アリュー村
小太りの門番の後をおとなしく着いて行くと村の中央に出た。
「真ん前にあるのが酒場兼宿屋だ、この村には1軒しかねぇ。んで、左隣りにあるのが雑貨屋だ、ここで食料は買えるだろう。その隣が鍛冶屋だ、これも1軒ずつしかねぇ。じゃあな」
小太りの門番はぶっきらぼうに告げると、門の方へ戻ろうとする。
慌ててシンが礼を言うと、
「よそ者に勝手に村の中をウロウロされると俺らの仕事が増えるからな、くれぐれも騒ぎを起こしたりするんじゃねぇぞ」
これまたぶっきらぼうに言うと門の方へと戻って行った。
――――とりあえず通貨を得るために宝石を一つだけ売らないと、まずは雑貨屋か……あまり高そうな宝石を売っても危ないかも、治安がどの程度なのかわからないが金持ちと勘違いされて襲われたら嫌だ。交渉とかやったことがないが、上手く出来るだろうか?
少しの逡巡の後、意を決して雑貨屋に入る。
雑貨屋に入ると、人当りの良さそうな初老の店主がこちらを見て少し驚いたようだった。
「おう、村人以外の客なんて珍しい。いらっしゃい」
「ご主人、早速ですまないが買い取って欲しい物がある……これなんだが……」
そう言ってシンは大事そうにバックパックから、ブラックオパールを取り出す。
「ん? 何かね? おや宝石かい、ほぅ……ブラックオパールかい。どれどれ……」
手に取ってしげしげとブラックオパールを見た後で、店主は指を三本立てた。
「銀貨三十枚だな、それでどうだい?」
シンはこの国の貨幣体系すら満足に知らない。
銀貨一枚がどれ程の価値を持つのかが、まずわからない。
交渉しながらそれらの情報も得るつもりだったが、いきなり商人相手にそれは無謀だとも思ってはいた。
「ちょっと待ってくれ、これだけの品をたった銀貨三十枚だって? 金貨の聞き間違いだよな?」
「あはは、お客さん、流石にこれに金貨は出せないよ。そうだなぁ少しだけ色を付けて銀貨四十枚出そう」
「このブラックオパールの地色の濃さと、遊色の強さを見てくれ! これだけの品を銀貨四十枚はちょっとなぁ……倍の八十枚でどうだ?」
「五十!」
「七十!」
「ええい、五十五! これ以上は出さんぞ。どうするかね?」
シンは考える振りをして店内を見回すと手ぬぐいが目に入った。
銅貨5枚の値札が付いていた。
「五十五枚でいい、その代りこの手ぬぐいを一枚おまけしてくれ」
「ええじゃろ、五十五枚じゃな! 手ぬぐいは好きなの持って行け、金を持ってくるからちょっと待っとれ。支払は全部銀貨でいいな?」
「あ、いや小銭も欲しいから銀貨一枚分を銅貨で頼む。あと雑貨をいくらか買うから買い取り金額から引いてくれ」
「あいよ、うちの店はどれもいいものしか置いていねぇ。ゆっくり選ぶとええ」
手ぬぐいをさらに数枚、小さな麻の袋を数枚、干し肉などを計算して銀貨1枚に丁度なるように選ぶ。
そして銀貨五十三枚と銅貨百枚を受け取り、貨幣は買った麻の小袋に入れて貰った。
「ご主人、俺は旅の者でこの国は初めてなんだが、この国では金貨のレートは安定してるのかい?」
「ん? ああ、よその国から来なさったか、ああ金貨一枚で銀貨百枚さね。この三十年変わってないよ」
「そうか、いやぁいい取引が出来て満足している。感謝する」
「いやいや、こちらこそ毎度あり。こっちとしてはもう少し買い叩ける思ったんだがね、久しぶりの外からの客だしね。この村に居る間は贔屓にしておくれ」
「ああ、また何か必要な物が出たら頼むよ。それじゃ」
シンは店から出るとホッとため息をついた。
おそらくあれでもかなり買い叩かれたであろうことは、何となく感じていた。
だが両替をし、両替手数料も取られなかったうえに貨幣体系もわかり、収穫も大きかった。
次は宿を取って飯とゆっくりと体を休めたいと思い、門番の言っていた村唯一の宿屋へと向かう。
宿屋兼酒場に入ると、太った中年の女性……女将であろうか? こちらを値踏みするように見た後で声をかけて来た。
「酒場は夕方からだよ、それとも宿かい?」
「宿を頼む、一泊いくらだい?」
「うちは一泊銅貨二十枚、先払いだよ。食事は夕食はただでいいけど、朝食は銅貨五枚払っとくれよ。後、裏の井戸を使うなら銅貨一枚貰うよ。それでいいかい?」
「ああ、それでいい。とりあえず一泊頼む。明日の朝飯分と井戸の使用料併せて二十六枚だな」
「ひい、ふぅ、みぃ……はいよ、ぴったり二十六枚! 部屋は二階だよ、案内するから着いて来とくれ」
