帰宅
パレードから戻ったカイルとクラウスはシンが無事だったことと、パレードでの民衆の熱狂ぶりなどを興奮冷めやらぬといった体で留守番の二人に話す。
カイルの買って来たお土産のお茶を煎れて興奮している二人を落ち着かせていると、厩舎の扉を開けて龍馬のシュヴァルツシャッテンが慌ただしく走り出て来る。
「どうやら帰ってきたみたいね、私たちも出迎えに行きましょう」
レオナが言い終わる前に、カイルとクラウスは玄関へと駈け出した。
その様子を見てエリーは肩を竦め、溜息を吐く。
「まったく……あの二人はどうしてあんなにせっかちなのかしらね」
レオナは二人の様子にではなく、エリーの保護者然とした言葉に思わず笑いがこぼれ出した。
玄関前から興奮した龍馬の鳴き声が聞こえて来ると、シンを出迎えるべく二人も席を立った。
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「サクラ、もうちょっとの辛抱だ。家に着いたら直ぐにその鎧を外してやるからな」
低い声で答えるサクラの機嫌は良いとは言えない。
帝都に戻ったらすぐに帰宅すると思っていたのだろうが、パレードや宮殿での祝宴につき合わされてしまいゆっくりと体を休めることが出来なかったことが不満なのだろう。
それでも癇癪を起さないのは、訓練の賜物と宮殿で美味い飯にありつけたからであろう。
「おっ、我が家が見えて来た。クロちゃんが騒いでいるな。おっとサクラ、どう、どう、慌てるな、すぐに遊ばせてあげるからもう少し我慢だ」
シュヴァルツシャッテンの鳴き声を聞いたサクラが、声に惹かれるように駈け出そうとするのを宥めながらゆっくりと正門前へと近づいて行く。
「ただいま」
門を潜りながら帰宅を告げると、そこには帰宅を待ちわびたような四人と一頭の姿が見える。
「「おかえりなさい」」
シンはサクラから素早く飛び降りると、急いで馬具を外し始める。
カイルとクラウスも慌てて近寄り、落ち着きの無くなっているサクラから四苦八苦しながら馬具の取り外しを手伝った。
「ほらサクラ、もう行っていいぞ。二人で庭で遊んできな」
シンにそう言われるや否や、サクラはシュヴァルツシャッテンともつれ合うようにして庭の方へと駈け出して行く。
龍馬特有の低い鳴き声のせいで、傍から見ると争っているようにしか見えないのだが、時々嬉しそうに目を細めるのが見えると、荒々しいがこれが龍馬の愛情表現なのだと理解できた。
「カイル、クラウスありがとう助かった。サクラの奴、我慢の限界だったからな……ん? どうした?」
二人の弟子がシンの顔を見て身を固くしている。
言葉も出ずに生唾を飲み込む二人の視線はシンの右頬に注がれていた。
カイルとクラウスだけでは無く、レオナとエリーも厳しい表情でシンの右頬を見ていた。
エリーは即座にマナを手に集め、回復魔法を掛ける準備を開始する。
レオナはふらふらと近づいてきたかと思うと、白く長い指で頬の傷に触れ、そっと撫でるような仕草を何度も何度も繰り返した。
「くすぐったいな、これは言わば名誉の勲章ってやつさ。敵が強くてな……心配はいらない、もう傷は完全に治っている。エリー、大丈夫だ。ありがとうな」
そう言われたエリーの顔は厳しい表情を浮かべたままであった。
相当の深手であったこと、初期治療の拙さから傷が生々しく残ってしまったのであろうことが見て取れたからだ。
頬を撫でるレオナの細い指が無骨な太い指で包み込まれていく。
「レオナ、すまんな。心配を掛けてしまって……さぁ中に入ろう。戦場帰りで土産は無いが、土産話ならいくらでもあるぞ」
シンは自身よりも美しい碧い瞳に吸い込まれそうになりながらも、その瞳に涙をうっすらと浮かべるレオナの手を取り玄関へと歩き出す。
しばらく呆然とその様子を見ていた弟子二人は、我に返ると慌ててその背を追いかけて行った。
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「その傷は私でも治せないわ、ごめんなさい」
「気にするな、男にとって傷は勲章。まして強敵との戦いで付いたのなら尚更な」
申し訳なさそうに頭を下げるエリーの頭をがしがしと武骨な手で撫でた。
「さて、まずはそっちの様子を聞かせて貰おうか。何か変わったことはあったか?」
エリーがお茶を煎れたあと、全員がテーブルに着いたのを確認してからシンは口を開いた。
「いえ、特に変わったことはありませんでした。私に接触しようとして来た者もおりませんでした」
アイスブルーの瞳を真っ直ぐに向けて来るレオナにシンは多少ドギマギしてしまう。
