術や言語の勉強、そしてシンとの組手……並みの少女ならば泣いて逃げ出すような厳しい鍛錬に、不平を表す事無く全力でついて来る。
その姿勢に感化され、シンや他のメンバーも鍛錬に身を入れた。
拳闘奴隷であったマーヤは、拳打は洗練されている。だがそれだけであり、後は素人と対して変わりは無い。
犬狼族という獣人の基礎ポテンシャルの高さと、ブーストの魔法を駆使する事によって、何とか今まで生きながらえることが出来たのだろう。
魔法の指導はカイルに一任し、シン自身は基礎体力の向上と格闘技術を教えることにした。
と言っても、シン自身は剣道しかやっておらず、格闘技と言っても良くて学校の体育の授業で受けた柔道くらいで、後は映像で見たボクシングや総合格闘技、レスリングなど浅い知識しか無い。
だが、何もしないよりは少しでも彼女の生存率を高めるためにやるべきであると、シンは試行錯誤を重ねながら蹴りや投げ技、関節技などを教えていく。
手技、腰技、足技、関節技、挙句の果てには巴投げのような捨身技まで、覚えている限りの技を教え込む。
若い彼女は、水を吸う真綿の如く技や知識を吸収していく。
つらくはないかとシンが尋ねると、マーヤは笑顔を浮かべながら楽しいと地面に指で文字を書いた。
どうやら今まで人から物を教わることが殆どなかったようで、教わった知識や技術を自己のものへと変わっていくのが面白くて仕方がないらしい。
その経験はシンもしており、マーヤの喜びようは良く分かる。
マーヤのメインである拳闘も、現在のボクシングのように洗練されてはおらず、シンが放つ高速ジャブの連打にも、マーヤは着いて行くことが出来ない。
パンチも大体が大振りテレフォンパンチであり、ブーストの魔法で押し切って来た戦闘スタイルを、一から直していくことになる。
勿論シンは拳闘やボクシングについて素人だが、剣術ではあるものの数多くの実戦経験から導かれた戦いの感性を活かして、これまた試行錯誤を重ねながらマーヤに教えていく。
ストレート、ジャブ、アッパー、フック、それらの派生を含め、更に柔道や空手の技と組み合わされたそれは、この世界初の総合格闘技といってもよい。
勿論この世界にも相撲のようなものや、拳闘、鎧組手など格闘技は数多く存在する。
大抵の人間は、あれもこれも手を出して中途半端になるよりは、どれか一つに絞って体得、研鑽を重ねて行くのが普通である。
だがシンは、マーヤの基礎能力の高さとブーストの魔法が使えることに注目し、あえてこの禁を破った。
この目論見もまた図に当たり、マーヤは習得した体術を駆使して、数々の難敵を打ち破って行くことになる。
――――剣術にしろ体術にしろ、魔物の技にしろ見た事ない技に対して、急に対応出来る者なんて殆ど居ないからな。命の掛かった真剣勝負の世界では、ある程度はやったもん勝ちなんだよなぁ……
護衛をアンスガーら影に任せることが出来たのも幸いし、シンたちは帝都への帰路の間、鍛錬する時間を捻出して個々の研鑽だけではなく、パーティの連携なども磨くことが出来た。
時間は有限。特に荒事に身を置き、上を目指すのならばその限られた時間の大半を鍛錬に費やさねばならない。
この世界に、現在の地球のように娯楽が満ち溢れ過ぎていないことも幸いしているのだろうか? それとも鍛錬自体が娯楽の一部と化しているのだろうか?
尤もサボればサボるだけ死ぬ確率が上がるのだから、真剣にやらざるを得ないと言えばそれまでであるが……
日々のキツイ鍛錬に根を上げるものは居らず、皆黙々と自主的に取り組んでいく。
護衛をしてくれているアンスガーら影たちも、自分らに匹敵、あるいは凌駕する密度の濃い鍛錬を目にし、驚愕を隠せずにいた。
後に、この時見ていた鍛錬方法の幾つかは、影の育成に取り込まれていくことになる。
「師匠、見ていてください!」
カイルの自信ありげな顔を見て、何かやるつもりだとわかったシンは、黙ってカイルから離れ静かに見守る事にする。
カイルは目を瞑り精神を集中し自身の愛刀、岩切にマナを流し込みんでいく。
そのマナの流れを、シンはブーストの魔法を使って注意深く観察する。
気合いと共に放たれた剣閃の先にある岩に、縦に亀裂が生じる。カイルは素早く抜き放った刀をそのまま刀を横凪にすると、今度は岩に一筋横に亀裂が走る。更にもう一閃、カイルが大上段から刀を振り下ろすと、岩は粉々の砕け散った。
「お、おおおっ!」
思わず出てしまったシンの驚きの声を聞いたカイルは、その顔に満面の笑みを浮かべた。
「一気に放出するのではなく、三度に分けたのか! 流石だな……その細かいマナの操作に於いては帝国でも右に出る者は居ないかも知れないな」
シンはカイルを絶賛する。カイルの性格から言って、褒めても自惚れたりはしないだろう。
それどころか益々技を磨こうとするはずだとシンは考え、敢えて褒めちぎったのである。
事実、カイルはその後もマナの操作を極めようとし、シンはカイルから色々と教わる事となる。
こうして濃密な鍛錬を重ねながら、道中目立ったこともなく帝都へと帰還した。
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