派遣軍の実態
龍馬に騎乗した黒衣の戦士の雄叫びが街道に轟くと、賊は剣を交える事無く我先にと退散して行く。
黒い兜に黒い鎧に黒い外套、兜の隙間から覗く黒髪に紅く光を灯す両目、シンを知らぬ者が見れば悪鬼の類と錯覚したとしても別段おかしくもない。
逃げ散った賊を追うことなく後方の馬車に手を上げて合図をすると、シンは兜のバイザーを上げて小さな溜息をついた。
シンは殺人鬼では無い。無用な争いは例え賊とだろうと、避けることが出来るのなら避けたい。
――――それにしても、治安維持を目的とした派遣軍、第一次派遣軍は成果を出したが第二次派遣軍の指揮官ディーツ侯爵は噂通りの無能だな。街の傍に賊が蔓延っているようじゃ成果など期待しようも無い。今の所エルの予想通り……エルの手のひらの上でディーツ侯爵は踊らされている。あとはこの非を鳴らして失脚させるのみか。
ガラント帝国新北東領、旧ルーアルト王国北方辺境領に帝国は二度、治安回復を目的とした大規模な派遣軍を編成し、同地に蔓延る賊を根絶やしにするべく送り出した。
第一次派遣軍の指揮官は、エミーリエ・ブルング伯爵。元は男爵であったが、逆臣ゲルデルン公爵との政争のおりに皇帝ヴィルヘルム七世に助力した功を讃えられて陞爵し伯爵号を送られた。
エミーリエの年齢は四十五歳。脂の乗った働き盛りの年齢であり、本人の能力も高いこともあり帝国の新体制の柱の一本と目されている人物である。
シンも何度か顔を合わせた事があり、大貴族でありながら飾らず奢らず、度々諧謔を飛ばすユーモラスな人柄に好感を抱いていた。
そのエミーリエ伯爵が率いる第一次派遣軍は、数百、数千と集まっていた賊徒の群れを尽く粉砕し、これによって新北東領に大規模な賊軍は姿を消す事となった。
派遣軍にコテンパンに敗れた賊軍は群れ膨らむのを止め、少数のグループを形成して各地に逃げ散った。
これらの少数のグループに対応するために、街道の要所に検問を作り、そこにある程度まとまった兵力を配し日々取締りを行って対応していた。
半年でかなりの成果を上げたが、先のスードニア戦役が起こり帝都への帰還を余儀なくされる。
遺憾ながら検問を廃し、治安維持に対する最低限の兵数を一か所にまとめて配置して、第一次派遣軍は新北東領を後にした。
スードニア戦役後、第二次派遣軍が新北東領に遣わされることが決定し、その指揮官を誰にするのか皇帝以下首脳陣は大いに頭を悩ませた。
能力的には第一次派遣軍指揮官エミーリエが適任ではあるが、指揮官、兵共々半年の任に堪え帰還したばかりであり間を開けずに再び派遣するのは躊躇われた。
第二次派遣軍の指揮官は、帝国西部の諸侯の取りまとめ役であるヨナハウ・ディーツ侯爵が選ばれた。
先の戦役には遠方であるなどと理由を付けて参戦しておらず戦力を丸々温存しており、その戦力を背景に既得権益の強化に取り組み肥え太っていた。
元々碌な人物ではない事を知っていて、これ以上のさばらせることに懸念を抱いた皇帝ヴィルヘルム七世は、ディーツ侯爵とその取り巻きの西部貴族を第二次派遣軍に指名して、戦力と財産の双方を削ぐことにした。
ディーツ侯爵は何かと理由を付けて断り続けたが、皇帝の命令と先の戦役で戦功を立てた貴族からの、西部の貴族は臆病で無能との嘲笑に堪えかねた取り巻きの貴族たちの突き上げに折れ、渋々ながらも承諾した。
当然の事であるが、取り巻きの貴族たちを笑いものにするように仕向けたのは皇帝の策謀によるものである。
総指揮官が嫌々出陣しているのが全軍にも伝播しており、第一次派遣軍とは士気も作戦遂行能力も段違いで低い。
皇帝もそれは十分に承知のことであったが、当時切れるカードはそれ程多くは無く、それでも軍は軍であるため最低限の仕事はするだろうと思い派遣したのだった。
帝国新北東領に赴任したディーツ侯爵は、同地中央の城塞都市ハスルミアに籠り、取り巻きの貴族たちと贅沢三昧の堕落した暮らしを続けている。
追従してきた弱小貴族や兵の暮らしは悲惨そのもので、満足な補給も無くその日暮らしを余儀なくされている。
当然、その様な状態で満足に賊の取り締まりなど行われるはずも無く、逆に喰うに困った兵が脱走して賊に鞍替えする事態すら起こり始めていた。
また、贅沢を享受する一部の貴族たちと、西部であるがために追従せざるを得なかった弱小貴族たちとの間にも亀裂が入り始めていた。
