襲撃
シンが宮殿を辞する頃には夜の帷が降りて、裏路地などは闇に包まれている。
表通りの大通りなどには、一定間隔で小塔のようなものが建っており、その先端には明かりを灯す魔道具が備え付けられている。
現代の蛍光灯ほどではないが、その光源である程度の視界は確保される仕組みになっており、夜間であっても大通りならば犯罪はそれほど起こりはしなかった。
無論、いくら帝都とはいえそのような光塔があるのは一部だけであり、表通りから一本でも裏に入ればランタンや松明無しでは歩くことすら覚束ない。
大通りを通って帰宅を急ぐシンの後ろを、一定の間隔を空けて尾行する複数の男たちがいた。
首筋にチリチリとした違和感を感じたシンは、歩みを止めずにブーストの魔法を唱え、五感を強化すると共に如何なる事態にも対応するべく腰に差した愛刀の鯉口を切った。
歩みを止めず、また振り返らずに聴覚を強化して周囲の音を探ると、背後から数人の足音が聞こえて来るのがわかった。
シンが歩みを緩めれば、その足音も緩み、止まれば同じように止まる。
――――いいね、俺にはこっちの方がわかりやすくて好きだぜ……さて、何処で奴らは仕掛けて来るだろうか? 大通りでは明るく、人目につきやすいから控えるだろう。だとすればこの先の光塔が途切れる所か、若しくは家の側で安心し心が緩んだところで仕掛けて来るか……足音からすると背後の人数は四、五人、全員が手練れだときついな……それにどうせ待ち伏せしているのも何人かいるだろうし、さてどうすべきかな……
ブーストで強化された瞳は暗闇の中でもある程度の視界を確保していた。
光塔が途切れてしばらく進むと、左右の道から数人ずつ現れ、背後からも退路を断つ形でぐるりと取り囲もうとしてきた。
正面に立った男が剣を向けて、シンに何か話しかけようとしたその時、既にシンは刀を抜き放って猛然と踏み込み男の頭頂に斬撃を叩きこんでいた。
ブーストの掛かったシンの斬撃は男の頭をまるで西瓜のように叩き割り、飛び散った血と脳漿が辺り一面へと散らばり生臭い鉄錆の臭いを放つ。
――――数で負けてるんだ、先手必勝。恨むなら余裕かました自分を恨めよ!
シンは即座に次の獲物に襲い掛かり、咄嗟の事に反応出来きずに茫然としていた敵を、瞬く間に血祭りに上げた。
――――あと何人だ? ええい面倒だ、反応を見てもこいつらは大した敵じゃない。一人だけ生かして後は手当たり次第斬り伏せるか。
刀を素早く鋭く素振りし、血を払うと雄叫びを上げながら次の敵を物色する。
ゆっくりと一周、視線を動かし襲撃者たちを見ると、皆腰が引けており剣先は震えからか小刻みに揺れている。
――――やはり最初に斬ったのがリーダーか、取り囲んで口上を述べてから襲い掛かろうとするなんて、マヌケな素人丸出しだ。おそらくは後一人か二人斬れば、逃げ出すだろう。おっと、一人は生かして捕えないとな……
襲撃者たちは統率する指揮官を失い、恐慌をきたしていた。
何人かはお互いに視線を交わしあうが、死んだ指揮官に代わって指揮を執ろうとする者はいない。
それどころか一刻も早くその場を逃げ出したかったが、背を見せた瞬間に斬り殺されるのではないかと、誰もが思い動くことが出来ない。
ゆっくりとシンが間合いを詰めて来るが、襲撃者たちにはそれが死の宣告のように感じられ、体中から油汗が、中には涙を流す者や小便を漏らす者まで出る始末であった。
シンが構えを変える度に、襲撃者たちはびくりと体を震わせる。
ブーストの魔法によって真っ赤に光り輝く両目は、彼らにとっては死神、悪鬼の類に見えた。
震えながら剣を向けている一番近い男に狙いを定めると、大きく踏み込んで刀で剣を払う。
金属同士が奏でる甲高い音がして、手から剣が吹き飛んだその時には膝に蹴りが放たれ、骨の砕ける鈍い音と痛みによる絶叫とを撒き散らしながら、男はもんどりうって倒れ込んだ。
