復讐者
「そのままお聞きください」
騎乗するシンに、ゆっくりと不自然さを表さないように慎重に近づき声を掛けて来るのは、これまた龍馬に跨っている壮年の男で、名はアンスガーと言う。
栗色の髪を靡かせ、やや目尻の下がった碧い目は、顔を動かさずに目玉だけを器用に動かして、周囲に注意を払っている。
シンは言われた通り姿勢を崩さずに、そのままアンスガーの話に耳を傾ける。
「尾けられております」
「後ろから来る商隊か?」
「はい。帝都よりずっと……途中に寄ったホーエンアルでもヴィンバッハでも奴らを見かけました」
「行先が被っているだけでは無いのか?」
「いえ、ヴィンバッハから我らはカベレ村に立ち寄り、主要街道より一度外れております。にも拘らず、奴らは先行しておらず我々の後ろにピタリと着いて来て離れません。更に以前よりも間合いを詰めて来ておりますので、注意が必要かと……」
話を聞いたシンは、不快気に目を細めた。
「仕掛けて来るか……」
その問いにアンスガーも前を向いたまま、恐らくと答える。
シンは対処に迷った。敵は何時仕掛けてくるのか? 飯時か寝こみを襲って来るのか? それともこの先に隘路のような待ち伏せしやすい場所があり、伏兵と挟撃でも仕掛けてくるのか?
「どう見る?」
アンスガーは、事前に叩き込んでいる主要街道沿いの地理を思い起こし、この先には暫く街や村がないことを確認する。
「この先は平原が続き、次の街のハウプトまで距離があります。途中野宿を一泊する必要があり、恐らくは夜襲を仕掛けてくるのではないかと……」
面倒な、と声を荒げたくなるのを我慢しつつ、シンはどうするか考える。
「奴らが本当に敵かどうか試すか……馬車の車輪が外れた振りをして、奴らをやり過ごして様子を見る。奴らをやり過ごしたら反転してヴィンバッハへ向かおう。俺たちを追って反転してきたならば、もうこれは疑いようも無く敵だし、裏を掛かれた奴らは焦ってボロを出すかも知れん」
「名案とまでは言えませぬな。奴らをやり過ごす際が、ある意味最も危険であります。好機と捉えて襲い掛かって来るやも知れませんぞ」
シンは歯に衣を着せず遠慮なくずけずけと物を言う、このアンスガーという男を好ましく思っていた。
「それならそれで粉砕してやるまで。よもや奴らに後れを取るとは言わぬよな?」
シンの意地の悪い物言いに、アンスガーは口角を僅かに吊り上げて笑みを浮かべた。
「我らの力、存分に御見せ致しましょう」
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「お嬢様、奴らに動きが……如何やらトラブルのようです」
御者台の上で手綱を預かっている老人が、振り向いて幌の中にいる少女に声を掛ける。
「トラブル? 一体どのような?」
老人が再度遠目を凝らし前方を見ると、数人の男たちが街道脇へと馬車を押している姿が見えた。
「どうやら馬車の車輪が外れたか、車軸が折れたか、そういった類のものかと……」
少女は幌から顔を出して、切れ長の目を細めながら前方を見る。
短く刈り込まれた金髪が、そよ風に揺られ陽光を反射させ煌びやかに光を放つ。
「今晩夜襲を掛ける予定でありましたが、如何致しましょう。このままここで足を止めれば、流石に奴らもこちらの動きに疑問を抱くでしょう」
老人に決断を迫られた少女は、困ったように周囲を見回した。
馬車の護衛している者たちを一通り見回した後、それでも決めかねた少女は、真っ直ぐな眼差しを向け続けている老人に、救いを求めるように視線を戻した。
「お嬢様。このままやり過ごして待ち伏せをするか、それとも覚悟を決めてすれ違いざまに奇襲を掛けるか、このどちらかがよろしいかと思われます」
軍事に疎い少女は、どちらが良いか決めることが出来ず、未熟な自身の歯痒さに唇を噛みしめた。
老人は少女の短く切られた金髪に目を向けると、悲しげな表情を一瞬だけ見せた。
「爺、爺はどちらが良いと思いますか?」
爺と少女に呼ばれた老人は、顔つきは緊張感を伴ったままだが、少女を見つめる眼差しには慈愛に満ち溢れていた。
「どちらも一長一短、待ち伏せをしても昨日のように、主要街道を逸れ行方を晦まされる恐れがあります。従ってここは御覚悟をお決めになられて、一か八かすれ違いざまに奇襲を掛けた方がよろしいかと存じます」
長年家に仕えた信頼厚い爺の言葉を受けて、少女は眦を吊り上げて覚悟を決めた。
