ミスリル
謀議は夜の帷が下りても続けられた。
三人は応接室で共に夕食を取りながら、計画の内容を煮詰めていく。
「南部の貴族に支援させよう。もう一度確認するが、物資、食料の他に何が必要だ?」
ナイフで切り分けた鶏肉を頬張りながら皇帝が聞くと、シンも白パンを頬張りながらそれに答える。
宰相だけは豆のスープをスプーンで掬い、テーブルマナーを損なう事無く静かに口許に運んでいく。
「そうだなぁ。解放した人達の中から戦う気のある者を選んで、後方で戦闘訓練をさせてくれ。あと戦えない者達の保護を」
「保護は当然として、戦闘訓練だと?」
「ああ、家族を取り戻す為に、家族や家を失った者達は復讐の為に戦おうとするはずだしな」
「なるほど、正規兵を使わずに救出者の中から戦力を得る。それならば万が一の場合でも言い訳は立ちますな」
食事を終えた宰相がナプキンで口を拭きながらの発言に、皇帝は眉を顰めた。
「シンが率いれば万が一など無かろうよ。心配するだけ無駄だ」
皇帝の勘気に触れた事を知った宰相は、反論せずに黙って頭を下げた。
どのみちこの作戦が上手く行こうが行くまいが、帝国は白を切るしかないのだ。
「よし、下準備はこちらに任せよ。聖地巡礼の件も交渉次第。後は、ゾルターン老の件か……いつにするか? ああ、それとザンドロックもお主に話があるそうだ。後は学校の方も見て欲しいのだが……」
「随分こき使ってくれるじゃないか、取り敢えず明日は駄目だ。報酬の分配と無事の帰還を祝う事になっているからな」
「わかった、では明後日ゾルターン老に会ってもらう。良いな?」
シンは頷くと、手渡された報酬の入った小袋を懐に収めた。
「では、今日はこれまでとしよう。シン、エドアルド、馬車と護衛を用意するからしばし待っておれ」
「では待っている間、アルベルト皇子のお相手でもするかな」
「そうしてくれ、あれもお前に会うとしばらくの間機嫌が良いのだ」
三人は応接室を後にし、シンは侍女に連れられてアルベルト皇子と面会する。
泣きぐずっていた皇子は、シンに抱かれあやされると途端に泣き止み、しばらく相手をしていると力尽きて穏やかな寝息を立て始める。
シンは起こさぬようにそっと皇子を乳母に託すと、用意された馬車に乗り宮殿を後にした。
護衛が同乗する馬車と並走する龍馬のサクラが、長い時間放って置かれたせいか、それとも己の背にシンが乗らないことに対しての不満か、ごろごろと苛立ちの唸り声を上げている。
何事も無く自宅へ到着すると、カイルが門の前まで出迎えに出て来る。
「お帰りなさい、師匠。食事は?」
「ただいま、晩飯はご馳走になって来た。ああ、ありがとう。気を付けて戻ってくれ」
護衛と御者に頭を下げ、シンは自宅の門を潜る。
買ってからあまり住んでいない家だが、それでも戻ってくれば心が落ち着く。
暗闇の中を良く見れば、山羊の数が増えている。
「ああ、山羊ですけどオイゲンさんが買い足したそうです。なんでも子ヤギと親山羊を一緒に買わないと、直ぐにお乳が出なくなってしまうんだとか」
「そうだったのか……みんなはどうしている?」
「まだ起きていますよ、あっローザはもう寝ちゃってますね」
玄関の扉を開けると、皆がシンの帰りを待っていた。
執事のオイゲンとその妻のイルザ、ハイデマリー、レオナとエリー、そしてクラウス。
一人一人の顔を見て、やっと帰って来たのだと張りつめていた緊張を解く。
オイゲンから収支報告を聞き、ハイデマリーにローザの成長具合を聞いた後、クラウスに学校の様子を聞いた。
なんでも剣術指南のザンドロックが度々訪れては、厳しい稽古をつけているらしい。
明日の帰還祝いの準備をオイゲンとエルザにお願いすると、シンは寝る前にサクラの機嫌を取りに厩舎へと足を運んだ。
サクラに声を掛けながら首筋を撫でていると、隣のシュヴァルツシャッテンまでもが甘えてくる。
二頭の龍馬に揉みくちゃにされ、顔を舐めまくられたシンは、次に二頭の馬のいる厩舎を訪れてモミジとカエデの鼻面を撫でながらその労をねぎらった。
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翌日、トラウゴット、アヒム、アマーリエの三司祭が訪れると、報酬の分配をする。
途中の宿代などの経費を除くと金貨九十八枚が残る。
それを七人で割り、一人当たり金貨十四枚を得た。
