竜の舌
戻って来た侍従長ヘンドルフが、恭しく一振りの直剣を皇帝へと差し出す。
受け取った皇帝は、無造作に剣を抜きその刀身を見つめる。
火山の火口のような赤々とした刀身に、皆の目が釘付けとなる。
「これは嘘か真か知らぬが、炎竜の魂を封じたと言われておってな……その銘を竜の舌と言う。シン、これでどうだ?」
抜き身のまま竜の舌をシンへと渡す。
受け取ったシンは、赤々として僅かに明滅を繰り返している刀身に、恐る恐る触って見る。
火傷をするほどの熱さを覚悟していたが、刀身は冷やりとした普通の金属と同じく冷たかった。
「ははは、余も最初にそれに触れた時は、お主と同じように驚いたものよ」
滅多に見られぬ、シンの怯えた手つきに皇帝はカラカラと笑い声をあげた。
シンは照れ隠しにひとつ咳払いをした後、皆から少しだけ離れると竜の舌を構えて、その刀身にマナを送り込んだ。
マナを送り込まれた刀身は明滅を烈しく繰り返し、柄の装飾の大きなルビーは赤光を放ち始める。
シンが更にマナを送り続けると、突如刀身から炎が吹き出し、吹き出した炎は剣を包み込むようにして燃え盛った。
「おお、おお、それが竜の舌の真の姿か! 炎竜の魂が封じられているのは真であるか!」
皇帝は竜の舌その物よりも、瞬時にして本来の性能を発揮させたシンに対して驚いた。
侍従長ヘンドルフと剣術指南のザンドロックは、神々しい剣に魅入られて感歎の声を上げる事すら出来ずにいる。
皇帝は懐から懐紙を一枚取り出して、シンへ向かって放り投げた。
ひらひらと舞う懐紙を、シンは素早く斬りつけ真っ二つにする。
固定されていない、ひらひらと舞う紙を真っ二つにしたシンの技量もさることながら、その切れ味の鋭さに一同は目を奪われた。
驚いたのは切れ味だけではない。切り口が燃え上り、紙は一瞬にして灰となったのだ。
「凄いな、素直にマナが通って行くよ。それに不思議な事に持っていても熱く無いんだ。うん、これなら練習に最適だろう。なんせ見た目でマナが通っているかわかるからな」
刀身に込めたマナを回収すると、瞬く間に炎は消え柄に付いている大きなルビーは発光を止める。
再び恐る恐る刀身に触れてみるが、まったく熱さは感じられず、最初と同じく冷やりとしていた。
皇帝から鞘を受け取り、剣を収めるとヘンドルフがしていたように、恭しく差し出す。
受け取った皇帝は剣を一瞥した後、ザンドロックにまるでおもちゃを放るように剣を渡した。
「ザンドロックよ、その剣をお前に与える」
渡されたザンドロックは、すぐさま跪き恭しく剣を捧げた。
「へ、陛下、この剣は陛下の御腰に履いておりまする緑雷に匹敵するほどの宝剣で御座いますれば、某ごときには身に余る代物で御座います」
「ザンドよ、よく聞け。お主に使命を与える。お主はシンが編み出した魔法剣を体得し、それを帝国式剣術に組み込め。シンの持つ刀と帝国で普及している剣とでは、形状もさることながら扱い方も違ってこよう。お主が帝国式魔法剣の開祖となるのだ、理解したのならばその剣を受け取り精進致せ。良いな?」
「はっ、不肖なる身なれどこのザンドロック、身命を賭して御役目果たさせていただきまする」
剣を捧げたまま、ザンドロックはその身を打ち震えさせていた。
その震えは、歓喜によるものなのかそれとも使命感によるものなのか、はたまた魔法剣という己にとって未知の力に対してなのか、ザンドロック本人にも知りようがなかった。
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「これからルーアルトの使者と会う。狐と狸の化かし合いの始まりさ」
皇帝は肩を竦めて、ワザとお茶らけて見せた。
「ふーん、じゃあ出発の用意をしといた方がいいのか?」
シンの反応に、皇帝はこれだから素人はと、手のひらをくるくると回しながら笑みを浮かべる。
