燻る者たち
大きな欠伸を手で隠そうともせずに半分寝ぼけ眼で村へと続く道を、ただぼんやりと見つめているのは、元冒険者パーティである暁の先駆者の一人、ハーベイである。
退屈そうな表情を隠そうともせず、二度目の大欠伸をしながら身に着けた装備に視線を落とした。
第一線級の冒険者の頃に買い漁り身に着けた装備は、村の門番となった今も手入れを怠らず、当時と同じ輝きを放っている。
金属部分が朝日を反射して煌めき、その光を見る度にハーベイの心は逆に暗く沈んでいく。
一体自分は何をしているのか? 十五の頃に幼馴染のハンクと共に口減らしとして村を追い出され、冒険者となり今日まで我武者羅に生きて来た。
冒険者として、仲間と共に依頼をこなし勇敢に敵に立ち向かい、そして勝利を掴みとってきた。
それによって得た金の大半は更なる強さを求めてより良い武具へと変わり、己を高めるために厳しい鍛錬を重ねてきたのに……
だが、このざまは何だ? 俺は村の門番をするために数々の魔物と戦い、血を流して来たのか?
辺鄙な村の門番という今の境遇はハーベイの心を深く傷つけ、腐らせていった。
村がハンクと自分の帰還を歓迎してくれたのならば、まだ救いはあった。
だが、両親や兄弟、村長も村人たちも追い出した厄介者が帰って来た程度しか思っておらず、そのくせ自分たちの手におえない魔物の討伐を、ハンクとハーベイの二人に押し付けてきた。
幾ら村に尽くそうとも命懸けで戦おうとも、その日暮らしの安い賃金では、家を買うどころか結婚すら夢のまた夢。
このまま死ぬまで村にこき使われ、最後には使い潰されるのかと思うと、鬱屈した怒りがふつふつと内から湧き上がってくる。
そんな二人に対し、唐突に人生の岐路が訪れようとしていた……
温かな日差しを受けて、村を魔物から守るために建てられた柵に寄りかかって転寝をしていたハーベイは、遠くから微かに聞こえて来る馬車の音を聞くと、腰の剣に手を掛けながら道の先を凝視する。
耳と目の良さから、暁の先駆者では主に斥候を担当していたハーベイは、冒険者を辞めても衰えていない自分の五感に頼もしさを感じていた。
行商が来るのは来月のはずだと、訝しみつつ村に迫り来る集団を注意深く観察していると、竜騎兵が一騎隊列を離れて村へと駈け出してくるのが見えた。
竜騎兵だと? 貴族様の先触れか何かか? 取り敢えず村に警報を鳴らしておくか……
ハーベイが警鐘を鳴らそうと高台に登ろうとしたとき、駆けて来た竜騎兵から聞き覚えのある声がして、ハーベイは再び竜騎兵に目を向けた。
「お~い、ハーベイ! 俺だ、シンだ!」
まだ遠い距離から良く通る声がハーベイの耳に届く。
シン? シンか? まさか!
ハーベイは警鐘を鳴らすのを止めて高台から飛び降り、村へと土ぼこりを上げながら駆けて来る竜騎兵を見ると、騎手が手を大きく振っている。
騎手の背には常人では振り回せないような大剣が、その身に纏うは黒い鎧と黒い外套、黒い兜を被っているため顔まではわからないが、あれは間違いなくシンだと確信する。
「やっぱりハーベイだな。久しぶり、元気そうだな!」
ハーベイの目の前で、竜馬から飛び降りた男は右手で兜のバイザーを上げながら、ハーベイに笑いかけて来る。
「シン! シンじゃないか! 一体どうして?」
頬に新しく出来た傷があるが、大柄なその背格好と凍てつくような青い瞳と、その鋭い視線のために凶悪と言っても良い人相は、紛れも無く竜殺しのシンであった。
「ああ、ちょっとな。用事で近くを通ったもんで寄らせて貰った。ハンクも居るんだろ?」
「ああ、ああ! 勿論いるさ! それよりお前、その傷は一体?」
「積もる話はハンクも一緒にだ。先ずは宿を取りたい、案内して貰えるか?」
「わかった。何もないクソ田舎のくそったれ共しか居ない村だが、ゆっくりして行ってくれ」
相変わらずの口の悪さにシンが吹き出すと、ハーベイもそれに釣られて笑い出す。
二人はそのまま取り留めのない会話を交わしながら馬車の到着を待ち、合流すると村の宿へと歩き出した。
---
「おい、ハンク! 起きろ!」
夜番のために寝ていたハンクを叩き起こしたハーベイは、村にシンが来たことを伝える。
眠りを妨げられたハンクは、ぶつくさとハーベイに文句を垂れていたが、その話を聞くとハーベイを置き去りにして村に一軒しかない宿へと駈け出して行った。
