本日は晴天なり
冷たい石畳に跪かされているシンは膝立ちのままで、抜けるような青空にぽっかりと浮かぶ雲を、ただぼんやりと眺めていた。
――――本日は晴天なり、されど所により血の雨が降る模様。……我ながらたかが二年程で、随分と物騒な性格になったもんだな……
首筋に当てられた剣の冷たさが、シンの心を現実へと引き戻す。
横に立ち剣を首筋に当てているのはフェリスで、背後には口をへの字に曲げ、むっつりとしたアロイスが静かに立っている。
左前方に直立していたケルヴィンが、ゆっくりと跪く。
それを見たシンは、目を瞑り密かにブーストの魔法を唱える。
従者たちによって、大きな背もたれの付いた籐製の椅子が二つ運ばれ、その間に小さなテーブルが用意される。
テーブルの上にはワインの小樽とグラスが二つ、それを見て人の死を酒の肴にするつもりと知ったシンは、何があっても手加減はしまいと心に決めた。
侯爵が座るであろう椅子までの距離は十メートルほど、いくらブーストの魔法で身体を強化したとしても、跪いた状態からでは届かない。
周囲に次々と騎士が集まり、整列していく。やがてその一角が割れ、太ったディーツ侯爵ともう一人細身の神経質そうな男が現れた。
「左、コンディラン伯爵」
フェリスがシンにだけ聞こえるように、小さな声で告げる。
シンは僅かに身じろいで、了解の意を表す。
「ほぅ、こやつが巡察士のシンか……お前は確か……」
「はっ、左様でございます。某はケルヴィンで御座います」
「ああ、そうだったな。ケルヴィン、褒めてつかわすぞ」
麾下の一騎士の名前など、心底どうでも良いといった感じが言葉の端々から滲み出ている。
ケルヴィンは愛想笑いを浮かべながらも、侯爵に向けて心の中で幾つもの悪態をついていた。
侯爵と伯爵が席に着くのを見届けてから、ケルヴィンは打ち合わせ通りに行動を開始する。
「閣下、その……この巡察士が、閣下に聞きたいことがあるそうで……おそらくはこの者の最後の望みでありますれば、その……」
歯切れの悪い言葉に、侯爵は眉を八の字に曲げながらもその意を解し、了承する。
「よかろう、私は寛大である。その願い聞き届けてやろう。こちらも幾つか質問したいこともあるのでな」
「ははっ、この者に代わり御礼申し上げます」
ケルヴィンは立ち上がると振り返って、シンに向かって頷いた。
瞬き少なくじっと立っていたアロイスが、突如シンより預けられた天国丸を抜くと、侯爵の背後に立つ護衛の騎士達が剣に手を掛けて身構える。
抜き放たれた天国丸の切っ先が、シンの背に向かられるのを見届けた騎士達は、剣から手を離して再び姿勢を正した。
「おかしな真似をすれば斬る」
中庭にアロイスの低い声が響き渡る。
シンは正面を向いたまま頷くと、膝立ちのまま侯爵へとゆっくりとにじり寄って行く。
九メートル、八メートル、七メートル……どこまで近寄るつもりかと中庭に居る全員が疑問に思い、声を上げようとしたその時、シンはその歩みを止めて侯爵に向き直った。
侯爵との距離、凡そ五メートル。侯爵の手が傍らにあるワインの注がれたグラスへと伸びる。
「ディーツ侯爵に問う。この新北東領は陛下直轄の地、それなのに何故許しも得ずに徴税しているのか? また、賊ではない無辜の民衆を何故殺めるのか? 返答や如何に?」
つまらなそうにフンと鼻を鳴らし、弛んだ頬と顎を震わせながら侯爵は答える。
「あれは徴税などでは無い、言うなればこの様な寂れた地に私を送り込んだ陛下からの迷惑料と言った所かの。それと何故、民衆を殺めるかだと? 簡単な事だ、あやつらは潜在的な敵だ。いつ賊と化して我らに襲い掛かってくるかも知れぬ。ならば最初から根切りにしてしまえば良いではないか」
「ふん、故意犯という訳か。良く分かった、この腐れ外道めが」