仲間の絶叫によって一種の金縛り状態を脱した襲撃者たちは、剣を放り出して這う這うの体で逃げ出していく。
それをシンは追わず、膝を砕かれ痛みに地面を転げまわっている男の顔面に、容赦なく拳を叩きこんで失神させると、襟首を掴み石畳の上を引き摺って衛兵の詰所へと歩き始めた。
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「何者だ! あ、あなたは……いえ、あなた様は……」
衛兵の詰所に、返り血を全身に浴び更に生きているのか死んでいるのかわからない男を放り込んで来た男の顔を見た衛兵は、昨日ブリギッタをシンの家に案内したうちの一人で、返り血に汚れていても一目でシンだとわかったようだった。
「大通りを抜けた所で賊に襲われてな、一人だけ生かして捕えたので連れて来た。通りの先に賊が二人、死体で転がっていて後は皆逃げ散った。それじゃあな」
そう言って立ち去ろうとするのを、慌てて引き止めて事件の事を詳しく聞き出そうとする衛兵に、シンは大きくため息を吐いた後で簡単に説明する。
「宮殿から家に戻る途中で、複数の狼藉者に襲われたので二人斬り、一人を捕えてここへ連れて来た。以上だ」
「今、上役を呼んできます。申し訳ありませんがしばらくお待ち下さいませ」
そう言って水を張った盥と手ぬぐいを持って来た。
シンは礼を述べると、自身にこびりついた返り血を落とし始める。
「これは一体どういう事か! コンクト、説明しろ!」
駆けつけるなり部下を怒鳴るのは、これまた先日シンの家に来た衛兵長のバードンであった。
バードンは返り血を浴びたシンの姿を見て驚くが、ベテランらしくすぐさま落ち着きを取り戻すと、てきぱきと指示を飛ばした。
「この容疑者を手当したのち、牢に放り込んでおけ。一班は、犯行現場の死体の処理。二班は待機、後で剣術指南殿を家までお送りせよ。……剣術指南殿、申し訳ありませんが詳しい話をお聞かせ下さい」
「詳しい話も何も、俺が宮殿から家に帰る途中で十人前後の賊に襲われ、反撃し二人を斬って一人を捕まえた。ただそれだけだ、奴等とは面識も無い」
「物取りの類か……捕えた者の意識が戻り次第尋問を行います。剣術指南殿、長い時間御引止めして申し訳ありませんでしたな。おい、二班全員で剣術指南殿を自宅までお送りせよ。後日、またお時間を頂くかもしれませんがよろしいでしょうか?」
シンは構わないと言って席を立つと、衛兵部隊第二班の全員が表で整列し待っていた。
バードンは二班の班長にくれぐれも危険が及ばないように、それと失礼が無いようにと何度も何度も繰り返し言って送り出した。
シンの前後左右を衛兵が囲み、四方をランタンでかざしながら用心しつつ進んでいく。
班長以下衛兵は今や帝国の英雄であるシンの護衛という大任を仰せつかり、緊張の汗を滝のように流していた。
護衛対象であるシンは貴族ではないが、騎士の位をもち特別剣術指南兼相談役という役を得ている。更に皇帝の覚えめでたいだけでなく、帝国の英雄であり、その扱いは下手な貴族よりも慎重にならざるを得ない。
再び襲撃者に襲われる事無く無事に家に着くと、班長がこのまま朝まで護衛すると言い出した。
「いや、ここまでしてもらっただけでも感謝している。家には弟子たちもいるので大丈夫だ、バードン殿にもよろしく伝えてほしい」
そう言って追い返すと、シンは今一度顔を引き締めて家の門を潜った。
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「お帰りなさい師匠。っつ、その血は……」
カイルが玄関を開けて出迎えに出てきたが、シンの服に着いた乾いた血を見て眉を顰めた。
「ああ、宮殿の帰りに何者かに襲われてな。詳しい話は中で話そう」
