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帝国の剣  作者: 0343
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暴走


 天幕から姿を現したシンの顔は憤怒に染まっていた。

 裸で気絶している男の腹をつま先で蹴り上げ、髪を掴んで引き起こし頬に平手を数発浴びせる。

 突然の痛みと衝撃に目を覚ました男は、シンの顔を見ると必死に命乞いを始める。


「ひぃいい、助けくれ! い、命だけは、命だけは」


 ――――勝手な事を! こいつは……殺す!

 頭の中が沸騰しそうになるのを懸命に堪える。握りしめられた拳は小刻みに震えていた。


「質問に応えろ。中の女性は何だ?」


「た、助けて、ひぃいい、助けて」


 壊れた蓄音機の様に同じ言葉を繰り返す男に業を煮やしたシンは、男の耳に指を掛けるとそのまま引きちぎった。

 絶叫が街道に響き渡る。男は痛みに悶えシンの手から逃れようともがくが、シンの左手は男の髪を掴んだままでそれを許さない。


「もう一度だけ聞くぞ、お前は聞かれたことにだけ答えろ。答えないならお前には何の値打ちも無い。直ぐにでも殺してやる」


「ひぃ、わ、わわわわわかった。何でも言う、言うから命だけは、助けて」


 千切られ出血夥しい耳に手を添えた男は、シンの言葉に何度も頷く。


「いいだろう。きちんと答えるならば命だけは奪わないでやる」


 シンの言葉を聞いた男は、目を大きく見開き再び何度も頷き話し始めた。


「あ、あの女は、三日前ここを通ろうとした者だ。税の支払いをきょ、拒否したので捕えた」


「このご時世、ましてやこの治安乱れた北東領で女の一人旅は有り得ない。同行者が居たはずだ、そいつらはどうした?」


 「そ、そ、そいつらは商人だった、護衛も何人かいた。こ、殺したのは俺じゃない、お、俺は埋めるのを手伝っただけだ。も、もういいだろう、離してくれ」


 男が指差したのは天幕の裏手、見れば土を掘り起こした跡がうかがえる。


「もう一つ質問だ。お前か? 彼女の耳と鼻を削ぎ、目玉を抉ったのは……言い逃れようとしても無駄だ、お前が持っていたナイフには血が付いていた。お前なんだろう? やったのは」


 そう言いながら男の髪を引っ張って自分の顔に近づける。

 シンの碧い瞳の中に狂気の影を垣間見た男は、半狂乱になって弁解し始めた。


「お、おれ、おれ、俺の番になったときにはもう死人同然だったんだ! 放って置いても直ぐに死ぬ、そんなんだから俺は、俺は、へへへ、あ、あんただって散々人を斬ってるじゃないか。同じだよ、同じ! 俺とあんたは同じさ……だから、見逃してくれよ。それに、全て準男爵様の命令だし、今回だけじゃねぇしよぉ」


 ――――俺とこいつが同じだと? そうか、そうかい、そうかよ。だったらいいよな、俺も同じことをしても……


「命だけは見逃してやる約束だったな……死ぬなよ」


「え? ああ」


 シンはナイフの落ちている所まで男を引き摺って行くと、拾い上げたナイフで男の残っている耳を削いだ。

 再び絶叫が辺りに響き渡る。

 暴れる男を無理やり押さえつけると、今度は鼻を削ぎ落す。

 手足をジタバタとさせ、声にならない絶叫を放つ男の両目にシンは容赦なくナイフを突き刺した。


「お前と俺は同じなんだろう? だから同じことをしてやったぜ。それに約束は破っちゃいない、命だけは助けてやるさ……命だけはな……」


 ナイフを放り捨てると失禁し痙攣する男から手を離し、蹴られた口を押えてもがき苦しんでいるキュルテン準男爵の方へと歩き出す。

 シンが死刑リンチを行っている間、皆は凍りついたかのように身動き一つ取れずにいた。

 普段は温厚でよく冗談を飛ばし、いざ戦いとなれば勇ましく先陣を切り難敵と正面から切り結ぶ、正に英雄然としたその姿とはかけ離れ過ぎた行為に、誰一人として止めるどころか制止の声すら掛ける事が出来なかった。

 近付いたならばシンの纏う狂気の渦に自分も飲み込まれてしまうのではないか? 全身から噴き出た冷たい汗は凍てつくような痛みを脳に錯覚させつつも、あとからあとからと絶え間なく吹き出してくる。


 シンは痛のあまり地面を転げまわるキュルテンの掴み持ち上げると、その顔に拳を叩きつけた。


「貴族ってのは何様だ! 貴族ってのはなぁ、率先して難事に立ち向かうから敬われるんだ。お前のような外道が貴族を名乗るなど、おこがましいにも程がある!」


 そう言いながら何度も何度も拳を叩きつける。

 最初の内はキュルテンも必死に逃れようともがいていたが、やがて四肢から力が失われだらしなく垂れ下がり、叩きつける拳のもたらす衝撃にただゆらゆらと揺られるだけとなった。

