籠絡
「ご命令通り奴らを全員捕縛し、その装備を剥ぎ取りましたが……一体これからどうするつもりです?」
「キレ者のお前の事だ、大方予想はついているんだろ?」
まるでいたずらを仕掛ける無邪気な少年のようなシンの様子に、ヨハンは戸惑いを覚える。
「……奴らに扮して侯爵に近付き、隙を突いて侯爵の身柄を確保、それをもって我らの身の安全を得るといったところでしょうか?」
「流石だな、だが少しだけ違う。侯爵は殺す。人質を取るのは拙いんだ、こちらに正義が無くなるからな」
「正義? 正義ですと? この危急の際にそのようなこだわりは、命取りになる恐れがありますぞ!」
眉を吊り上げ、机に拳を叩きつけながら、普段は温厚なヨハンが吠える様をシンは驚きの目で見つめる。
「聞けよ、ヨハン。俺がただの冒険者ならば、お前の言う通りなんだが……俺は帝国の巡察士でもある、人質を取って脅迫というのは俺自身は兎も角、帝国にとっても俺を巡察士に任命した陛下にとっても外聞憚る事この上ない。従ってその策は取ることが出来ない。ならばいっそのこと侯爵の罪を鳴らし、成敗してしまう。勿論これはこれで問題はある。まず、これは越権行為であるし、侯爵を殺した所で復讐に猛る部下たちを抑えられなきゃ意味が無い。そこでだ……侯爵を殺すとともに、その取り巻きの副司令官の伯爵をこちら側に抱き込む」
「……そのように都合よく行くとはとても……相手は奸智に長けた貴族ですぞ、易々と引っかかるとはとても……」
ヨハンだけでは無く、フェリスもアロイスも渋面を示す。
もっともアロイスは普段とあまり表情は変わらないが……
「なればこそだ。俺は伯爵に友情や信頼を求めてはいない。求めるは完全なる利害関係、伯爵の持つ欲に油を注いで火を点けるだけさ。奸智に長ければこそ、この機会を逃さないだろうよ。自分が西部の貴族の頂点に立つと言う機会をな」
ヨハンは腕を組んで目を瞑り、低いうなり声を微かに上げながら考え込む。
確かにシンの言う通り、陛下の面子に泥を塗るわけにはいかないが……越権行為の非を鳴らされるのは免れないだろう。流石に状況を鑑みても命までもは取られぬだろうが、官位は剥奪され、最悪国を追われる可能性もあり得る。
皆が思案に暮れていると、隣の家から捕縛したディーツ侯爵麾下の騎士、ケルヴィンの猛り狂う声が耳に入って来る。
「そうだ、あいつで試してみないか? 俺はあいつを籠絡して見せる。あのような端武者程度を落とせないようじゃ伯爵を籠絡するのは無理だろうからな」
部屋に居る全員がシンの顔を見る。
これまでのシンの活躍はすべて戦いにおいてのもの、そのような事が出来るのかと誰の顔にも疑いの色が現れていた。
「いいでしょう。どのみち指揮権はシン殿、あなたにある。お手並み拝見させて頂きましょう」
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「無礼者がぁ! 俺を誰だと思っているか、直ぐに縄を解け!」
部屋の入り口を監視する騎士に、真っ赤な顔をして唾を飛ばしながら、狂ったようにケルヴィンは吼え立てる。
「威勢が良いな、騎士ケルヴィンよ」
シンがヨハン、フェリス、アロイス、レオナの四人を引き連れて入室してくると、先頭のシンに対しケルヴィンは憎悪の目を向け、縄を解けとがなり立てる。
「誰だ、貴様は! さっさと縄を解け、貴様は何をしているのかわかっているのか? 俺は……」
「俺はガラント帝国の巡察士のシン」
勇ましく吠えたてるケルヴィンの言葉を手で制し、シンは名乗りを上げる。
「な、貴様があの竜殺し……賞金首のシンか!」
自身に賞金が掛けられていると知り、シンはその金額に興味を覚えケルヴィンに聞いて見ることにした。
「ほぅ、俺の首に賞金が……ちなみに幾らなんだ?」
「き、金貨百枚だ!」
「意外と安いな、侯爵が吝嗇であるのは本当のようだな」
金貨百枚を安いと言うシンを見て、ケルヴィンは絶句する。
ケルヴィンにとっては借金を全額返済しても尚もあまり余る程の大金、それを安いと言うシンの経済観念は一体どのようなものだろうか?
