第二の故郷
教団の内部抗争の原因が自身が迷宮から持ち帰った神託の石だと聞き、シンは頭を抱えたくなった。
帝国だけでなく近隣諸国、教団各位が一致団結して来るべき大災害に備えるようにと、迷宮の最奥でハルと協議したことが無駄になったことにも腹を立てていた。
「我々と共に創造神の御言葉を聞いた者は、帝国をはじめ方々に来るべき時に備えるよう説いて回ったのですが、各教団の総本山はその行為を悪しき所業と弾劾したために教団に亀裂が生じたのです。更には聖戦士、シン殿のことですな……と共に先の戦に参戦した者達を総本山は破門としたのです。理由は聖戦士などと僭称する輩に踊らされて合力したことと言っておりますが、まぁ実際は教団内で勢力を伸ばしつつある行動派……つまり創造神の御言葉に忠実な者たちに対する牽制と言った所でしょうな」
「僭称とは言ってくれるな。俺から名乗った訳では無いのだがな……つまり総本山は敵になったと……帝国はどう動く気なんだ?」
皇帝は大きな溜息をついてから、この国の方針を話し始めた。
「どうもこうも、創造神の御言葉に従い余は富国強兵を唱える事にしたのだ。近衛騎士養成学校はその足がかり、あれが上手く行けば次に魔法学校を作るし、お主の国が行っていた義務教育というものを取り入れて有為の人材を掘り起し、集め、育てる。教団に対しては帝国に協力的な行動派を見捨てるわけにはいかんな」
「そうだな……どう見ても総本山は非協力的だろうし、帝国の役に立つとは思えない。政教分離だけはしっかり行うとして、その行動派ってやつに肩入れしていき、そっちを帝国内での主流にしていく方がいいか……よし、俺も覚悟を決めたぞ! エル、これからは俺の名前が役に立つなら使ってくれて構わない。聖戦士だろうが何だろう演じてやるさ」
シンの発言に皇帝と宰相は驚き禁じ得ない。
「よいのか? 一度走り出せば後戻りは出来んぞ?」
「構わないさ。俺の故郷はもう無い……だから俺を受け入れてくれたこの帝国を、第二の故郷にすると決めたんだ」
「そうか……そういうことなら余も思い悩むのは辞めよう。シン、お主と共に突き進むのみよ」
決意を表明したシンと皇帝を見る宰相の目には、厳しさの中に我が子を見守るような優しさが僅かに含まれていた。
「シン殿、先程おっしゃられていた政教分離とは一体何ですかな?」
「政教分離とはつまり宗教が国政に入り込まないように、政治と宗教を分けた考え方のことです。宗教は時として善悪どちらかに偏り過ぎることが多々あります。政治は常に中立であらねばなりません。そこに宗教を絡めるのは国にとって危険極まりないと思われます」
宰相は頷きながら内心でシンの見識に舌を巻く思いであった。
シンは別に自分の考えを述べている訳では無い。日本で習った事をそのまま言っているに過ぎないのだが、それを知らぬ者からすればシンの言葉は、その智謀から出ていると思うのも無理はなかった。
「なるほど、為になる話ですな……確かに行動派に肩入れしすぎて帝国の国政を牛耳られては、本末転倒も甚だしいですからな」
「よし、その件も各大臣と共に検討するとしよう。話を一度戻すが、神官の要請はどうする? 行動派の中から選ぶか?」
「そうだな……国が依頼を出す形にして俺が直接各教団の行動派に頼みに行くのが無難か……」
「よし、それでいこう。ああ、だが討伐は近衛騎士養成学校の二次試験が終わってから、その前に先の戦の勲功授与があるな。その二つが終わってからにしてもらいたいがよいか?」
「ああ、そうだった。近衛騎士養成学校の二次試験の試験官は俺だしな……了解した」
シンの言葉に皇帝は顔に焦りが生まれる。
「何? シン、お主が試験官をやるのか? 余はそのような話は聞いておらんぞ、大丈夫なんだろうな? 全員失格とかにせぬだろうな?」
――――シンが本気で選別をしたら誰一人として試験に受かる者はおらぬのではないか? 元が規格外なのだ……遠大な計画の実行初期の段階で躓くのは是非とも避けたい。
「大丈夫だって、ちゃんと加減はするし。それに俺に試験官をやれって言ってきたのは校長のハーゼの爺さんだぜ? 何でもお前の考えた事だからまずはお前の思う通りにやってみろ、我々はそれを見て参考にするとか言ってな」
