竜の湯
それまで宴の席で、それぞれが思うままに会話を楽しむ声に満ち溢れていた大部屋は、リヒャルト男爵がシンに対して頼みごとをする段となると、今までの喧騒が嘘のように静まり返る。
その雰囲気に呑まれた男爵が言い辛そうにしながら、上目づかいでチラチラとシンの顔色を探って来るが、いい年をした中年男性にやられても背筋に怖気が立つだけであり、ほろ酔い気分もすっかりと醒めてしまった。
「あ~、いや、そのだな……噂に聞く魔法剣とやらを見せてほしいのだが……」
どのような無茶ぶりをされるかと心中穏やかでなかったシンは、その言葉を聞いて体中の力が一瞬にして抜け落ち、椅子から転げ落ちそうになるのを必死に堪えなければならなかった。
ふと視線を感じて周囲を見回すと、部屋に居るほぼ全ての人たちがシンを見つめ、その返答を固唾を飲んで見守っていた。
「ああ、そのような事でしたら構いませんよ。こちらからもお願いが一つありまして、広い場所を用意して頂きたい」
リヒャルト男爵は、満面の笑みを浮かべながら何度も頷き、街の外れの空き地を用意すると約束した。
喜んでいるのは男爵だけではない。部屋に居るほとんどの人間が、噂に聞こえるシンの編み出した魔法剣が見れると歓喜の声を上げている。
パーティメンバーのゾルターンは興味深そうな目でシンを見つめ、ハンクとハーベイなどは、最早お祭り気分と言った調子で周囲の騎士たちとエールの入ったジョッキを掲げあっている。
不満げな表情をしているのはカイルとレオナであり、何故、奥の手である魔法剣を公開してしまうのかと疑問を含んだ視線を投げかけて来る。
シンはそんな二人に対して意味ありげにウインクをする。それを受けたレオナは何故か頬を赤らめ、そんなレオナを見たカイルは眉間に皺を寄せながら露骨にシンを睨む。
流石にウインク一つでは伝わらなかったかと、頭を掻いて誤魔化していると、再び男爵が話しかけて来たので彼らとの無言での意思疎通を早々に諦めた。
このような宴などにあまり慣れていないシンは、男爵が薦めるがままに杯を重ね、お開きとなる頃にはすっかり出来上がってしまい、カイルの肩を借りねば歩けないほどに酔い潰れてしまった。
カイルは何故シンが秘剣を見せるのか問い質したかったが、千鳥足で呂律の回らないシンを見て溜息をつきながら、赤ら顔の師を寝室へと運んだ。
翌朝、シンは猛烈な二日酔いに襲われることとなった。
吐き気は無いが、激しい頭痛により真っ青な顔をしながら遅めの朝食をご馳走になる。
この後、街の外れの空き地で魔法剣を披露し、そのままブローリンの街を後にする予定だったが、具合の悪そうなシンを心配したカイルが日を改めたらどうかと言うと、シンは激痛に顔を顰めながら首を横に振った。
「いや、時間が惜しい。さっさと総本山に行かねばならない、それが終わったら急ぎ帝都に戻り、今度はルーアルト王国に行かねばならないからな」
「師匠、昨日は聞けなかったのですが、何故魔法剣を見せてしまうのですか? 普通、秘伝の極意などはそう簡単に見せない物だと聞いてますけど……」
カイルの不満げな声色に、シンはボリボリと音を立てて頭を掻きながら説明した。
「カイル、魔法剣は俺やお前だから辛うじて実戦に使えるんであって、あれを見様見真似で出来る者なんぞそうは居らんぞ。ウォルズ村での戦いを思い出して見ろ、技を出すまで……つまり、マナを剣に流して一定量貯めるまで無防備に等しい時間が発生しちまう。お前だから敵の攻撃を躱しながら出来たんであって、常人ならば一切の動きが止まっても可笑しくないほどの集中力を要するだろう。魔法剣は未完の技だ、それにな……皆に見せるのには幾つか考えがあっての事でな……お前、ここで俺がド派手な魔法剣を披露したらどうなると思う?」
問われたカイルがシンを見ると、頭痛によって顔を顰めてはいるものの、口元には悪童の様な笑みが浮かび上がっているのがわかる。
「この世界は娯楽に飢えている。俺が見せた魔法剣は、人々の口々によりあっという間に広まるだろう。しかも広まるにつれて真実に尾ひれが付いて、話がどんどんと大きくなってな……そのうち山を吹き飛ばしたとか言われるようになるぜ、きっとな……もしお前が俺の事を知らないとして、山を吹き飛ばすような化け物の首を獲りに行くか?」
シンの言いたいことを即座に理解したカイルは、酒によって口を滑らしただけではないかと疑った自分を恥じた。
先の復讐者のような輩から自分たちを守るにはどうしたらよいか? シンはあの日から常に対策を考えて行動していたのだ。
それに魔法剣は一朝一夕、見様見真似で出来るものではない。現状、技を盗まれる恐れは無いのだ。
シンとカイルが目指す魔法剣は、ド派手な見せ技では無くより実戦的なものであり、ド派手な見せ技を見てそこを目指そうとすればするほど、実践的な魔法剣の本質から逸れて行くことになる。