「口を慎め下郎。私も聞きたいことがある。我が甥キュルテンをお前は殺したな?」
「ああ、とんでもねぇクソ野郎だったもんで、それに相応しい末路を辿らせてやったぜ」
それを聞いた侯爵の顔が見る見る内に朱に染まっていく。
「殺せ! だが直ぐには殺すな、じわじわと嬲り殺しにせよ!」
そう叫んだ侯爵の顔はサディストそのもので、これから行われる惨劇を想像してか、目を輝かせてながら唇を舌でなぞった。
シンの背後に立つアロイスが、刀を素早くシンの手に握らせる。
後ろ手に縛られている縄には予め切れ目が入れられており、刀を受け取ったシンはブーストの魔法で強化された腕力に物を言わせて、強引に引きちぎった。
気合いの掛け声と共に、侯爵の前まで一息に飛び込み、刀を一閃。
電光石火の一撃は、侯爵の鎖骨を叩き割りそのまま斜めに抜け、その身を二つに斬り裂いた。
一瞬の間の後、血しぶきが高々と上がり、切断面からは勢いよく臓物がこぼれ落ちていく。
シンは素早く刀を振り血を払うと、横に座っているコンディラン伯爵へと切っ先を向ける。
「悪いようにはしない。俺の話に合わせろ、そして兵を退かせるんだ」
そう伯爵の耳に小声で呟いたあと、刀の切っ先は伯爵に向けたままシンは高らかに声を上げた。
「悪臣ディーツ、この巡察士のシンが討ち取った! 陛下の直轄地で勝手に徴税し、無辜の民衆を殺めた罪、万死に値する」
両目から放たれる赤光と、返り血に染まった全身から放たれる凄まじい殺気に、誰もが息を飲み身じろぎ一つ起こせない。
「伯爵殿、卿は立場上仕方なく総司令官ディーツ侯爵の命に従っていただけで、本意で無いことはわかっている。悪臣ディーツが報いを受けて死んだからには、これよりのち卿が指揮を執り治安維持派遣軍本来の任務を果たすべきだと思うが如何か?」
青ざめた顔に大粒の汗を浮かばせながら、伯爵は唾をごくりと音を立てて飲み込んだ。
伯爵を見つめるシンの赤く光る両目は、首を縦に振る以外の行為を許さないという無言の凄みを含んでいる。
「そ、その通りだ。我らは総司令官の指揮に従ったまでであり、当然それは本意では無かった。卿の言う通り総司令官が亡くなられた以上、次席たる私が指揮を執り陛下より与えられた任務を全うする所存である」
その言葉を聞き、シンはゆっくりと刀を引き鞘へと納める。
伯爵は震えながら立ち上がると、怯えの含まれたか細い声で騎士や兵たちに、くれぐれも軽挙妄動を慎むようにと申し付ける。
「で、どうするのだ?」
「そうですね、お話がありますので取り敢えず場所を移しましょうか。アロイス、済まんがディーツの首を刎ねて城門に掲げておいてくれ」
「はっ、承知!」
アロイス他二名の騎士が後始末にその場に残り、フェリスと残りの部下はシンと伯爵を守りつつ城の中へと移動する。
ケルヴィンはというと、所在なさげにその場でオロオロするばかりであり、役目を終えた彼にシンはもう注意を払う必要性を感じていなかった。
「こ、ここでよかろう」
伯爵が案内した部屋は、先程までディーツ侯爵とカードに興じていた部屋であった。
部屋の中に入ったのは伯爵とシンの二人のみで、フェリスたちは扉の外に控えていた。
「コンディラン伯爵、先程の御無礼をお許しください」
「い、いや……し、仕方のないことであろう。それで、話とは?」
「伯爵、あなたは今かなり危険な立場にあるのはおわかりですかな?」
顔を青ざめさせながら沈黙を保つ伯爵を横目に、シンは話を続けた。
「いくら総司令官の命とはいえ、陛下の財に手を付けた罪、このまま帝都に帰れば必ずや罰を受けるでしょう」
「いや、だが卿は先程……いや……」
「私はこのまま帰ればと言ったのです」
「……どういう意味か……」
「それは、罪に勝る功績を立てたのならば、許されるのではないかと言う事です」




