シンの魔法
シンは眉間に皺を寄せながら、突き出した右の手のひらにマナを集中させていく。
そのシンの姿を、ゾルターンは瞬きもせずに見つめている。
突き出された右手から炎の玉が作りだされると、周囲からどよめきが起こった。
シンが魔法を使えるという噂話を聞いた事のある者は数多くいるが、実際にその目で見た者は殆どおらず、この場で見た者たちの口々からは、驚きの声が上がる。
だがそれは直ぐに落胆の溜息に変わっていった。
ゾルターンの炎弾はバスケットボール程の大きさだったのに対して、シンの炎弾はソフトボール程の大きさしかない。
良く見ればシンの炎弾の炎は青白く、その球体の表面に紫電がはしっているのがわかっただろう。
この場にいる者たちの中で、ゾルターンだけがシンの魔法の本質を見抜いて、驚愕の表情のまま固まっていた。
「ファイアーボール!」
詠唱も無く掛け声だけで魔法は発動し、青白い火球は轟音と共に地面目掛けて飛んでいく。
地面に当たった火球が炸裂した瞬間、先程とは比べものにならない程の爆発音と爆風が中庭を襲った。
――――しまった、やり過ぎた!
シンの保持するマナの総量は日々のたゆまぬ訓練の甲斐あって、並みの魔法使いの十人分に相当する。
これはとりわけシンのマナが多いのではなく、他の魔法使いが効率よくマナの総量を増やす方法を知らないためである。
その大量のマナを主にブーストの魔法に使用していたシンは、瞬時に強化したい部位にマナを送れるようにとマナの通り道も広げる訓練をしていた。
そのため瞬時に大量のマナを動かすことに特化した分、弟子のカイルのような細かいマナのコントロールが苦手である。
今回も自分ではかなり抑えたつもりだったのだが、広い通り道を通って凝縮されたマナが炎弾となって、通常では考えられないような、馬鹿みたいな威力を発揮したのであった。
凄まじい爆音に耳を塞ぎ、顔に叩きつけるような熱風を浴びた皆は、口を開けて茫然とする。
大地は焦げ跡どころでは無く、大きなクレーターが出来上がり、一番前で見ていた者達は大量の土砂や小石を全身に浴びせられていた。
幸運なことに、死者やけが人はおらずに済んだが、威力の調整に失敗し中庭を破壊してしまったシンは、全身から大量の汗を掻いて、両目は宙を彷徨わせている。
いち早く正気を取り戻したのは皇帝で、慌てた様子で背後を振り向き、皇太后が大事に育てている薔薇の安否を確認する。
シンもハッとして、皇帝と同じように恐る恐る振り返り、薔薇の様子を覗う。
花弁が多少散っただけで、後は問題ないことを知った二人は、身体の奥底から絞り出されたかのような安堵の溜息をつき、膝から崩れ落ちた。
以前、皇帝の戯れに付き合い宮殿を抜け出して娼館に行ってその事が露見した際に、シンも皇帝と共に皇太后に何時間もねちねちとした説教を受け、その時の経験から皇太后に大の苦手意識を持っていた。
「シン! お主は加減というものを知らぬのか!」
皇帝が眦を上げて怒っている横で、ゾルターンは掠れた声を上げるのがやっとだった。
「シ、シン殿、そなたは誰に魔法を教わった?」
その声には僅かに怯えが含まれている。
一瞬その問いに答えるかどうか迷ったが、すぐにシンは素直にありのままを話すことに決めた。
「あなたがたが、創造神ハルと呼ぶ者に習いました」
その言葉を聞いたのは皇帝、ゾルターン、傍に侍る近侍の数名。
誰もが今まで見た事の無いような驚愕の表情を浮かべ、二の句を継ぐことが出来ない。
暫しの沈黙の後、遠巻きに見ていた者たちや警備の近衛騎士、大きな音に何事かと宮殿から飛び出して来た者たちのざわめきの声を聞き、やっと金縛りが解けた皇帝とゾルターンは、シンから詳しい話を聞くために再び応接室へと向かった。
---
「では、聞かせて貰おうか。シン、お主は一体何者か」
中庭でシンの言葉を聞いた近侍の者たちには、このことを口外せぬようにときつく申し渡している。
シンはどこまで話すか考え悩む。