そう言って心配する弟子の背をぽんと軽く叩き、中に入るとブリギッタ親子以外が全員玄関に集まって来てシンの服に着いた返り血を見て血相を変えた。
「まずは着替えをさせてくれ、あとブリギッタを呼んで欲しい。応接室に全員集まったら話すから」
シンが着替え終わり応接室に行くと、丁度レオナがお湯を沸かしてお茶を煎れているところであった。
ハーブティの香りが応接室とは名ばかりの、殺風景な部屋の中に満ちて行く。
「よし、全員揃ったな。では、まず宮殿でのことから話す……陛下に包み隠さずブリギッタのことを話したが、ルードビッヒ男爵の縁者としての御咎めは無しだ。赤子も女児のため同じく無し、ただし親子共々名前を変える事を約束させられた。これはルードビッヒ男爵の残党どもから目を付けられぬようにとのことであってな……これには俺も賛成だ。それともう一つ、ブリギッタ親子の身柄は俺が預かることになった」
全員が神妙な顔をして聞いている中、ブリギッタは怯え、困惑していた。
「あ、あの……どうしても名前を変えなきゃ駄目でしょうか?」
俯きながらそう言うブリギッタに同情しながらも、シンは非情の決断を下す。
「駄目だ。名前は変えて貰う……すまんな、これも君や赤子のためなんだ。了承して欲しい」
「……わかりました、でも……その、な、名前、何と名乗ったらいいのでしょう?」
シンがハッとした顔をして皆を見るが、皆は皆でシンを見ていて、その眼にはある種の期待が込められていた。
――――まさかこいつら俺に名付けろというのか?
「あの……私の名前はハイデマリーというのはどうでしょうか?……駄目でしょうか?」
「どうしてその名前に? 理由を聞いてもいいか? ルードビッヒ男爵が連想されるような名前だと拙いのでな」
違うと言わんばかりに首を振ると、ブリギッタ改めハイデマリーはその名の由来を話し始めた。
「は、ハイデマリーは孤児院での私の友人の名で……と言っても三年前に肺炎で亡くなってしまいましたが……とっても優しくて、いつも二人でいて……」
段々とハイデマリーの声が詰まり、目からは涙がこぼれ落ちてくるのを見てエリーなどはもらい泣きをしている。
「まぁ、それならば大丈夫だろう。それで赤子の方はどうする?」
「……それが……名前無いんです……私も、その父親も金髪なのにあの子は真っ赤な髪をしていて……それを見て気味が悪いと言って屋敷を追い出されて……それで……何て名前付けたらいいのかわからなくて、赤ちゃんとしか呼んで無いんです……私、私……」
そう言ってハイデマリーは子供のような泣き声をあげて、机に突っ伏した。
それを見たエリーは又してももらい泣きをし、レオナの方を見ればレオナも目尻に涙を浮かべている。
シンを始め男どもはついてゆけず、それぞれ思い思いの名前を口に出しているという混沌とした有様になっていた。
「髪が両親と違うのは偶に起こることだ。多分隔世遺伝というやつだろう、先祖に赤髪の人がいたのかもしれん。そうだなぁ、あの赤毛は鮮やかでそうそう見ない色だよなぁ……ローズ……ローザってのはどうだ?」
レオナは案外普通の名前がシンの口から出てきて、安堵の溜息を吐いた。
自分の龍馬のシュヴァルツシャッテンをクロちゃんなどと呼んでいるので、シンのネーミングセンスに疑いを抱いていたのだ。
――――これ以上シン様が変な名前を言い出す前に決めた方が良いかも知れない。続柄上、私の異母姉妹となるのだから変な名前を付けさせるわけにはいかない。
「いい名前です。ローザ、これで決まりです。皆もいいですね?」
有無を言わさぬよう、レオナはわざと早口でまくし立てて名前をローザと決めてしまう。
皆は即座に賛成の意を示したが、レオナの考えに気が付いたシンだけが複雑な表情を浮かべていた。




