聖剣返還
時は少し遡り、シンがウォルズ村を目指している頃、ガラント帝国皇帝ヴィルヘルム七世は新北東領から引き揚げて来た西部の貴族たちや、南部の貴族たちに一人一人時間を割いて面会し、様々な情報を得ていた。
「ほう、すると侯爵は余に断りも無く勝手に徴税していると、卿は申すのか?」
「はっ、我ら南部の貴族もそれぞれの認知で徴税し、その一部を上納せよと命令を受けましたが、そのような勝手な事は出来ぬと断り申したところ、侯爵は我らに補給物資を一切寄越さなくなり、我ら一同困窮し果てておりました」
「ふむ、余の放った細作も同様の情報を持ち帰ってきておる。卿、話だけでは無く何か証拠は掴んでおるのか?」
「はっ、徴税の証拠はありませぬが、ここに補給物資の配給の停止するとの侯爵の出した通知書が御座います」
恭しく差し出された羊皮紙を、近侍が受け取り皇帝へと渡す。
「なるほど……迂闊な奴め、余が新北東領に送った物資の量と派遣軍の消費量、ハスルミアに備蓄されている量を調べれば十分な証拠になろう。卿には大変な苦労を掛けた。必ずや侯爵の不正を暴き、それに対する報いをくれてやる事を約束しよう」
皇帝の言を受けアームリンク男爵は首を垂れていたが、おもむろに面を上げると皇帝へとにじり寄った。
近侍の者が剣に手を掛けながら、無礼を咎めようとするのを皇帝は手で制し、男爵の名を呼んだ。
「どうしたアームリンク男爵、余に何か言いたいことがあるのか? あるのであれば構わぬゆえ申すが良い」
アームリンク男爵は額を床に着けて皇帝に詫びると、南部を荒らす人狩りたちの対処に力を貸してほしいと涙交じりに訴える。
人狩りどもを追い詰めても、創生教を隠れ蓑にして迂闊に手を出すことが出来ず、悔しい思いをしていると。
「……そのことは余も頭を痛めておる。あいわかった、卿らに約束しよう。一年、あと一年我慢せよ。その後は余自ら対処し、必ず悪党どもに相応しい報いをくれてやる」
「おお~」
下手をすれば不興を買うかも知れぬと男爵は思い怯えていたが、逆に皇帝から国を挙げて支援するとの力強い言葉を得て男爵は感激し、終いには床に額を押し付けながら涙を流して何度も謝辞を述べるほどであった。
南部の貴族たちの次は、西部の貴族たちと面会した。
「わ、我らも一度はお断り申しましたが、何分にも西部を束ねる侯爵の命には逆らい難く……」
顔中を汗に塗れさせながらの必死の弁明に、皇帝は心中苦笑を禁じ得ない。
「わかっておる。だが、無罪放免という訳にはいかぬ。当主の座を次代へと譲り渡し、謹慎せよ。それ以上の罪は問わぬゆえな……」
「はっ、寛大なるご処置、感謝の言葉もございませぬ」
家の取り潰しや、減封、首を差し出せと言われなかった西部の貴族たちは、寛大な処置に安堵した。
皇帝の財布に勝手に手を突っ込んで、その程度の罰で済むなど奇跡であるに等しい。
重ねて減封などはせぬから、軽挙妄動はせずに粛々と裁きを受けて、次代へと当主の座を明け渡すように厳命し、労を労い退出させた。
皇帝は傍らに控える宰相のエドアルドを伴い執務室へと移ると、近侍すらも下げて二人で謀議に入る。
「ディーツめ、馬鹿だと思っていたがここまでとはな……舐められたものよな」
「カーン周辺に兵を展開しているとの報を受けておりますが、まだ何故のことなのか詳しい情報は入って来ておりませぬ」
「ん? もしかすると余が送り出した軽騎兵隊のせいか?」
「わかりませぬ、引き続き情報を集めますが、用心に越したことはないかと……」
はぁ~と長い溜息を吐いた皇帝は、面白くなさそうな顔をして窓の外を見つめぼやく。
「ディーツの後任として誰に西部貴族を纏めさせるか、人選を急がねばならぬな」
「はい、差し当たってはディーツの後の治安維持派遣軍の指揮官の選定を致しませぬと……かなり無法を働いたようですので、やりにくいでしょうなぁ」
「それはそなたに任せる。余はこちらをどうにかしよう」
そう言って皇帝がひらひらとさせた書類には、ルーアルト王国の紋章が入っている。
「ああ、例の聖剣の……して、どうするのです? 素直に返すのも癪ですな」
宰相の問いに、皇帝はまるでいたずらっこのような笑みを浮かべると、腹案を漏らした。