「良いか、シン。お主も今後誰かと交渉ごとに臨むことがあるやも知れぬから教えるが、交渉には駆け引きが必要だ。最初からこちらの要求を素直に伝えてしまうと、相手は必ず足元を見て吹っかけて来る。気心知れぬ相手なら尚更のことな……なので最初は、絶対に相手が飲むことの無いような提示をするのだ。無論相手も同じ手を使って来る。お互いに段々と条件を摺り合わせたり妥協した結果、こちらの本来の要求が通るように相手を上手く誘導せねばならぬのだ。そしてそのことを相手に気が付かれずに済めば、成功と言える」
「成程、勉強になった。そちらの道では役に立てそうにないな、俺は直ぐに顔に出てしまうからな」
「そうだな、それらのことは余に任せよ。苦手を得意と変えるには、人の生は短すぎるでな」
シンとザンドロックは、宮殿を後にすると急いでザンドロック邸へと向かった。
別に急ぐ理由も必要はも無かったのだが、興奮覚めやらぬザンドロックに急かされてのことであった。
ザンドロック邸の庭で、二人は早速魔法剣の鍛錬を始める。
「手から魔法を放つことが出来ると言う事は、手にマナを集める事は出来ていることになる。次は剣にマナを送り込むんだが、ほら良く言うだろう? 剣を手の延長だと思えとか何とか……」
「ふむ、つまりは手に集めるのと同じようにすれば良いだけか。簡単ではないか」
そう言ってザンドロックは剣を持つ手にマナを集め始める。
シンもブーストの魔法を唱え、ザンドロックのマナの流れを追えるように目にマナを集めた。
暫くして、ザンドロックの手に多量のマナが集まったが、竜の舌は沈黙したまま一向に炎を吹き出す気配を見せない。
「何故だ!」
ザンドロックはシンを見るが、シンは黙したまま何も語らない。
少し自分で考えて見ろと、優しく見守るような眼差しを向けられたザンドロックは、色々と自身で試し始める。
凡人ならば、教えてくれないことに腹を立てたかもしれないだろうが、ザンドロックはシンの意向を正確に理解していた。
皇帝の与えた使命を果たすためには、シンの理論だけでは無く自身の理論を練り上げる必要がある。
でなければ、刀用に開発された技を、帝国式に変換する事が出来ないだろう。
その後もしばらく、汗だくになりながらの苦闘が続く。
一通り試し終わった頃合いを見て、シンは初めて助け舟を出した。
「ザンド、初心を思い出せ。最初から大量のマナを扱えたか? 一朝一夕に出来るものでもない、あせらずにいけ。土台は出来ているのだから」
シンの言葉を受け、ザンドロックは雷にでも打たれたかのように、大きく目を見開いた。
「そうか! どうやら俺は興奮して焦っていたようだな。礼を言うぞ、初心に帰るか……」
大きく何度か深呼吸をし、静かに両の目を閉じて、ザンドロックは意識を集中させていく。
ザンドロックの体を伝わるマナの量が減ったのを、シンの目が捉える。
――――流石だな、ここまで来れば出来たも同然だ。
元より薄っすらと明滅を繰り返していた刀身が、ほんの少しではあるが強く瞬き出す。
ゆっくりと目を開けてそれを見たザンドロックは、思わず歓喜の声を上げてしまい、それによって集中が途切れ、竜の舌は元の姿へと戻ってしまった。
「今の感じだ。最初から大量のマナを送り込もうとしても駄目さ、これも日々鍛錬を続けて少しずつ少しずつ、送るマナの量を増やしていくしかない。今日はここまでにしよう、マナの使い過ぎは体に障る」
「そうか、そうだな……焦らず着実にいくしかないな」
「ああ、だが一日でここまで出来るとは思わなかったぞ。流石だな」
「いや、シン。お前の言葉が無ければもっと遠回りをしていただろう、感謝するぞ!」
日が暮れて薄暗くなった夕闇の中、まだ荒い呼吸を弾ませながら、ザンドロックはシンに向かって手を差し出した。
シンはその手をがっちりと掴んで、才幹豊かな友に惜しみない賛辞を送るのだった。
ブックマーク、評価ありがとうございます。
書いてて思いますが、女っ気が足りない気がする。
ああ、面倒くさいホワイトデーですよ。
誰ですかね、三倍返しとか言い始めたのは




