師と弟子
「陽当りも良くて、気に入ったわい」
「そいつは、良かった」
宛がわれた部屋に満足気な様子を見せるゾルターンに、シンはおどけて肩を竦めて見せた。
翌日から皆と一緒に訓練に参加し僅か数日で、すっかり溶け込んでしまっている。
ゾル爺の愛称で呼ばれるゾルターンは最初はくすぐったげにしていたが、今では孫を見守る好々爺と言った感じで常に微笑を絶やさずにいる。
「流石だな、マナの操作はもう言う事なしだ。まぁ元々、付与魔法を使えていたんだから当たり前か」
「いや、このマナの総量を増やすのは結構難しいぞ。マナの操作量を誤ると身体に多大な負担が掛かるでの」
シン、カイル、レオナ、エリー、そしてゾルターンは、車座になってマナの操作と総量増加の訓練を行っていた。
この前に体力作りや柔軟、組手などを済ましており、ゾルターンは老人とは思えない程の身のこなしで訓練についてきた。
流石に走り込みだけはシン達の三分の一ほどで止めたが、組手に於いてはゾルターンの杖術は達人と言っても良い程の技量を誇り、シンたち若者に後れを取ることは無かった。
クラウスは朝の鍛錬が終わると朝食を摂り、近衛騎士養成学校へと向かった。
「そういえば、まだ学校というものを見ておらんの」
「それじゃ、これが終わったら見学に行くか?」
シン達はマナの操作訓練の時には、積極的に会話をするようにしていた。
理由は簡単で、マナの操作をしながら他の事をしても集中力を切らさないための訓練である。
戦場で、棒立ちのまま魔法を唱えるなど危険極まりない。
事実、戦場で魔法使いたちの多くは精神集中のために、敵前で棒立ちになって魔法を使っており、弓矢の良い的になっていた。
これがもし、走りながら魔法を唱える事が出来たのならば、被害は大幅に減るはずである。
どうして今までこう言った訓練をやらなかったのかと言えば、魔法の成り立ちに理由の一つがあった。
今は詠唱が主流になっているが、大昔は地面に魔法陣を書いてその場に留まり儀式をする事で魔法を発動していた。
現在でも複雑な魔法や、大掛かりな魔法などは魔法陣を用いる事が多い。
更に魔法によっては、集中力が切れると発動に失敗するものも多くあり、魔法学の基本はむやみに動かずに集中せよ、というのが基本になってしまっているのだ。
ただし冒険者などは、自らの経験によりそれでは生き残れないと悟り、シンと似たような訓練をする者もいるにはいるが、魔法使いというだけで希少がられて国に囲われることが多いこの世界では、動きながら魔法を使える者は極々少数に留まっている。
ゾルターンは生粋のエルフである。エルフは普人種よりも遥かにマナの扱いに長けており、他の行動をしながら魔法を使うことなど造作も無く出来る。
「カイル、ゾル爺が加わったから布団の発注を一組追加しに行ってくれないか?」
「はい、ヘンデル商会ですね。わかりました」
元気よく答えるカイルに、シンは懐から銀貨取出し数枚放った。
カイルは持ち前の反射神経を発揮し、片手ですべての銀貨を落とさずに受け取る。
「駄賃だ。天気も良いし、レオナとエリーを連れて遊んで来い。偶には息抜きもいいだろう」
「ありがとうございます」
銀貨を見て何を食べようかと考えているカイルの手から、ひょいとエリーが銀貨を掻っ攫う。
「これは私が預かるわ。カイルに持たせておくと全部食べ物になってしまうもの」
不意を突かれたカイルは、しまったという顔をしてエリーの手に収まった銀貨を悔しそうに見ている。
反論しようと思ったが、考えの全てをエリーに見透かされている気がし、口ではエリーに勝てない事を悟ったカイルは、肩をガックリと落とした。
レオナはというと、先日の月光の眩惑の発動の際に見せてしまった無様な己の姿が許せないのか、一心不乱に訓練に励んでいる。
その様子を見ていたゾルターンは、遥か過去の若かりし自分の姿を重ね、自然と口から笑みがこぼれ出した。
