デート 其の一
聖剣返還交渉の使者が帝国と王国を行き来し、嘗て共に迷宮に潜った冒険者パーティ、暁の先駆者のハンクとハーベイが刺激の無い日々にうんざりしていた頃、シンは何をしていたかと言うと………
「おお、レオナよ………どのような危険が待ち受けていようとも、私は行かなければならない」
長身の偉丈夫の男性が派手な音を立てながら、マントを翻し立ち去ろうとするのを、麗しい金髪の美女がそのマントの端を掴んで縋りつく。
「…………シン様…………どうかわたくしもお連れ下さいまし」
体重を預けてしなだれかかる美女の手を、長身の偉丈夫の男性がそっと掴み、その甲へ口づけをする。
「レオナ、許して欲しい。愛する君まで危険な目に会わせるわけにはいかない」
口づけされた手をうっとりとした表情で見つめた後、その手をふくよかな胸の前で組み、潤んだ瞳を偉丈夫へと向ける。
そう、今シンとレオナは帝都で今一番人気の、竜殺しの英雄記第五章という演劇を、座長の計らいで本来なら貴族たちが座る特等席で観覧していた。
シンは苦虫を噛み潰したような顔で頬を引き攣らせており、一方のレオナは頬を赤く染めながら潤んだ瞳で熱心に観ている。脇目も振らず演劇に夢中なレオナの横顔を見たシンは、思わず首を傾げた。
――――こんなロマンチックな別れじゃなかったろうが! 手加減や容赦なくタコ殴りにしたくせに、危うくノックアウトするところだったんだぞ。それに誰が言い出したのか、ファーストキスはレモンの味とかいうやつ、自分の血の鉄錆の味しかしないじゃないか!
心中で不満をぶちまけていたシンだが、レオナの唇の柔らかさだけはその身が覚えており、思わずレオナの横顔を再び見て自身の唇に指を当てた。
どうしてこんな辱めを受ける事になったのか………それは一昨日の夕食後のエリーの何気ない一言から始まった。
近衛騎士養成学校に顔を出し、ザンドロックやゾルターンの修行の相手を務め、心身ともにクタクタだが充実した日々を過ごしていたシンは、夕食を平らげた後のゆっくりとした時間を居間で仲間たちと過ごしていた。
女中として働いているハイデマリーの煎れたお茶を啜りながら、頭の中で明日の予定を組み立てる。
不意にエリーがこちらを向き、事の発端となる一言を放った。
「そういえばレオナ、あんたたちデートしたの?」
声を掛けられたレオナの表情は一気に暗く沈み、俯いた顔は豪奢な金糸のような艶やかな金髪に隠される。
一方のシンは顔を青ざめさせながら、まるで壊れたブリキの玩具のように、たどたどしい動きで二人の方に頭を動かす。
肩を落とし暗く沈むレオナの後ろには、その姿を見て一瞬で事情を察して烈火のごとく目を怒らせているエリーがいた。
咄嗟にシンは弟子のカイルとクラウスに助けを求めようと辺りを見回すが、いつも居るはずの弟子たちの姿は無く、カイルとクラウスの座っていたであろうテーブルの前には、まだ湯気の立っているカップが置き去りのまま残されたいた。
自分を見捨てた弟子たちの逃亡に憤慨しつつ、まさかすっかり忘れていたとは言えず、頭の中で言い訳を考える。だが下手な事を言えば、エリーの馬鹿力での鉄拳制裁を受ける思うと、鳥肌が立ち尻込みしてしまう。
――――しまった! すっかり忘れていた…………拙い、これは非常に拙い。この危機を乗り越えるにはどうしたいいんだ!