「わかりました。では、奇襲を。父上の仇、ここで果たします!」
「はっ」
二人の会話は周囲の者たちにも聞こえており、少女の決断に対し声を上げずに賛同の意を示した。
「こちらの数は、相手の倍。必ずや、お館様の仇を討ち御無念を晴らして御覧に入れましょう」
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「来ます」
アンスガーの低く短い言葉を受け、皆に緊張がはしる。
シンたちは三台の馬車を盾にするようにして、すれ違おうとしている商隊を注視する。
馬車同士がすれ違った正にその時、商隊の護衛達が剣を抜き雄叫びを上げながら襲い掛かって来た。
だが、ある程度敵の動きを予想していたシンたちに動揺の色はない。
各個撃破せよと叫び、シンは龍馬サクラの背から降りてサクラにエリーの護衛を命じ、自身も敵のただ中へと斬り込んでいった。
すれ違いざまに大剣を薙ぐようにして太腿を斬り、バランスを崩し転倒した敵にすかさず駆け寄り、上から串刺しにして止めを刺す。
巻き上がる土埃の匂いと血の匂いが混ざった言わば戦場の香りが、鼻腔いっぱいに広がって嗅覚を支配する。
死体に足を掛けて剣を引き抜き、次の敵を探そうと顔を上げたその瞬間、シンの目は視界の端に鋭い銀光を捉えた。
仰け反りながら躱したそれは、なおも執拗に首筋を狙い続けて、シンは堪らず身を翻し転がりながら迫り来る死から逃げ惑う。
そのまま土に塗れながら転がり続け、起き上がりざまに腰の刀を抜いて構えると、正面に銀の長髪を後ろで纏め上げた一人の老人が、剣を垂直に立てて騎士の礼をとりながら大声で名乗りを上げた。
「某はオルナップ男爵家執事のクレメンス・リヒトと申す。竜殺しのシン、お館様の仇を今ここで果たさせて頂く、覚悟!」
名乗りを上げたクレメンスは、土埃を上げながら剣を振りかぶり突進してくる。
それに対してシンは真っ向から立ち向かう形で、刀を振り上げ迎え撃った。
長剣と刀がぶつかり合って高い、金属音と共に派手に火花が散る。
シンは刀を右に巻いていなそうと試みるも、クレメンスもそうはさせじと足を巧みに使い位置を入れ替えながら、逆にシンを抑え込もうとする。
ならばと足を一歩前に踏み出して、鍔迫り合いに持ち込もうと刀を握る手に力を込めるが、クレメンスの長剣は微動だにしない。
白髪の老人のどこにこんな力がと、シンの顔に焦りの色が浮かぶのをクレメンスは見逃さない。
更に手首を返してシンを抑え込むと、そのままグイグイと押し込んでいく。
「舐めるな!」
眉間に皺を寄せこめかみに青筋を立てながらシンは吼え、前進をばねのように使って一気に押し返すと、クレメンスはあっさりと力を抜いて引き、思わずシンはたたらを踏んで首筋を無防備に晒してしまう。
その白い首筋を狙い、雷光のような素早い白刃が打ち込まれるのを辛うじて刀を立てて防ぐが、二手三手と続けざまに打ち込まれる剣に、たじろぎながら後退りをし続ける羽目となる。
強い! 正当な騎士の剣術だが、ザンドロックとも違う……あの銀獅子の剣技に通ずるものがある。
この手の輩は厄介極まりないな、技の引き出しの数が半端じゃねぇ……
肩で息をしながらただひたすらに防御に徹するも、二の腕、太腿と幾つかの浅傷を負い、その度に動きが鈍くなっていく。
最早余裕の一かけらすら残っていないシンは、この土壇場にて覚悟を決める。
無意識の内に歯を向いて笑みを浮かべてしまったシンを見て、何か仕掛けて来るかとクレメンスは慌てて剣を引いて距離を取った。
シンの持つ刀と言い、見た事の無い剣技と言いクレメンスは困惑を隠せない。これまでの人生の中で、これほどまでに自分の剣を防がれたことがあっただろうか?
幾つかの傷を与えはしたが、全て浅傷であり何ら動きに支障をきたすような物では無い。
最初の力押しから一転、剣を交えるごとに相手の技が冴えわたっていくような、底知れぬ不気味さを感じて立った鳥肌が未だに治まらない。
顔に深く刻まれた皺がおかげで、表情を読み取られる愚を犯さずに済んだ事を神に感謝しつつ、勝利への糸口を必死に探り当てようと試みる。
年は取りたく無いものだ……早めにケリを着けねば確実に負ける……
両者とも剣を構えなおし、互いに睨み合い隙を伺い続けるも見つけることが出来ず、果てしない睨み合いが続くかと思われた……
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