「若いころを思い出すわい。こうして再び冒険者としてパーティを組むとはのぅ」
しみじみといった感じで呟くゾルターンに、皆は訓練を続けながら昔話をせがんだ。
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「ほぅ、これが学校か。数百人いっぺんに教えるだけあって大きいのぅ」
国内有数の大貴族の邸宅に匹敵するほどの敷地を誇る近衛騎士養成学校を見て、ゾルターンは素直に称賛する。
校庭に目を向けると、持久走をする生徒の姿があり、目を凝らして良く見れば先頭を走っているのはクラウスであった。
愛弟子が手を抜かずに頑張っている姿を見て、シンは胸の内が熱くなる。
「あの坊主、小柄なのにタフじゃのぅ。騎士は装備が重いから頑健でなければ勤まらん。これは体力を養うには良い訓練じゃわ」
「ああ、特にクラウスは朝、俺たちと一緒に走っているからな。あいつの体力は化け物だぜ」
「これならば、あの食事量も頷けるわい」
シン達はよく食べる。どのぐらい食べるかというと、この世界の成人の三倍はぺろりと平らげてしまうほどで、女性のレオナやエリーもシンやカイル、クラウスと同じようにおかわりをする。
それでもカイルなどはやせ気味であり、クラウスは小柄で、レオナ、エリーも太る素振りは微塵も無い。
毎日の激しい訓練によってエネルギーは消費され、余分な贅肉の付く余地はないのだ。
女中頭エルザと女中ハイデマリーは、毎日朝晩人数の数倍に匹敵するほどの量の食事を作っている。
シンも彼女らの負担を減らす為に、そのうち料理人を雇う事も考えなければと思い始めていた。
すれ違う教員と挨拶を交わし、一言二言と言葉を交わしながらハーゼ伯爵のいる校長室へと向かう。
校長室の前に着きドアをノックすると、入れと校長であるハーゼ伯爵の重厚な声が聞こえて来る。
「校長、忙しい所済まないが……」
部屋に入った来たのがシンだとわかると、ハーゼは立ち上がり満面の笑みをもって迎え入れた。
シンが言葉を続けようとするのを手で遮り、ハーゼは胸を張って得意げに話し始める。
「シン、儂も魔法剣を体得したぞ! まぁ、お主ほどの威力は無いがの。どれ、見せてやるゆえ裏庭へ行くか」
「ほぅ、未だに研鑽を怠らずか……結構結構」
シンの背後から現れたゾルターンを見て、ハーゼはその身を固くする。
数瞬の間のあと我に返ったハーゼは、慌ててゾルターンに駆け寄りその足元に跪く。
「久しいなヴァルターよ、元気そうで何よりじゃ」
「はっ、お師匠様もお変わりなく。このような場所に、一体今日は如何なる御用で?」
これほどまでに畏まったハーゼ伯爵を、シンは見た事が無い。
現皇帝ヴィルヘルム七世に対しても、これほどまでの恭しさは見せない。
「魔法剣を体得したか、儂の教えた弟子は数多くおれどヴァルター、お主ほどの者は居らぬ。ようここまで研鑽を重ね上り詰めたのぅ。お主は儂の誇りじゃ」
そう言ってゾルターンは、ハーゼの白髪頭をぐりぐりと撫でた。
もう子供ではありませぬぞとハーゼは抗議して頬が一瞬羞恥の赤に染まるが、やがてその両目からは大粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝う。
ヴァルター・フォン・ハーゼは今年で七十三歳。普人種である彼の人生の残りの時間は少ない。
だが、ハーゼはその身が動かなくなるまで武道と魔道を追い求め続けるであろう。
弟子のその気高き求道心をゾルターンは、高く評価し褒め称えたのだ。
その様子を見ていたシンもまた、道を極めんとする者の一人として気高き精神に触れ、胸の内を熱くしていた。
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明日は所用があり、更新出来ないと思われます。申し訳ありません。