 キュルテンはとうに息絶えている。しかし、シンは叩くのを辞めない。

 返り血が顔に降りかかるのを物ともせずに、ただひたすらに憎しみの籠った拳を叩きつける。


「やめて! もう、やめて。お願い、もうやめて……」


 息絶えたキュルテンを殴り続けるシンの背中から、レオナが泣きながら抱きついて制止する。

 レオナの鳴き声に我に返ったシンは、ただの肉塊と化したキュルテンと、血に染まった己の拳を見て泣き出しそうになるのを懸命に堪える。

 涙を堪えるために噛んだ唇は、容易く破れ血の筋が顎を伝い地に落ちていく。

 キュルテンを放り捨て、背中から胸に廻されたレオナの白い指を解こうとするが、血に染まった両手で指に触れるのを躊躇い、ただただ茫然と立ち竦むしかなかった。

 しゃくり上げるレオナに、すまないと一言だけ告げる。

 その言葉を聞いたレオナは、より強くシンを抱きしめ声を上げて泣き出した。


 少し離れた場所から一部始終を見ていたカイルは、歯をガタガタと打ち鳴らし恐怖に打ち震えていた。

 ほんの少しでも気を緩めれば、笑っている膝は砕けて転び、二度と立ち上がれないのではないか?

 ――――師匠が……あの師匠が…………人とはああも容易く変貌するものなのだろうか? あれが英雄、竜殺しのシンの本当の姿なのだろうか? 違う! 断じて違う! 師とて一人の人間、迷う事もある! 僕が……何で、どうして僕が手を差し伸べることが出来なかったのか……僕は無力だ、多少剣を使えるようになっただけで、目の前で苦しんでいる大切な人を救うことが出来ない……それに僕も、僕もああなのだろうか……


 師が垣間見せた狂気、それをカイルは自分も持っていることを知っていた。

 自分の村を襲った賊に対し激しい怒りを抑えきれないカイルは、賊との戦いではしばしば我を忘れた。

 嬉々として斬りつけ、首を刎ねる。先程の戦いでもそうである。

 師の姿と自分を重ね合せ、恐怖に身を震わせる。

 ――――師にはレオナさんがいる、だけど僕には……


 立ち竦むカイルの肩に、ぽんと軽く手が添えられた。

 ぎょっとして振り向くと、エリーが優しく微笑んでいた。


「カイルは馬車を見ていて、お願い」


 エリーは元々察しの良い子である。激昂するシンの姿を見て、そして裸の男を見て大凡の事は察していた。

 馬車から白く大きな布を取り出すと、それを持って天幕へと近付いて行く。

 トラウゴットとアヒムが制止するのも構わず、天幕の中に入ると、惨たらしく辱められ息絶えた女性を布で包み込んだ。

 泣きじゃくるレオナから解放されたシンが天幕に入って来てエリーに詫びを入れる。

 エリーは黙って首を振った。


「埋葬してあげましょう。このままでは可哀そうだわ」


「ああ」


 馬車に積んである鍬を取り出すと、女性の仲間が埋められた脇に穴を掘り始めた。


「拙僧たちも手伝おう」


 トラウゴットとアヒムも鍬を手に取り穴を掘って行く。

 獣に掘り返されぬようにと深く掘られた穴の底に女性の遺体を横たえると、黙々と土をかぶせた。

 柵の一部を切り落とし墓標の代わりに立てると、エリーがどこからか積んで来たのか、淡いピンク色の花が一輪、墓前に供えられる。

 

「少し待ってくれ」


 シンはそう言うと馬車の中で怯えているアマーリエを呼びに行く。

 馬車で恐怖に身を縮こまらせていたアマーリエは、返り血に染まったシンの姿に卒倒しそうになるが、話を聞くと震える足で馬車を降り、死体を見ては顔を青くしながらも墓前に着き、目を瞑って祈りを捧げた。

 続いてトラウゴットとアヒムもそれぞれ自分の信奉する神に祈りを捧げ、霊を慰める。

 祈りが終わり、墓前を去るシンの後ろ姿を見たトラウゴットはこう思う。

 ――――英雄もまた人の子、一時の感情に支配され悩み途惑う一人の人間である。その迷いを払う事が出来ぬ某は未熟。それにしても、もしあのレオナという少女が居らなんだならば、一体どうなっていたであろうか? あの少女が英雄の纏う闇を払い、狂気の世界から救い出したのだ。あれぞ正に聖女の行いと言うべきではなかろうか……


 星導教の司祭、アヒムは祈りを捧げた後、墓標を見つめ心の内で神に問いかける。

 ――――女神アルテラよ、人のもたらした醜悪極まる行いをその目にして、それから逃げ出した私をお許しください。私は死に瀕した命を救う事も、闇に飲み込まれそうになっている迷い人も救うことが出来ませんでした。かつて聖女アマーリエを笑いましたが、愚かなのは自分の方であったと痛感しております。女神よ、あなたはこの旅に何を、どのような試練を課せられるのでしょうか? 果たして我らはその試練を乗り越えることができるのでしょうか?

 

 夕暮れが迫り、血の臭いを嗅ぎつけた狼の遠吠えが聞こえると、一行は急ぎその場を後にする。

 日暮れ寸前まで馬を飛ばし距離を稼ぐと、野営の準備を急ぐ。

 誰も何もしゃべらない。重苦しい雰囲気の中、作業に没頭する事で気を紛らわそうとする。

 その日の晩は、誰一人として眠りに着く者はいなかった。

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