魔王と死神
「やってくれたな! いたずらにも程があると思わないのか?」
デートの数日後、宮殿に呼び出されたシンは、いつもの執務室で人差し指を突き付けながら皇帝に詰め寄った。
「それはこちらの台詞だ。お主のせいで、余の財布が薄くなったわ!」
皇帝も負けじと、胸を張って迎え撃つ。
「ん? 何の事だ?」
「お主、公衆の面前でレオナに指輪を渡したであろう。その噂が瞬く間に広まって、世の男どもは妻なり恋人なりに指輪を強請られて困惑しておるのだ。余もマルガを始め幾つ指輪を渡したかわからぬ。挙句の果てには母上やヘンリにまで強請られたわ!」
有名人のやることが真似をされるのは、いつの時代でも変わらない。
今、帝都では空前の指輪旋風が巻き起こり、細工師が嬉しい悲鳴を上げていた。
それと共に、土台となる貴金属や装飾の宝石類が高騰し帝都は混乱の坩堝と化している。
「うそ……あれ、見られてたの?」
「当り前であろう。聞けば東地区の商通りでやったのであろう? あれだけ人気の多い場所で、その様な振る舞いをすれば、あっという間に噂になるのは自明の理ではないか」
シンは真っ赤な顔をしながら意味不明な叫び声を上げ、身悶えしながら床を転がりまわった。
その無様な姿を見て気が晴れたのか、皇帝は先程までの不機嫌な顔は一転、春の青空のようなすっきりとした笑顔に変わっていた。
シンがこの世界に来て知らずの内に、世に影響を与えた物は数多くある。
それがこの指輪であり、恋人に愛を囁きながら指輪を渡すというのが帝国ではこれより後、恋人たちのスタンダードな儀式として定着していく。
他にもシンが腰に佩びている刀、これは製法が難しく使い方が帝国の長剣と変わり過ぎていて中々普及しなかったが、片刃という形状を似せたサーベルが数多く作られて普及していった。
今までの剣術の叩き斬るのが主だった剣術も、サーベルの普及により突きが重視されるようになり、剣術の各流派に多大なる影響を与えていくことになる。
箸は未だごく一部でしか使われていないが、百年後には各家庭に菜箸が常備されるほどに広まっていく。
これら全ては、ただシンがやったり使っていたりしたのが、真似をされて広まっていったものである。
「まぁ茶でも飲んで、気を静めよ」
皇帝自ら煎れた茶を受け取り、シンは焦燥しきった身体に流し込んでいく。
お代わりを所望し、三杯飲み終わってから椅子に力なく座った。
「そう落ち込むな、堂々としていれば良いのだ。今日呼び出したのは、良い知らせと悪い知らせがあってな、良い知らせは聖地巡礼の交渉が上手く行きそうであること、悪い知らせは近い将来、聖戦が起こることが確定してしまったということだ」
「聖戦? 創生教の分断工作はある程度進んでいるんだろう? それなのに聖戦が起こるのか?」
「その分断工作が総本山の奴らの危機感を煽ってしまったようだ。余は総本山に於いて魔王と称されてるらしいぞ」
そう言った皇帝は、皮肉げな笑みを浮かべた。
「ははは、魔王か。俺は隣国ルーアルトでは死神って呼ばれてるらしい、魔王と死神か……俺たちに御似合いじゃないか」
他の者たちが聞けば目を丸くするような話も、シンにかかれば笑い話になってしまう。
笑い続けるシンに釣られて、皇帝もカラカラと腹の底から笑い声を上げた。
「そうなると出来る限りの準備はしとかないとな、先ずは二教団の聖地巡礼。それとエックハルトと結びつきを強くしといた方がいいな。あの国は力信教徒が多い国だから、味方にはならずとも敵に回さないようにしないと……地図を持って来て欲しいんだが、それと宰相も呼んで欲しい」
皇帝は鈴を鳴らし近侍の者を呼び、地図を持ってこさせ宰相を呼びに行かせた。
「なぁ、このラ・ロシュエル王国の南や西には何があるんだ? 地図もあやふやにしか書かれていないが……」
