貴賊
敵の大将であるキュルテン準男爵目掛けて一直線に突き進むシンに、次々と準男爵配下の帝国兵が襲い掛かって来る。
それらを難無くバッサリと討ち取るシンに、兵たちは怯え始めていた。
「お、おい、ほ、本物じゃないか?」
「まさか、本物の竜殺しだとでも言うのか? まさか、まさか……」
シンは佐竹真一の身体であった頃の剣道の段位は三段であった。
才能があったのだろう。中学生の時に二段を取り、高校に入り暫くして三段を取った。
あのまま続けていれば四段を取れただろうか? 四段からは人外の領域である。
大抵の人は剣道を幼少の頃から大学まで続けていれば、三段相当の腕前にはなるだろう。
その先からは天賦の才が必要とされる世界、果たして佐竹真一はその世界に足を踏み入れることができたのだろうか?
今となってはわかるはずもないが、ふとした時にその事を考えてしまう。
――――この身体ならどこまでいけるのだろうか? 四段? 五段? 前の身体よりも強く大きなこの身体ならもしかすると更に先へ……おっと、いけねぇ……戦闘に集中せねば……
二人の兵が剣を構え、タイムラグを設けながら打ち掛かって来る。
一人目の上段からの打ち下ろしを掻い潜る様に躱し、すれ違いざまに胴を薙ぐ。
シンの愛刀である天国丸は、兵が見に着ける革鎧を紙の如く容易く斬り裂き、腹を裂いて致命傷を負わせる。
二人目の打ち込みを、胴を薙いだ剣をそのまま振り上げて受け止めると、体を剣に寄せて鍔迫り合いへと持ち込んでいく。
シンの両目に赤光が灯った瞬間、鍔迫り合いをしていた兵が弾け飛ぶようにして吹き飛ぶ。
数メートル先に仰向けに転がる兵に駆け寄ると、喉に突きを入れて手首を返し抉った。
笛のような音を立てながら上がる血しぶきを見た兵たちは、知らずの内に一歩二歩と後退りを始める。
顔に返り血を受け両目を炎の様に揺らめかせたシンが、ニヤリと笑みを浮かべながら、キュルテンに向かって駈け出すと、兵たちは武器を放り出し悲鳴を上げながら我先にと逃げ出した。
「間違いねぇ、本物だ! こ、ここ、殺される」
「り、りゅ、竜殺しだ、冗談じゃねぇ、逃げろ!」
「おい! 貴様ら、それでも栄えあるキュルテン家の家臣か! 逃げるな、戦え!」
剣を振り唾を飛ばしながらキュルテンが吠えるが、その指示に従う者は一人も居ない。
腰を抜かし地を這うようにして逃げようとする兵の頭を、シンが踏みつぶして殺すのを見たキュルテンは己の失敗を悟らずにはいられなかった。
西部の大貴族であるディーツ侯爵の甥であるキュルテンが、皇帝のサインの真偽を見抜けぬわけが無く、本物だと知っていながら握りつぶそうとした。
それには幾つかの理由がある。まず問題なのは、現在帝国新北東領は一部を除いて皇帝直轄領である。
そこで許しを得ず無断で徴税を行うのは、皇帝の財産に手を付けるも同然の行為でありどのような言い訳も通用しない。
二つ目の理由は、キュルテンは賊の取り締まりなど真面目に行ったことは今まで無く、戦果と称して持ち帰った首の大半は街道を行く無辜の民衆のものであった。
他領の民衆を害す、それも皇帝の直轄領で……このことが露見すれば、キュルテン家だけでなく叔父のディーツ侯爵も責は免れないであろう。
この様な辺境にまさか皇帝直属の官である巡察士がやってくるとは、それもその巡察士があの竜殺しのシンだとは……キュルテンに選択肢は残されていない。
消して全てを闇の中へと葬り去る。
だが、シンの戦闘力はキュルテンの想像を遥かに凌駕していた。
大体、竜殺しだ何だのと大げさなのだと高を括っていたのだ。
これは致し方のないことで、現代のように写真や映像などがあるわけでは無く、情報の伝達手段が会話と手紙位しか無いのだ。
それに大抵の冒険者は泊を着けるために大層な二つ名を名乗ったりしていることも多く、竜殺しという二つ名もそれらの類であろうと思っていたのだ。
迫り来るシンに恐慌をきたして腰を抜かし、逃げる事も出来なくなったキュルテンは、剣を放り投げ這いつくばり命乞いを始めた。
「ま、待て、い、いや、待ってほしい。な、何が望みだ? 金か?」
辺りを見れば兵たちは皆逃げ散り、誰も残ってはいない。
肥え太り弛んだ脂肪を揺らしながら憐れみを乞うキュルテンを、シンは剣を向けたまま冷ややかな目を向ける。
後ろも片付いたのだろう。レオナがゆっくりと近付いて来るのがわかる。
「金ならいくらでも払う! ここにある分で足りなければ後で払う、きっと、いや、絶対にだ。それでも足りなければ叔父上が払ってくれる! どうだ?」
シンがこの提案に心を動かされていないことを知り、キュルテン焦りに焦る。