カイルは悔しさのあまり唇を強く噛みしめる。シンと自分の年齢差はたったの四つ、世間から見れば対して差は無い。であるのに、この思慮の差は何か? 再び戻した視線に入ったシンの姿が、以前よりも何倍にも大きく感じられ、逆に自分の小ささを強く実感させられてしまい、握りしめた拳に思わず力が入ってしまう。
そんなカイルを見て、シンは心中に喜びが湧き上がってくるのを感じずにはいられない。
――――俺が十五の頃より大分しっかりしているな、器用なだけでなく賢い。全く大した弟だよお前は……
「カイル、もう一度俺たちの目指す所を確認するぞ。俺たちの目指す魔法剣は、実戦で使えるもの。つまり少ないマナの量で高い威力を誇り、尚且つ極僅かな時間で放つ事が出来るもの。高威力だが、溜めに時間が掛かっちまったら魔法を撃つのと何も変わらないからな」
「はいっ!」
目指すところの再確認は重要である。それをやることによって、道を外れても本道に戻る事が出来る。
「ですが、二日酔いの身で大丈夫ですか?」
「ま、何とかなるだろ。そんなに力入れてやるつもりもないしな」
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シンたちは出発の準備を整え、男爵の案内で街の外れの空地へと向かう。
澄み渡る春の青空の元、どこから話が漏れたのか空き地を町人たちが十重二十重にと取り囲んでいた。
シンは皆に下がるように言い、安全な距離まで下がったのを見計らうと、腰から愛刀の天国丸を抜き放ちその刀身を天へと掲げた。
陽光に煌めく刀身を皆に見せた後、シンは正眼の構えを取り刀へと徐々にマナを流し込んでいく。
二日酔いの頭痛に顔を顰めるも、観客たちはそれすらも魔法剣を放つために必要な動作の一つであると勘違いをする。
シンが集中し出すと、ざわめいていた周囲の声は水を打ったかのようにピタリと止まり、普段はありえぬような静寂が辺り一帯を支配した。
そんな中で魔法剣を放つべく集中しているシンの額に、米粒大の汗が幾つも生まれ、頬や鼻梁を伝いながら地面へと落ちて行く。
――――拙い……二日酔いのせいかマナの細かいコントロールができねぇ……どうするか? こんなに注目されて失敗しちゃったでは、幾ら何でも恥ずかしすぎるぜ……よし、大雑把でいいからやっちまうか!
シンの両目がくわっと大きく見開かれ、青い目が瞬時にして赤光を放ち、それと同時に振り上げられた刀はまるで地面に吸い込まれるように力強く振り下ろされた。
爆音に続く轟音、巻き上がる土埃は高さ数十メートルにも昇り、細かく砕かれた土砂がシンのみならず観客たちにも降り注ぐ。
前の方で爆風を浴びた者たちは地面を転げまわり、数秒遅れてからあちこちで恐怖による悲鳴が鳴り響く。
観客よりほんの少しだが前に出て見ていた、リヒャルト男爵や星鴉騎士団をはじめとする騎士達は、爆風と土砂をもろに浴びて尻もちをつき呆然としている。
数分が経ち、舞い上がった土煙が治まってくると、その中心でゲホゲホと咳き込むシンの姿が見えて来る。
全身に土を被り、変わり果てた姿となったシンにカイルは素早く駆け寄る。
「ぶはっ、ぺっ、ぺっ! カイル、今日俺は一つ学んだよ……二日酔いの時は、魔法剣を使ってはならないと……マナの細かい操作が出来なくてな、だから広範囲に爆発させずに深く抉ることにした」
口に入った土砂を吐き出しながら話すシンを、カイルは何とも言えない複雑な表情で見ながら深い溜息をついた。
そんな二人に頭上から水滴が降り注ぐ。
空は相も変わらず雲一つない青空であり、雨雲も無いのに雨など降るはずもない。
だが、二人に降り注ぐ水滴の量は増え続け、心なしか段々と熱を帯びているように感じられる。
地鳴りと共に深く抉られた爆心地から、大量の温水が地上高く沸き上がり、降り注ぐ熱湯から二人は悲鳴を上げながら逃げ惑った。
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シンの放った魔法剣により地中から湧いて出た温泉は、リヒャルト男爵領に大いなる恵みをもたらすこととなる。
温泉により一大観光地として栄え続け、千年経った後も枯れることのない温泉は、シンの湯あるいは竜の湯と呼ばれ貴賤を問わず大いに楽しまれたという。
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病欠していた間に溜まった仕事により、毎日の投稿が無理な状況となっております。
なるべく間を空けないよう努めますので、お許しくださいませ。
そういえばエイプリルフールネタを仕込むのを忘れていた……というよりエイプリルフール自体忘れていました。折角の美味しい時事ネタを、逃してしまったことが悔やまれてなりません。