皇帝は送り込んでいた細作により、同地の情報を事細かに掴んでおり、さっそく西部貴族の切り崩し工作に取り掛かる。
また第二次派遣軍には西部貴族が中核であるが、一部に南部からの貴族たちも参加していた。
帝国南部の属国であるラ・ロシュエル王国の暗躍に対応するために、南部の貴族の引き上げを決定し、それと共に西部の弱小貴族たちも帰還させることにした。
南部の貴族と西部の弱小貴族たちは、満足な補給も受けられず、また補給物資を独占するディーツ侯爵に対する不満に耐えかねていたために、今回の皇帝の命に喜んで従った。
皇帝は、帰還する貴族たち一人一人に時間を割いて会い、労苦を労うとともに多額の慰労報奨金を気前良く支払った。
これによって帰還組の南部、西部の貴族たちはディーツ侯爵を見限り、以後皇帝に忠を尽くすことを心に決めた。
ディーツ侯爵は今回の皇帝の命令に激怒し詰問の使者を送ったが、皇帝が結果を出せていないと逆に叱責され面目丸つぶれとなり、帝国中に失笑されることになった。
更には皇帝に、成果を上げる事が出来ぬのならばその地位を危ぶまれるような発言をされて、大いに慌てるがその時には、南部、西部の弱小貴族たちの戦力が引き上げを開始しており戦力が激減し、功績を上げることが難しい状況となっていた。
仕方なくディーツ侯爵は取り巻きの貴族たちの尻を叩いて、遅まきながら治安維持に取り組むがそのことが、とある事件を引き起こす事となった。
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城塞都市カーンを出て二日、街から遠ざかっていく距離に比例して賊の質も低下していった。
これは力のある賊のグループは、街から出たばかりの者たちを襲うため街の近郊に伏せているが、力の無いグループは勢力争いに負けて遠くへと追いやられるためである。
本来ならば街には人間、物資の出入りがあるはずだが、新北東領には交易するだけの余裕は無く、帝国本土からの出があるのみで新北東領からの入りは無いために、街に近ければ近い程に強いグループが縄張りとする状態にあった。
「ここからは賊との遭遇は減るが、野生動物や魔物の脅威が色濃くなってくるので、油断せずに行くぞ」
シンが休憩の終わり際に言った注意に皆が頷く。
その後、賊との遭遇は無くなったが草原オオカミや、体長四メートルを超える巨大なヘラジカ、ギガントエルクなどと頻繁に遭遇するようなった。
「賊なんかしないで、あのさっき会ったヘラジカを狩って喰えばいいじゃねぇか」
シンの呟きにカイルが苦笑を漏らす。
「師匠、ギガントエルクは生半可な相手じゃないですよ。師匠なら兎も角として賊ごとき蹴散らされるのがオチです」
「力は強そうだな、それに角も大きくて危険そうだ。俺の故郷にヘラジカは居なかったから、ヘラジカについてはよくわからん。カイル、知っていたら教えてくれ」
「う~ん、そうですね……気性は基本的に穏やかなんですが、雄は縄張りと雌を守るために襲ってくることがあります。基本的に距離を置いて近づかなければ無害な生き物ですよ。あと、肉は臭みが強いけど結構美味しいです。僕の村では肉はご馳走でした。焼いて良し、燻製にしても良しと」
「なるほどな……よし、無駄な交戦は避けよう、別に狩りをしに来たわけじゃないからな。カイル、済まんが肉は諦めてくれよ」
シンがそう言って笑うと、横にいるエリーも吹き出した。
カイルはエリーに対し、少しだけ不貞腐れた表情を向けるが、エリーの目つきが真剣なものに変わったのを見て、慌てて気を引き締め直し前方に注意を払った。
エリーが注視する方を見ると、遥か前方に街道脇に建てられた幾つかのテントと、道を塞ぐように置かれた柵があり旗が揺らめいている。
旗を見ればガラント帝国旗とそれに属する貴族の旗が揺らめいており、味方だとわかった一行は警戒心を薄めていく。
向こうもシンたちを見つけたのか、テントの中からぞろぞろと人が出てきて街道を塞ぐように立ち塞がった。
床下の配管の修理がやっと終わり、下水が使えるようになりました。
原因は床をリフォームしたときに傷つけたからではないかとのこと。
賃貸でリフォーム後に入居したので、自分は知ったこっちゃないんですがね