それはこうである。ラ・ロシュエル王国が同国内の創生教総本山と手を組んで、帝国南部で人さらいをしている問題に対処すべく、帝国内に総本山がある力信教と、ルーアルト王国に総本山がある星導教との結びつきを強めるために、聖戦士と崇められているシンを派遣したい。だが、ルーアルトに国王の親族を討ったシンを行かせれば、無事では済まない可能性が高い。ならば、聖剣ホーリー・イーグレットの返還要求を受ける代わりにシンの星導教総本山の巡礼を認めさせようというものであった。
「果たして、ルーアルトは飲みますかな?」
「ルーアルトの国王ラーハルト二世は愚物だが、宰相アーレンドルフは利害の計算が出来る男だ。丁度都合の良いことにラーハルト二世は先の戦に負けて以来、後宮に籠りっぱなしで政務は全てアーレンドルフが執っている。しかもこれまた都合の良い事に、アーレンドルフは自国の現在の国力もわからぬような馬鹿な貴族共に、聖剣奪還のために遠征軍を派遣せよと突き上げられてうんざりしているらしい。そんな事をすれば後背からエックハルト王国に蹂躙されるだろうにな。だから必ず乗って来るさ、聖剣が戻ってくれば馬鹿どもを黙らせることが出来るからな」
それを聞いた宰相も、人の悪そうな笑みを浮かべている。
「なるほど、ですが万が一ということもあります。御用心した方がよろしいかと……」
「うむ、勿論シンに護衛は付けるさ、それこそたんまりとな。それにシンに毛ほどの傷でも付けたのならば、聖剣を溶鉱炉に放り込んで鋳潰すと脅すつもりだ」
「皇后陛下は御承知なさったので?」
「奥も承知済みだ。最初は駄々をこねたが、元より赤子の玩具に聖剣は似つかわしくないであろう。余のグリューン・ドンナーを譲ると言ったらあっさりと承知してくれたわ」
皇帝の履く宝剣グリューン・ドンナーを譲ると言う事は、言外に帝位継承権一位と言っているに等しい。
勿論、アルベルト皇子が成長して帝位を継ぐ器量なしとされれば別であるが、並み以上であればこの行為は帝位を継ぐための力強い後押しとなるであろう。
「シンのおかげで余が生涯かけて行おうとしていた、帝国内に巣食うダニの掃除を一気に行う事が出来た。これでやっと対外政策に本腰を入れられるというわけだな」
皇帝は窓を開け、そよ風に豪奢な金髪を靡かせながら、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んだ。
――――シン、早く帰ってこい。お前とならば余はどこまででも、羽ばたける気がするのだ。
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「んぎぎぎぎ、ふん!」
手のひらに毬ほどの大きさの炎の塊を発生させ、それを地面に放ったザンドロックは、はぁはぁと肩で荒い呼吸をしながらも、口元には笑みがこぼれ出している。
シンに教わったマナの操作法を毎日毎日飽きもせずに繰り返したことで、指先に蝋燭の火のように小さく灯すのが限界だった以前に比べ、現在は先程放った炎弾を二発は放てるほどに成長していた。
「精が出るのぅ」
「これは、ハーゼ伯爵。いや、ハーゼ校長とお呼びすべきですかな」
「ほっほっほ、どちらでも構わぬよ。しかし若いとは羨ましいものだ、儂ももう少し若ければ修行に精が出せたものを」
顎鬚を弄びながら笑うハーゼに、ザンドロックは首を振る。
「いや、某ももっと前にこのやり方を知っていればと、残念でなりません」
地面に付いた焦げ跡に足で土を掛けて均しながら、心底悔しそうな表情をザンドロックは浮かべる。
「いやいや、卿はまだ若い。これからでも十分に取り返せるじゃろうて……羨ましい事だ。と、午後からの授業を頼むぞい、ヒヨコどもに剣を教えてやってくれ。儂は陛下に呼ばれたので、ちと宮殿に出向かねばならぬゆえ」
「お任せを」
立ち去るハーゼの背に敬礼を捧げ、修行を打ち切り午後の授業に備える。
――――シン、早く帰ってこい。俺の教えた剣技は役に立っているか? 早く帰って来てもっと魔法について教えてくれ、お前とならば、俺は新しい境地へと辿りつけそうな気がするんだ……