「なっ……爺め! そのような事を余は一言も聞いてはおらぬぞ……シン、もう一度聞くが本当に大丈夫なんだな?」
「しつこいぞエル、大丈夫だって大船に乗った気でいろよ。まかせとけ」
がっくりと肩を落とし疲れた顔をして皇帝は水差しから水を汲み喉を潤す。
「ついでに聞いておこう、先の戦のお主の武勲に対して何かあるか? 爵位でも地位でも出来る限り希望に沿うよう配慮しよう」
皇帝の言葉に反応し、宰相の眉が僅かに跳ねる。
「いや、別に……爵位も地位もいらないんだが……というか爵位とか貰っても困る」
「相変わらずだな、そんなに貴族が嫌いか?」
「いや、別にそういう訳では無い。ただ貴族として振る舞う事が俺には出来そうもない。マナーや言葉遣い、貴族が貴族らしくあるために習うであろうことの殆どを俺は知らないからな。今からそれを習い貴族として生きるのは退屈だし、窮屈すぎて嫌だな」
皇帝はその言葉を聞いて笑い、宰相は安堵して眉を降ろした。
「よし、今日はここまでにしよう。各方面とも協議がしたい。その後で例のウォルズ村の件と教団の件を煮詰めて行こう」
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窓を閉めた暗い部屋の中で、刃物を研ぐ音だけが響き渡る。
カイルはレオナに言われた通りに父の形見の短剣を研いでみるが、頭の中には何も浮かび上がっては来なかった。
――――何が師匠の逆鱗に触れたのだろうか? あの時は追い詰められてあれしか無かった。勝てないならばせめて相討ち狙いに行くしか……その未熟を叱ったのだろうか? だけど今まで技量の未熟を指摘はされても叱られたことは無かった、今日に限ってなぜなんだろう?
考え事をしていたせいか、それとも気の緩みか、研いでいた短剣の刃でカイルは指先に深い切り傷を作ってしまう。
血が流れ落ちる指に白い布を宛がい強く患部を押さえる。
血に染まって行く布を見て、あの日の事を思い出してしまう。
――――コルト……あの時も止血しようとして……コルト……父さん……
カイルの目から一滴の涙が流れ出し、頬を伝い床に落ちる。
――――そうか、そうだったのか!
師匠であるシンが何故怒ったのかがわかると、今度は自分自身に対する怒りで頭に血が上っていく。
――――くそ、くそ、くそ、僕は馬鹿だ! 僕の命は僕だけのものじゃ無かった、父と弟が文字通り命を賭けて救い託してくれたもの。あんなふうに粗末に扱っていいものでは決して無い。それを師匠は……相討ちなんて馬鹿げている、何が何でも勝つ! でないと僕は……
涙を腕で拭き、短剣を腰に差すとカイルは指の傷を治してもらうためにエリーを探した。
その顔は先程までの暗さは無く、目にはシンと出会ったころのような強い意志の輝きが再び灯されているのであった。
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空腹に耐えかねた赤子の鳴き声が、昼下がりの街道に響き渡る。
「もう少し、もう少しの辛抱だからね」
赤子を背負った少女は夜になり城門が閉ざされてしまう前に帝都に入るべく、疲れ切った体に鞭を打って歩みを速めて行く。
その足は靴を履いておらず、所々敗れた足裏からは血が滲み出ており、歩くたびに少女は苦痛に顔をゆがませる。
――――帝都にさえ着けば、着きさえすればなんとかなる。本当に? 本当になんとかなるの?
少女は背負った赤子のぬくもりを感じる度に、弱気になる自分を叱りつけて帝都を目指し歯を食いしばって歩いて行く。
――――どうしてこんなことになってしまったのだろう? どこで間違ってしまったのだろう? つらい……苦しい……誰か助けて!
少女の心の叫びは誰の心に届くことも無く、背負った赤子の重さが厳しい現実を嫌でも思い知らしめてくる。
髪は乱れ、顔は垢じみ服は土に汚れ、幽鬼のように街道を歩き続ける親子を、人々は遠巻きに見るだけで誰も手を差し伸べようとはしなかった。
その風体からは厄介ごとの匂いしかせず、誰もが関わり合いになりたくないのである。
その内に少女の頭の中は世の無常を嘆くことすら出来なくなり、無心で帝都を目指して歩き続けた。
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