「シン、シンじゃないか! 一体どうして?」
息を弾ませながら宿に駈け込んで来たハンクを、シンたちは笑顔で迎える。
ハンクはシン、カイル、レオナ、エリーと順番に見た後、クラウスが居ない事に気が付いて辺りを見回すが姿を見つけられず、真剣な表情でシンに問い詰めた。
「シン、クラウスはどうした? まさか!」
「落ち着け、クラウスは無事だ。あいつは今、帝都で近衛騎士見習いをやっているよ」
「騎士見習いだって? しかも近衛だと! 一体どういうことだ?」
声を発したのはハンクでは無く、遅れて宿に入って来たハーベイである。
シンは二人に、皇帝が近衛騎士養成学校を作り試験に受かった者を騎士とするために、厳しい授業を受けさせていることを説明した。
「くそーっ! 俺らの頃にその学校ってのがあればなぁ、迷わず試験を受けに行ったのに……」
ハーベイが地団駄を踏み鳴らしながら悔しがる。悔しさを滲ませているのはハーベイだけでなく、ハンクもまた拳をきつく握りしめて打ち震えていた。
ふぅっと大きく息を吐き出して気を落ち着かせたハンクは、シンに向かって手を差し伸べながら歓迎の言葉を述べる。
「何もない村だが歓迎するよ。シン、また会えるとは思ってはいなかったから嬉しいよ」
「ああ、俺もだ。俺はてっきりまだ冒険者をやっているもんだと思っていたが……」
シンの言葉を受けて、ハンクだけでなくハーベイも俯いて溜息をついた。
「ああ、それは……」
「なんだぁ、ごく潰しが油を売っていやがるぜ……」
がやがやと村の男たち数人、宿へと入って来た。村の宿は一階が食堂兼酒場となっている。
窓から外を見ると夕日が大地に沈みだしており、すぐに夜の帷が降りてくることだろう。
男たちの非友好的な視線を浴びているハンクとハーベイの二人は、露骨に顔を顰めながら男たちを睨み付けた。
「おい、ハンク。お前夜番だろうが、遊んでねぇでさっさと持ち場に付きな!」
ハンクが小さな舌打ちをしつつ外へ向かおうとするのを、シンは止める。
「ハンクとハーベイに用があってな、今日は二人を借りるぜ。ああ、ちゃんと村長に許可はとってあるから問題はない」
シンは村に入って宿を取ると、村長を訪ねて身分を明かし、幾らかの銀貨を握らせて二人の仕事を他の者に代わってもらうようお願いした。
最初は横柄に接していた村長はシンが、あの帝国の英雄である竜殺しのシンだと知ると、土下座をして非礼を詫び、シンの要求を二つ返事で了承した。
「なんだぁ? てめぇは……」
シンたちの姿を舐めるように見回した男たちは、レオナとエリーを見て口笛を吹いた。
不揃いな装備から、ごろつきか冒険者だと侮った男たちは、シンに向かってぞんざいな口を利く。
「ちっ、冒険者のクズが……村のことに口を挟むんじゃねぇよ、引っ込んでな。おい、ハンク! 兄貴の言う事が聞けねぇのか、さっさと持ち場に付け。それとも夜番が怖いのか? まぁ、昔っからお前は臆病だったもんなぁ」
どうやら威勢の良い口を利いているのはハンクの兄であるらしく、貶されたハンクは悔しそうに歯を食いしばり怒りを堪えていた。
「おい! 今何と言った?」
シンは椅子を立ち上がり男の元に歩み寄ると、その首を片手で掴んで高く持ち上げた。
ハンクの兄は真っ赤な顔をしながら、その手から逃れようとジタバタと足掻くが、シンの手はびくともせずに更に高く持ち上げられてしまう。
「ハンクが臆病だと? ふざけた事をぬかしやがって! ハンクの兄貴じゃなけりゃ、とうに殴り倒してるところだぜ。俺はハンクと共に迷宮に潜ったが、一度たりとも臆したところを見た事はねぇ、それどころか常に先頭に立って数々の魔物と戦うところをこの目で見て来た。次にハンクを馬鹿にしやがったら、ただじゃ済まさねぇからな、覚えておけ!」
そう言うと、シンはハンクの兄を入口に向かって片手で放り投げた。
シンの巨躯とその力に圧倒され、男たちは我先にと争うように宿から逃げ出して行った。
「……シン……その、すまない……それと、感謝する!」
「どうやら二人には、この村は居心地が悪いらしいな。村長も小物臭い嫌な男だったし……」
「まぁ……な……」
ハンクは身内や村長の器量の小ささを恥じるかのように、人差し指で痒くも無い頬を掻いて誤魔化した。
それまで俯いて黙っていたハーベイが突然、シンに向かって頭を下げた。
「シン、頼む! 俺とハンクを碧き焔に入れてくれないか?」