「な、ならば爵位や領地はどうだ? 貴族にしてやる、お、叔父上に頼めば簡単なこと。男爵に、いや子爵にだってなれるはずだ」
見苦しい醜態を晒すキュルテンにこれ以上付き合う気にはなれず、シンは口上を述べてから引導を渡そうと思ったが、キュルテンの様子が少しおかしい。
先程からチラチラと奥にある天幕の方を見ているような気がする。
「師匠、こちらも片が付きました。残りもみんな逃げたみたいです」
カイルが若干息を弾ませながら駆け寄って来る。
「怪我は無いようだな、良くやってくれた」
シンの言葉にカイルは嬉しそうに破顔した。
「おい、奥の天幕の中には何がある?」
シンの問いにキュルテンは答えない。ただ顔を青ざめさせて震えるのみである。
「チッ……カイル、こいつを見張っていてくれ、俺は天幕の中を調べて来る。逃げようとしたら殺して構わん」
シンが天幕へと歩き出すと、その後ろをレオナが何も言わずに付き従う。
「レオナ、用心しろ。物陰や天幕の中にまだ敵がいるかもしれない」
「はい、心得ております」
二人に油断は無い。ゆっくりと周囲を探りながら目的の天幕に近付いて行く。
天幕の中の様子を覗おうとしたその時、素っ裸の男がナイフを振りかざしてシンに襲い掛かる。
だが用心していたシンはあっさりとその攻撃を躱すと、一糸纏わぬ男の腹に強烈なボディブローを放った。
その攻撃に堪えきれずに地に転がった男は、咳き込みながら血の混じった胃液を吐きもがき苦しんだ後、意識を失った。
吹き飛んだナイフを拾い上げると、刃に血がこびり付いている。
天幕を潜ると淫靡な精臭と血臭が混じった空気が籠っており、シンもレオナも顔を顰める。
中央には人らしきものが横たわっているが、どうも様子がおかしい。
シンがゆっくりと近付いて見ると、そこには驚きの光景が待ち受けていた。
「レオナ、外に出ろ!」
シンの声は今一歩遅く、既にレオナはそれを見てしまっていた。
レオナは見る見る内に顔を青ざめさせると身体を震わせ、吐き気を堪えるように口許に手を当てる。
「外に出ていろ。それと先程の男は殺すな、聞きたいことがある」
そう言って震え立ち竦むレオナを背と肩に手を回し、天幕の外へと追い出したシンは、再び中央に横たわる人影に視線を戻した。
天幕の外からレオナが堪えきれずに吐瀉する音が聞こえて来る。
天幕の中央に横たわるのは一人の女性。
だがその手足はあらぬ方向に曲がっており、体中には殴打されたときにできた痣が無数に残っていた。
股間はおろか、体中のあちこちにべったりと精液が付着しており悪臭を放っている。
頭部はもっと悲惨な状態だった。パンパンに腫れ上がった顔は最早人の原型を留めておらず、両耳と鼻は刃物で削がれ、両目はくり貫かれていた。
流石に死んでいるだろうと思ったが、近付いて見ると胸が微かにではあるが上下している。
シンは急ぎ天幕を出ると、馬車へと駆けよりトラウゴットとアヒムを呼んだ。
「また、派手にやりなさったな。それでどうなされた? 誰か怪我人でも?」
シンは頷くと二人の手を取って駈け出す。
途中、縋りつくように手を伸ばして来たキュルテンの顎を力いっぱい蹴り飛ばすと、キュルテンの口から折れた歯と血が盛大に宙に舞った。
いつになく荒れているシンを、二人の司祭は驚きの表情で見つめる。
「中に怪我人がいる。治療をお願いします」
天幕から溢れ出る臭気に顔を顰めながら司祭たちは足を踏み入れる。
次の瞬間それを見たアヒムは、堪えきれずに踵を返し天幕の外へと出て、レオナと同じように胃の中の物を盛大に吐き出した。
「なんと酷いことを……」
トラウゴットは顔を顰めながら近づき、傷の具合を確認していく。
シンは視線でどうだ? と問うと、トラウゴットは首を垂れて力なく首を横に振った。
「無理じゃ……シン殿、治癒魔法というのはな、術者のマナと患者のマナ、それに生命力が必要なのだが……この者には治癒魔法に応えるだけの生命力が残っておらん……口惜しいが、どうする事も出来ぬ」
その答えにシンもガックリと首を垂れた。
そんなシンの耳に、掠れた小さな小さな声が聞こえて来る。
「……て……」
慌てて女性に近付き、口元に耳を寄せる。
「…………ひて…………」
女性の口中には歯が無い。殴られた時に全て折れたのだろう。
ヒューという呼吸音と共に、掠れた声は途切れ途切れにある一言を唱え続ける。
「…………て…………ころひて…………」
その言葉を聞いてシンの身体が総毛立つ。暫しの逡巡の後、静かに刀を抜くと女性の胸に勢いよく突き立てる。
トラウゴットは一言もしゃべらず、黙って静かにその光景を見守った。
バレンタインデーなどという悪習は即刻無くすべきです。
義理で貰ってもお返しが面倒くさいんですよ!
本命? そんなものは無い!