「まぁその事はどうでもよい。騎士ケルヴィンよ……お前は今、非常に危険な立場に立たされている」
「何! どういうことだ!」
「お前は自身の主であるディーツ侯爵が、ここ帝国新北東領で悪事に手を染めていることは知っているな? ここ新北東領のいま現在の所の殆どが、陛下の直轄地であることは知っているか? 侯爵は畏れ多くも陛下の直轄地であるこの土地で、許しを得ずに税を取り、人民を害した。これはいくら大貴族とはいえ許されざる大罪である。侯爵の罪は重い……一族だけでなく、その罪は部下にも累を及ぼすであろうな」
ケルヴィンの額には多量の汗が浮き出し、その顔色は段々と青ざめていった。
「お、俺は知らん! 俺はただ侯爵様の下知に従っただけだ! 俺は関係ないぞ!」
己の状況を理解し、慌てふためき醜態を晒すケルヴィンを見て、シンの心に僅かに憐れみの情が湧くが、すぐさまそれを手で握り潰す。
「その言い訳は通らないだろうな、それほどまでに侯爵の犯した罪は大きいのだ。だが……」
「だが何だ? 俺は本当に関係ないんだ! 助けてくれ、何でもする!」
何でもするか……言質は取った。
それにしてもと……シンは思う。
――――侯爵に対する忠誠心の欠片すらないとは……その上傲慢で上にはへりくだり下には威張り散らす、これで欲深なら言う事ない程扱いやすい男だが……
「騎士ケルヴィンよ……お前は今、侯爵と共に邪道を突き進んでいる。ここでもう一度正道に戻る気は無いか? 我らは諸悪の根源であるディーツ侯爵を討つ。それに協力すれば、罪は消え去り功が成り立つ。その貢献具合によっては家を興すことも出来るやもしれぬな……」
家を興すと言うその言葉に、ケルヴィンは激しく喰いついた。
それは爵位を授かると言う事である。
人に傅く身分から、傅かれる身分へ……ケルヴィンの欲望の油田に大きな炎が投じられた瞬間であった。
「う、うむ。よくよく考えれば私は道を誤っていたかもしれない。確かに侯爵様……侯爵の行いは非道であり許せぬ。このケルヴィン、正義を行使するというのならば喜んで力を貸しましょうぞ!」
あっという間の変わり身に、シンはその顔に唾を吐き掛けたくなるの我慢しながら、ケルヴィンの縄を解いてやる。
内心で不快感を表したのはシンだけでは無い。
部屋に居る誰もが心の内で感じており、顔に出るのを抑えるために無駄な労力を費やしている。
「騎士ケルヴィンよ、協力感謝する! では貴公には道案内と侯爵への顔つなぎをやって貰おう。計画はこうだ……」
シンの話す計画を聞いたケルヴィンの顔色は、先程よりもより一層青さを増していく。
「む、無茶だ! じゅ、十人で侯爵を討つなど、とても……」
ちゃっかりと自分を人数から省いている所が、実にこの男らしい。
「騎士ケルヴィンよ、功績に危険は付きもの。良く考えたまえ、このままただの騎士で一生を終えるのか、それとも更なる富貴を得るのかを」
「お、俺は……俺は……確かなんだろうな? お、恩賞の件は」
「それは貴公の働き次第、功があれば賞される。ただそれだけのこと」
拭っても拭っても噴き出る汗が頬に、鼻梁にへと流れ落ちる。
やがてケルヴィンの目に消えようのない欲望という名の炎が灯ったのを見届けたシンは、心中でほくそ笑んだ。
――――そうだ、それで良い。善人を騙すのは良心が傷むが、欲深な阿保を騙すのならば多少は心も軽くなる。さて、もう後には引けないぞ……これまでも俺は悪党だったが、これで本当に骨の髄まで悪党に成り果てた。その結果どういう結末を迎えるのかはわからんが、悪党なら悪党らしくしぶとく生き抜いてやるとするか……