「これは大金じゃな、半分は懐に収めて良いと言われておるし、しばらくは家族に良い物を食べさせてやれるわい」
トラウゴット司祭に妻帯しているのかと聞くと、妻は孤児院を経営していると言う。
アヒム司祭も妻帯者で、妻に楽をさせてやれると喜んでいる。アヒムもトラウゴットと同じように半分を教団に寄付すると言っていた。
アマーリエは全額教団の運営する孤児院に寄付すると言う。
ヴォルデック侯爵家の次女である彼女は、金銭に困っていない。
聖女の名に恥じぬ行為に、シンは称賛を惜しまない。
真っ赤な顔をして照れるアマーリエ見て、皆は微笑みを浮かべた。
用意した料理と酒を振る舞い、誰一人欠ける事無く無事に仕事を終えた事を祝い、祝杯を上げる。
トラウゴットは見た目通りの酒豪で、足りなくなった酒をカイルとクラウスが買い足しに行くという一幕もあったが、皆の満足の内に宴は終わりを告げた。
「三人とも世話になったな、本当に感謝している」
「何の、こちらこそ儲けさせて貰ったわい。また儲け話があれば、儂を指名してくれ」
そう言ってトラウゴットはシンの背をバンバンと力強く叩いた。
「今回で自身の未熟を思い知りました、それに新北東領の現状もわかりましたので教団に報告して、復興の支援をしていきたいと思います」
アヒムの差し出した手を、シンは力強く握った。
「私は終始足手纏いでした。たいしてお力になれずに申し訳なく思っております。この旅で自身の見聞が大いに広がった気がいたします、ありがとうございました。それと式には呼んでくださいね、今から祝福の言葉を考えておきますから」
レオナとのことを冷やかされたシンは、照れ隠しに鼻を掻いて誤魔化す。
三人を教団支部へと送ったついでに、シンは一人、帝都にあるザンドロック邸を訪れる。
ザンドロックは家に居らず、今は近衛騎士養成学校に出向いているという。
シンが近衛騎士養成学校を訪れると、生徒達に混じってザンドロックも校庭を走っていた。
「おう、シン! 無事に帰って来たか」
息を切らせながら駆け寄ってきたザンドロックに、シンも手を上げて答える。
「ああ、このとおり無事に帰って来れた。それより魔法の修行はどうだ? サボってないだろうな」
「お主の言う通り、毎日欠かさず鍛錬したところ自分でも驚く程に魔力が上がったわ!」
どのぐらい魔法を使えるようになったのか聞くと、火炎弾を十は放つことが出来るようになった言う。
「そりゃ、凄いな。そろそろ次の段階に進もうか……ザンドロック、ミスリル銀を使った剣は持っているか?」
「む、ミスリル銀か? 残念だが持っていない。ミスリル銀製の剣でなければ駄目なのか?」
ザンドロックの顔に影が生じる。
ミスリル銀は貴重で、それを用いた剣は一振り金貨数百枚はする。
貴族とは言えど、ついこの間まで弱小貧乏貴族だったザンドロックにはおいそれとは用意出来ない。
「ああ、マナの通りが他の金属とは全然違う。……俺に考えがある、今から宮殿に行くぞ」
そう言うとシンはザンドロックの手を引き、宮殿へと向かった。
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「どうしたシン、それにザンドロック卿も。何事か?」
宮殿に着くなり皇帝に面会を申し入れ、それが叶った二人はいつもの応接室へと通された。
直ぐに皇帝が現れ、ザンドロックは跪く。
「ザンドロック卿、ここには三人しか居らぬゆえ、横にいるシンと同じく楽にして良い」
はっ、と言われた通りに立ち上がるが、その身から硬さは抜けきっていない。
「ちょっとお願いがあるんだが、いいか?」
「何だ、改まって。それで用件は何だ? 済まぬが今日はあまり時間は割けぬぞ、例の交渉があるでな……率直に用件を申せ」
「そうか、忙しい所済まないな。ミスリル銀製の剣を一振り貸してくれないか?」
皇帝は今一つ要領を得ない顔で、何に使うのかと問い直す。
「魔法剣の訓練にな、ミスリル銀は金属の中では魔法が通りやすいんだ。俺やカイルの得物は刀で剣じゃないからな、ザンドロックにはやっぱり使い慣れた剣がいいと思ってな」
「なるほど、わかった。そう言う事なら直ぐに用意させよう」
鈴を鳴らして近侍を呼ぶと、侍従長ヘンドルフを呼ぶように伝える。
程なくしてヘンドルフが駆けつけてくると、皇帝は宝物庫の中から一振りの剣を持ってくるように命じた。




