新たな戦の予感
穏やかな日差しを浴びながら皇帝とハーゼ伯爵は、グラウンドを周回する受験者たちを眺めつつ帝国の現在ある懸念事項の確認をする。
近侍や護衛は少し離れて警備をしており、呼ばない限りは近づいては来ない。
まさかこの様な青空の下で、帝国の今後の方針について会話されてるとは誰も思わないであろう。
「そういえば陛下、剣術指南のカステルンが辞任したそうですな」
「うむ。どうやらマッケンゼンの件を知り、矛先が自分に向けられ、悪行が知れる前に逃げ出したという所だろう。どのみち碌に指導もしてはおらぬし、役立たずが辞めて清々するわ」
「後任は? やはりシンですかな?」
「いやそれは拙い。シンにはやってもらいたいことがある、そのために巡察士にしたのだからな……伯よ、誰かおらぬか? 誰に聞いてもシンを推す声ばかりでな……帝国に他の人材がおらぬわけではあるまいに」
皇帝は走る受験者たちに視線を向けながら、大きな溜息をつく。
ハーゼはこめかみを指で押さえつつ、皇帝の信に足る人物はいないか記憶を辿る。
「居ますぞ陛下、適任者が! しかし変わり者ゆえ、素直に頷くかどうか……」
「ほぅ、変わり者で名高い伯がそう言うとはよほどの偏屈なのだろうな。して、名は?」
「ザンドロック・クリューガーと申す者です。それと聞き捨てなりませんな陛下、某は変わり者ではございませんぞ」
「ははは、許せ。伯は変わり者ではない、ただ頑固なだけだ。クリューガー……聞いたことがあるな、はて何処であったか……」
皇帝は頬杖をつきながら考え込む。その視線は相も変わらず受験者に注がれており、受験者側からすれば皇帝の視線を感じて実にやりにくい。
「かの者の祖父、ゲルハルト・クリューガーは先々代の剣術指南でありました」
「ああ、それでか。余が生まれる前に辞したと聞いておる。そのザンドロックとやら、腕は確かか?」
「はっ、某の見立てでは、試合ならばザンドロック、戦ならばシンが勝つかと……」
皇帝は目を大きく見開き横のハーゼ伯爵を見つめる。
ハーゼは言葉を発せずに、ただ静かに頷いた。
「それほどまでか、何故シンが試合だと負けると思うのだ?」
「簡単な事です。理由はシンの武器にあります。あの刀と言うのを使えばシンが勝つでしょうが、帝国の試合では刃引きしたロングソードで行うのが一般的でありますれば」
再び受験者に視線を戻した皇帝は、少しだけ不満げな顔で、なるほどと言い納得した。
「よし、その者を招聘するとしよう」
「はっ、それとお耳に入れておきたいことが一つ。マッケンゼン他、前近衛騎士の動向を諜報を使い調べましたところ」
皇帝はニヤリと笑いハーゼ伯爵の次の言葉を手を上げて制した。
「わかっている。南に向かったのだろう? 行先はおそらく属国であるラ・ロシュエル王国であろうよ」
「おわかりでしたか」
そう言ってハーゼは破顔一笑する。
「わからいでか。また戦になるな……だが、余の代で帝国に今まで溜まった膿は全て出し切らねばならぬ」
「直ちにということでもございますまい。ラ・ロシュエルはその後背にいる亜人たちと紛争状態ですし、先の戦でルーアルト、ハーベイともに打撃を受けしばらくは身動きできますまい。ミレイユ王国は大飢饉からまだ立ち直ってはおらず、エックハルト王国もルーアルトから奪い取った東部辺境領の統治に力を注いでいる模様でありますれば」
「うむ。だが近いうちに必ず戦は起こると、余は確信に近いものを感じておる。……おっ、見よ。何かあったようだぞ」
皇帝が目を細めながら見つめるその先には、試験官のシンに食って掛かる数名の受験者がいた。
「あれは確か、ギュンデル子爵家の……」
「ああ、あの選民意識の塊みたいな豚の小倅か、ちっ」
皇帝は人目も憚らずに、心底嫌そうな表情を浮かべ舌打ちした。
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シンと受験者たちは息を弾ませながら、ただひたすらに走り続ける。
最初は聞こえていたお喋りの声も、一周、二周と周回を重ねるごとに減っていき、三周したころには誰一人として声を上げる者はいなくなった。