「そ、そうか。それはなにより……レオナ……お前に伝えなければいけないことがある。お前の父親、ルードビッヒ男爵はフュルステン城において戦死したそうだ……」
「……そうですか、それよりもその傷の事をお伺いしたいのですが」
ルードビッヒ男爵の名が出た途端に、アイスブルーの瞳の中に絶対零度の氷壁が張られるのを見たシンは、それ以上男爵の事を話す気にはなれなかった。
それから戦争の事を話すと、カイルとクラウスは目を輝かせて聞き入った。
「この傷はな、ルーアルト王国近衛騎士団長のジョージ・ブラハムとの一騎打ちの際に付いたものだ」
「ジョージ・ブラハム! あの銀獅子ですか!」
レオナの目が大きく見開かれる。
その様子を見た他の三人は、二つ名と言い相当の大物であると知り、尚且つシンに深手を負わせたという事実に鳥肌が立った。
「どうやら有名らしいな、強かったよ。はっきり言って剣では俺の完敗だった、向こうがこちら以上に焦っていなければ俺は死んでいたかも知れない」
「それほどまでの……何にせよ無事……とは言い切れませんが、生きて帰って下さり安心しました」
弟子二人は師匠であるシンの口から自分が負けたなどという言葉が出て来たことが信じられず、二人は顔を見合わせて茫然としていた。
「ああ、そうそうその敵将が持っていた剣があるんだが……これだ、これ」
シンが後ろに置いた荷物の中から布にを何重にも巻きつけてある一振りの剣であろうものを取り出す。
巻かれた布を解いて行くと、中から美しい装飾が施された鞘に収まっているロングソードが現れた。
シンが鞘から剣を抜くと、傷一つない純白の刀身から淡い光が放たれていく。
その美しさに全員が、抜いたシンですら見惚れてしまっていた。
「この剣はホーリー・イーグレットと言うらしくて、何でもルーアルト王国の国宝の一つらしいんだ。それでな、ルーアルトの奴らが取り返しに来ると厄介なんで、アルベルト皇子の生誕祝いとしてこいつを献上しちまおうと思うんだが」
シンを除く全員が勿体ないとは思いつつも、指摘するように厄介ごとを持ち込みそうな代物であることからその考えに賛同を示した。
「明日早速献上してくるわ、個人じゃなくて帝国所有となればそう簡単に手出しは出来なくなるからな。ああ、クラウス、戦争で中断された近衛騎士養成学校の試験は一月後に行われることになった。明日からも試験に備えて鍛錬に励めよ」
膝の上に置かれたクラウスの両手が微かに震える。
「わかった、いえ、わかりました。明日からも試験に備えて鍛錬します」
「次はカイル、お前の話だ。明日の朝、俺と稽古をしよう。今のお前の実力が見たいんだ。それ次第で依頼を受けるかどうか決めたいんでな」
突然の事にカイルの背筋に緊張がはしり、上体が僅かに揺らぐ。
「わ、わかりました……依頼ってどんな依頼なんですか?」
カイルの問いにシンの目がすぅと細まり、一呼吸置いた後で静かに語り出す。
「国からの依頼でな、カイルの故郷ウォルズ村とその近辺のアンデッドモンスター退治だ」
カイルの顔色は一気に青ざめ、全身を大きな震えが襲っていく。
エリーは慌てて近付くと後ろから震えるカイルを両手できつく抱きしめた。
「お前の故郷の者達を成仏させてやりたいのでこの依頼を受けたが、腕が未熟ならば連れて行く訳には行かない。お前の実力と覚悟を知りたい、お前にアンデッド化したとはいえ親兄弟、村人達を斬ることは出来るか?」
カイルの脳裏にあの日の勇敢な父の姿、健気な弟の姿がはっきりと映し出される。
右手の拳が力いっぱい握りしめられ、その両目からは涙が溢れだして止まらない。
「斬る……斬ります! 一つだけお願いがあります。ウォルズ村は僕一人にやらせて下さい、お願いします」
「最初からそのつもりだが、それを行うだけの力があるか明日の朝確かめさせてもらう。いいな?」
両の眼を腫らしたカイルは力強く頷くと席を立ち、自室へと戻って行った。
その後ろ姿を心配そうに見つめるエリーに、シンは優しく話しかける。
「カイルの実力は本物だ、心配するな。エリー、北部へ行くことになるがお前の故郷にも帰りに寄って行くか?」
その言葉にエリーは即座に頭を振り、拒否の反応を示した。
「確かにあそこには両親との思いでが一杯あるけど、私に借金を押し付けた親族たちがまだ居るから……」
「わかった。すまんな、嫌な事を思い出させてしまって……」
シンはふと視線を庭へと移す。
そこには元気にじゃれあっている二頭の龍馬の姿があり、シンに釣られて見た皆はその様子に口許を僅かに綻ばせた。