「何者かって言われてもなぁ……帝国に来る前、寂れた遺跡を見つけてそこでハルに会い、魔法を教わりこの刀を授かった」
大分端折ってはいるが、嘘では無い。
「その刀……確か天国丸と申したな、それは神から授けられた神器だったのか! なぜそれを黙っていた、余に軽々しく貸し与えるとは、罰が下されたらどうするつもりか!」
元が迷信深くない典型的な日本人であるシンには、そこまで神を崇拝するという考えや気持ちが今一つ理解しがたい。
「いや、聞かれなかったからな。それにエル、お前ピンピンしてるだろ、罰なんか無いさ」
ゾルターンが居るにも拘らず、ついいつもの砕けた物言いになってしまうが、皇帝は咎めない。
と、言うよりそれどころでは無い。
「いや、そうだが……そうだとしてもだなぁ」
広場から応接室に戻るまでの間、一言も口を効かなかったゾルターンがここに来てやっと口を開いた。
「その神器、拝見させて頂けるか?」
シンは頷くと、腰に差した天国丸を鞘ごと引き抜いてゾルターンへと渡し、抜いても良いかとの問いに、黙って頷く。
鞘から抜かれた天国丸を見た二人は、うっとりとした表情を浮かべて感歎の唸り声を上げた。
「初めて見た時からその美しさと気高さに惹かれたが、神が作りたもうた神器であるのならばそれも当然の事であったか……それにしてもこの神器といい、神託の件といいお主は本当に神が帝国に遣わした聖戦士だったのだな」
聖戦士と言われたシンは、顔を顰めてむずがる子供のように身をくねらせた。
「そんなんじゃねぇよ、偶々だ。大体、帝国に来るまでハルが神様として奉られているなんて半信半疑だったんだぜ。それに試練の迷宮だって最下層にハルが居るなんてことも知らなかったしな」
「その事を教えなかったのは、神に何か深いお考えがあっての事だろう」
その皇帝の言葉にゾルターンも頷いている。
刀を鞘に収め、礼を述べてシンへと返却したゾルターンは、両の眼の目頭を指で解しながら神にどのような手ほどきを受けたのかを聞いた。
「そうだなぁ、先ずはマナの存在を教わり、それの操り方を教わった。それからマナの総量を増やす方法、それから色々な使い方を教わった」
「マナの量を増やすだと! 一体どうやって? どうすれば増えるのだ?」
ゾルターンは興奮して立ち上がり、まるでシンに掴みかからんばかりに詰め寄った。
「これには個人差があり、無限に増やすことは出来ない。だがどんな人間でも身体の成長と共にある程度は総量は増える。ここまではいいか? その後は魔法を使いまくれば総量は増える。それともう一つだけやり方があり、俺はそれを教わった」
「して、そのやり方とは?」
ゾルターンはシンの両肩を掴み、早く話せとその体を揺すった。
「お、おお、落ち着け! そのやり方とは、まず体内にマナの塊を感じる事は出来るか? それはマナの貯蔵庫なんだが、そこから少しだけマナを取り出して体内を巡らせるんだ。そうすると貯蔵庫に少しだけ空きができるだろ? そこに新しいマナを外から取り込み収納する。最後に体内に巡らせているマナを、貯蔵庫に入れるんだが、もうすでに満タンな貯蔵庫には、当然すんなりとは入っては行かない。それを無理やり力づくで、強引に押し込めるんだ。すると貯蔵庫の方が破裂しないようにと、僅かだが膨らんで空きを作ろうとする。それを地道に繰り返すのさ。ただ、一気に大量のマナを送り込むのは止した方がいい、本当に破裂して死んでしまうからな」
「そ、そのような方法が……それでお主はその並外れた魔力を手に入れたのか……正に神の教えだ。単純であるが殆どの者は気が付かないであろう、例えその方法に気が付いた者がいたとしても、欲をかいてマナの操る量を誤り死ねば、他者へと伝わらない。それに地道な訓練よりも、多くの魔法使いは新しい知識や技を追い求めてしまいがちなものであるしな。事実、儂もそうであった」
ゾルターンはシンに向かって恭しく跪くと、神の英智を授けてくれたことに対して感謝の言葉を述べ、続いて創造神ハルに対して感謝と祈りの言葉を唱えた。