シンは後ろをチラリと振り返ると、剣を腰に履き盾を背負ったクラウスが、ぴったりと張り付くように走っている。
シンと目が合ったクラウスはニヤリと笑う。
クラウスにとってこの二次試験は、師匠であるシンに自分の今まで培ってきた全てを見せる最後の機会。
他の者とは気合いの入り方からして違う。
丁度五週が終わった時、最後方を走る数名が足を止め、なにやら大声で喚きだした。
「よし、十六番! この速さを維持して先頭を走れ。決して足を止めるな」
そう言うとシンはスピードを上げてトラックを半周し、足を止めて何やら喚いている者たちへと近づいて行く。
足を止めた者の数は四人、その中の一人が主導権を握っていて、他はただそれに追従しているように見える。
シンが近付いて来るのを見えたのか、鼻息荒く喚いていた者を先頭にして四人もシンの方へ向かい歩いて来る。
「どうした? 怪我でもしたのか? していないのであれば走れ。止まって良いとは言っていないぞ」
シンの言葉を聞き、先頭の少年は顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「ふざけるな! これのどこが試験なのか! なぜ栄えあるギュンデル家のこのホラーツが馬鹿みたいにただ走り続けねばならぬのか!」
「試験の内容に不満があると?」
「そうだと言っている! 貴様、平民だな? これだから碌に教育を受けていない者は駄目なのだ。貴族に対する礼儀を知らぬ。兎に角この馬鹿げた試験を中止せよ! もっとこう、品格などを試すべきである」
「お帰りはあちらです。お疲れ様でした」
シンはグラウンドの端にある門を指差すと、ホラーツに背を向けてその場を去ろうとする。
その素っ気ない仕草がホラーツの怒りに油を注いだ。
「き、きき、貴様! 私を侮辱する気か! 私を侮辱することはギュンデル家を侮辱することに等しい。わかっておるのだろうな? 生かしてはおかぬぞ!」
激昂したホラーツはシンに殴りかかるが、シンは僅かに上体を逸らしてその拳を躱した。
大振りのパンチを躱されたホラーツは、駒のように一回転し無様に地面に倒れ込む。
離れた所からその様子を見た皇帝は、手を叩き指を差して大笑いしていた。
シンは大笑いしている皇帝を睨み付けるが、それがツボに入ったのか、皇帝は地面を転げまわるかのように大笑いを続ける。
「まったくしょうがねぇなぁ……おい、お前ら他の受験者の邪魔だ。やらねぇならとっとと出て行けよ」
その言葉に反応したホラーツは、最早言葉とも言えない怒りの雄叫びを上げて再びシンに殴りかかる。
シンはその殴りかかって来た腕をいとも簡単に掴むと、背負い投げをして地面に叩きつけた。
地面に叩きつけられた衝撃で失神したホラーツの襟首を掴むと、トラックの外へ引き摺るようにして運び、無造作に投げ捨てる。
「き、貴様! な、何をしたのかわかっているのか!」
取り巻きの一人が脚を震わせながら喚くのを、一睨みして黙らせる。
「この試験の内容は皇帝陛下もご承認あらせられておる。それに異を唱えるとは何事か! 貴様らこそ身の程を知れ。これ以上試験を妨害するならば、陛下に対し反逆の意志ありとみなし逮捕拘束する。それにたかが五周程度で根を上げる、体力も根性も無い者に近衛騎士など勤まるはずもない。よって貴様ら全員失格と致す。今すぐこの場を去れ!」
その言葉に衝撃を受けた取り巻きの三人は暫しの間、微動だにしなかったが、シンが警備の兵を呼ぶそぶりを見せると、慌ててホラーツを担ぎ最初に指差された門から出て行った。
シンが再びトラックを見ると、クラウスが言われた通りにペースを乱さずに先頭を走り続けている。
その様子を見て満足気に頷き、再び受験者と共に走り出すが、今度は先頭には戻らず最後方について走る。
先程の様子を走りながら横目で見ていた受験者は、自身の楽観的な希望や甘えを捨ててただひたすらに走り続けるしかなかった。
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タイトルを変更しました。これからもお付き合いのほど、よろしくお願い致します。