「うむ、余もあまり詳しくは知らぬ。大陸の辺境には多数の小国や亜人の部族がおるとのことだが……」
扉がノックされ、入室の許可を出すと宰相が入って来る。
「丁度良いところに来た。ラ・ロシュエルの先には何があるのか知っておるか?」
宰相は地図を広げたテーブルに歩み寄ると、一つ一つ指を差しながら答えていく。
「無数の小国と亜人たちの氏族が、常日頃主導権を争い戦いを繰り広げていると聞いております。しかし、近年ラ・ロシュエル王国の侵略を受け、今までまとまりの無かった者たちが力を併せて抵抗をし始めているとの話を聞いたことがあります」
シンは地図を睨み、腕組をしながら考え込む。
「亜人たちも創生教徒なのか?」
「いえ、亜人たちは先祖崇拝の傾向が強いようでして……先代が亜人を嫌ったのも宗教観の違いによるものだったそうです」
先祖崇拝と聞き、シンは日本人の氏神のようなものかと一人納得する。
「協力体制を取れないかな? 亜人たちを結束させ組織的な抵抗をさせれば、ラ・ロシュエルも全軍を北進させることは出来まい。ルーアルトは星導教の力が強いから聖地巡礼次第では抑え込めるかもしれない、俺が昔立ち寄った辺境のアリュー村も女神アルテラを信奉していたくらい星導教徒が多い。後はハーベイ連合と、ソシエテ王国か……両国の国力がどれだけ回復しているのか……」
――――そういえば、ルーアルト王国東方辺境領はエックハルト王国の侵略を受けて取り込まれてしまったんだったな。アリュー村は……ダンは無事だろうか? 戦禍が及んでいなければ良いが……
「ハーベイ連合はラ・ロシュエル王国に多額の資金をつぎ込んでいる模様です。その見返りに戦奴を受け取り、それを以ってして魔物から国を守っていると……」
「その奴隷たちを上手く焚き付けて反乱を起こさせるってのはどうだ? 酷いやり方だが、どうも四の五の言っている場合じゃないみたいだしな。反乱が成功すればよし、もし失敗してもハーベイの奴らは国を魔物から守るために派兵は出来なくなるはずだ」
「検討の価値はあると思われます」
「よし、直ぐに密偵を送り情報を集めさせよう。シン、お主は指し当たって力信教の総本山に行ってもらう。総本山の姫巫女の美しさに惑わされたりせぬようにな、恋人のレオナを泣かせるでないぞ」
皇帝が笑うと、珍し事に宰相までもが袖で口を押え声を押し殺しながら肩を震わせていた。
こんなときにまでからかわなくても良いだろうにと、シンは眉間に皺を寄せて睨み付けた。
「余はこの帝国臣民を守るためならどの様な卑劣な策をも厭わぬし、魔王にでも何にでもなるつもりでおる。余が魔王だとすれば、シンは死神、エドアルドは差し詰め悪魔と言ったところか……」
「世の常として、戦に負ければ魔に堕とされ、勝てば神格化されまする。要は勝てば良いのです」
宰相の言にシンと皇帝は頷く。
「シン、経費は全て余が持つ。急ぎ出発の支度をせよ、道中の護衛はお主のパーティを雇う形にしようと思う。ルーアルトに赴くときは敵地ゆえそれに加え帝国の騎士を付ける予定でいる」
「わかった。気をつかわせたか?」
パーティメンバーにまで気を配ってくれたのかとシンは言ったのだが、皇帝は首を横に振った。
「違う。シン、お主が異常なのは分かっているが、お主のパーティの碧き焔の面々も異常なのだ。弟子のカイルはそなたに次ぐ魔法剣の使い手であり、レオナの実力はハーゼの折り紙付き、エリーという少女もその実力は並みの神官以上と聞く。さらにゾルターンが加わったとなれば、言うまでもなく帝国屈指のパーティであることは間違いないのだ。それを、お主の身内ということで使えるというのであれば、使わぬ手はないであろう」
かくしてシンの聖地巡礼の旅が始まる事となった。
この先訪れるであろう、激しい動乱の予感にシンは武者震いをせずにはいられなかった。