女将に案内された部屋はわら葺のベッドと小さいテーブル以外ないこじんまりとした部屋だった。
「食事は下に降りてきて食べておくれ、それじゃごゆっくりどうぞ」
一応念のために扉に閂を掛けると、わら葺のベッドに倒れこむ。
寝心地は決して良くはないが、旅の間浅い眠りにしか就けなかったシンは訪れる睡魔に抗えなかった。
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下の階のガヤガヤとした酒場特有の喧騒にも似た音を聞いて、シンはゆっくりと目を覚ました。
どれ位寝ていたのであろうか? 窓を開け外を見ると日がまさに今落ちようとしてた。
夕食の時間に丁度いいかも知れないと思い、一階へと降りて行く。
中央管理施設のPOP以外の初めてのまともな食事に、シンの心に期待感が高まっていく。
食欲をそそる料理の香りが鼻腔をくすぐると、連動したかのように盛大に腹の虫が鳴いた。
下に降りると空いてるテーブルに座り、すぐさま女将に夕食を頼んだ。
今日のメニューは黒パンと野兎と野草のスープらしく、漂う香りに口中からは唾が絶え間なく湧き出してくる。
エールは飲むかい? 飲むなら一杯銅貨二枚だよと言われたが、シンは酒を今まで飲んだことがないので止めておき水を頼んだ。
直ぐにテーブルに黒パンと熱々の野兎と野草のスープが置かれ、シンはまず黒パン手に取り齧ってみるが、硬くて噛みきれず苦戦してると後ろから声をかけられた。
「なんだお前、どっかの貴族様か? 黒パンはな、スープにつけてふやかしてから食うんだよ」
振り返ると、小太りの門番が呆れた顔をして立っていたいた。
しまったと思いシンは動揺したが、それを相手に知られないように平静を保つべく努める。
この世界ではこんなことは一般常識だろう、それを知らないのはどう見ても怪しすぎる。
とっさに閃いた嘘で誤魔化すことにした。
「そうなのか、教えてくれてありがとう。俺の祖国はパンが主食じゃないんでな、わからなかったよ」
「パンが主食じゃないって? じゃ何食ってたんだ?」
「米って言う穀物の種子を炊いた物が主食だったんだ」
「へぇー、お前本当によそ者だったんだなぁ……だけどそんなもの聞いたことねぇな。相当遠くの国から流れて来たのか。ああ、お前はシンだったよな、俺の名前はダンだ。よろしくな、相席していいか?」
「ああ、いいぜ。こちらこそよろしくな」
ダンも夕食を注文し、二人とも夕食を共に食べながらしばし談笑する。
ダンの言う通りにスープに浸して食べれば黒パンも美味しく食べる事ができた。
ダンが旅の話を聞いてきたので、これまでに出合った魔物の話をするとあっと言う間にシンたちの周りに人だかりが出来あがる。
小さな村で娯楽も少ないのだろう、旅人の話は何よりもの娯楽であり酒の肴であった。
ディアトリマの鳴き声の真似をしたり巨大な翼竜、ワイバーンの話や首長亀やイクチオステガの話、出合った魔物の話をすると大人も老人も子供の様に目を輝かせて聞き入る。
アンドリューサルクスを見た事や、朽ちた遺跡があったこと。
ハルのことは話さず、調べたが何も無かったと誤魔化した。
バルチャーベアに襲われた事も話すが、死に掛けて生体移行手術を受けたことは話さずうまく逃げ切ったことにした。
シンが一通り話終えると、村人達との仲はすっかり打ち解けていた。
今度はこちらから村人たちに色々なことを質問する。
「ここら辺で一番でかい街ってどこなんだ?」
「ああ、ここら辺ならやっぱり辺境伯様がおられる古都アンティルだろうな。アンティルはその昔、ここら辺が王国に編入する前は首都だったらしい。まぁ四百年も前のことで本当かどうかは知らねぇけどな」
その他のも様々な文化や風習などを聞いていたときに、酒場に一人の男が慌てた様子で転がり込んできた。
「た、たたた、大変だぁ、離れのルイスがバルチャーベアに食われちまった! 扉に凄い爪の痕が残っていてよ、血がそこらに撒き散らされててよぅ……ルイスは影も形もねぇんだ! それで村長が村の中央に男はみんな集めろって、みんな直ぐに武器を持って来てくれ!」
バルチャーベア、この名前を聞いた村人たちは全員が顔を青ざめさせる。
酔っ払って赤い顔をしていた男も真っ青になり、その足は微かに震えていた。
バルチャーベア……シンはまさかここでその名を聞くとは思わず驚いたが、同時に心の奥底から怒りと復讐心がメラメラと燃え上ってくるのを感じていた。