額から流れる汗は粘度を含み、ゆっくりゆっくりとこめかみを伝う。
「す、すまんな。最近忙しくてな…………そ、そうだな、あ、明後日ならば空いているから、も、もしレオナが良ければ…………」
緊張のあまり吃りながらのシンの言葉に、肩を落とし暗くうつろな目で沈んでいたレオナは、見る見るうちに生気を取り戻して、顔を上げた時には頬を赤らめながらも満面の笑みを浮かべていた。
まるで大輪の花が咲き誇るかのような晴れやかな笑顔を見て、もう後に退くことは出来ないとシンは乾いた笑いと共に頬を引き攣らせた。
レオナの後ろで仁王立ちをして、シンに対し怒気を放っていたエリーは、二人のその姿を見て呆れたように大きな溜息を吐いた。
こうしてデートの日取りは半ば強制的に決められた。ここでまた新たな問題が生じる。
シンは生まれてこの方、自慢できることではないがデートなど一度もしたことが無い。何をすれば良いのか? 日本ならば映画館や水族館、遊園地などのテーマパークに行けば何とかなりそうだが、この帝国では何処に行けばいいのかわからない。
腕を組みながら難しい顔をして悩んでいるシンの目に、こそこそと動く二つの影が映った。
そろそろ終わったかなと、部屋にのこのこと戻って来たカイルとクラウスの首根っこを掴むと、シンは二人を強引に自室へと連れ込んだ。
派手な音を立ててドアが閉まると、シンはドアに耳を着けて廊下の様子を真剣な表情で探る。
誰も居ない事を確認すると、魔法で壁に掛けてあるランタンに明かりを灯し、弟子たちをベッドの方へと引き摺っていった。
ベッドと机と箪笥以外は武具しかない殺風景な部屋が、首根っこを掴まれている今の二人には、まるで牢獄のように見え背筋を震わせる。
「師匠、悪かった! 謝るから!」
万力のようにガッチリと首を掴まれた二人は、その力もさることながら、鬼気迫るようなシンの顔に怯えて口々に謝罪の言葉を述べる。
「お前たちに聞きたいことがある」
無理やりベッドに座らされた二人は、目を血走らせているシンの顔を見て思わず肩を竦ませた。
「デートって何すればいいんだ?」
「はい?」
二人は同時に素っ頓狂な声を上げる。
「いや、だからよ、帝都のデートスポットは何所かと聞いているんだ」
カイルとクラウスはお互いの顔を見た後で、まるで魂が抜けたように脱力した。
「びっくりさせないでくれよ師匠、そんなの決まってらぁ……………………」
クラウスは暫く考えた後で救いを求めるように、カイルを上目づかいで見つめる。
カイルは呆れて溜息をつきつつ、エリーと偶にするデートを思い出す。
「市場で買い物とか、中央公園で散歩とか」
シンは顎に手を添えながらあらぬ方を見て、買い物か……と独り言をぶつぶつと言う。
そんな何時になく弱気な師匠の姿を見て、カイルはまだ少年の名残の悪戯心が沸々と湧き上がってきた。
「師匠、買い物なら東地区の服と装飾品ですよ! そこが定番のデートコースですよ!」
服か…………と唸りながら首を捻るシンを見て、カイルは心の中で忍び笑いをする。
――――師匠もあの苦行を味わった方がいい。女性の買い物に付き合うというあの苦行を!
エリーとのデートで、何度も味わされた苦行。服屋に入れば店内中の生地を見比べ、自分に似合うかどうかを聞いてくる。曖昧な返事を返そうものならば、見る見るうちに機嫌が悪くなり、機嫌を治すのに余計な出費を支払うことになる。
それを何軒も、服が終われば今度は装飾品で……苦痛なはずのに何故かまたデートしたくなってしまう奇妙な楽しさ、師匠も体験するべきだろうとカイルは目を瞑りながら何度も頷く。
話の内容に全く興味の無いクラウスは、壁に立て掛けてあるシンの愛刀、天国丸を自分の腰に差してニヤけていたりと室内を好き勝手に動き回っていた。
「師匠、ひとつお聞きしますがデートに着ていく服はあるんですか? 流石に普段着という訳には……」
カイルの言葉を受けて我に返ったシンは、青ざめた顔から大量の汗を流し始める。
「どうしよう、すっかり失念していた。普段着と稽古着しか持っていないぞ」
これを聞いたカイルも慌て始め、どうするかと二人でおろおろと室内をうろつき回っていると
「そんなの借りればいいじゃん」
と、このクラウスの言葉で二人はようやく落ち着きを取り戻す。
この世界で服は日用品の中では高級な部類に入る。
全ての服はオーダーメイドが基本であり、制作に時間が掛かる。全てに手間暇が掛かっており、当然値段も張る。
だから庶民はおいそれと、現代日本のように買うようなことはしない。一張羅で着ざらしなど、珍しくも無かった。
だが冠婚葬祭などはそうはいかない。そういった服に金をつぎ込む事の出来ない庶民のために、礼服やドレスなどを貸す貸し服屋が僅かながらあるのだ。
「よし、服は借りるとしてデートコースも大体決まり、後は…………食事か……」
またしてもうんうんと唸りながら考え込むシンを見てカイルは、これは付き合っていたら明日は寝不足になるかも知れないと、疲れた顔で部屋の天井を仰ぎ見た。
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