スードニア戦役 其の十五
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スードニアの丘での戦いから二週間が経った。
現在皇帝自ら率いる帝国軍は、フュルステン城を囲んでいるが数は五万と少なく囲むだけで攻めてはいない。
嫌がらせのように投石器で石を城内や城壁に撃ち込むが効果は薄く、その攻撃も日中の間に散漫的に行うだけであった。
反乱軍はその様子を見て皇帝がフュルステン城を攻めあぐねていると考えた。
だが実際は違った。フュルステン城を落とそうと思えば何時でも落とすことは出来た、では何故それをしないのか?
現在帝国軍は急速にその数が膨れ上がっている。
これは帝国内の無数の日和見主義を貫いていた貴族たちが、こぞって勝ち馬に乗らんとして恩着せがましく参陣してきたためである。
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「ふぅ、温泉があるとはな。やっぱ日本人は風呂、温泉だよなぁ~」
シンはフュルステン城から少し離れた温泉の湧く街、アーヘーンの大浴場借り切ってで皇帝以下数名と湯あみを楽しんでいた。
大浴場は天井が無く、空には数多の星々が煌めき美を競い合っている。
「ほぅ、卿の国でも温泉はあるのか」
皇帝も肩まで湯に浸かり、上気した顔でシンに問う。
その言葉は短いものだが、声に喜悦が多分に含まれている。
「ああ、私の国は火山が多くそのせいで温泉が多い。河川や湖沼、地下水脈などの水資源も豊富で各家庭に風呂があるほどの風呂好き民族だよ」
シンの言葉に皇帝以下驚きを禁じ得ない。
「な、なに? 庶民の家にも風呂があると申すか?……それとシン、今はプライベートな時間だ話し方も普段通りでよいぞ」
「そうか、すまんな。ああ、水資源が豊富なため木も多く生えているから薪にも困らない。国が植林もしていたようだしな。しかしこんな立派な硬石鹸があるとは思わなかった」
傍に置いてある薄緑色の硬石鹸をまじまじと見ながら呟く。
――――家庭科の授業で石鹸の歴史を習ったが、確か地球では軟石鹸は紀元前三千年には使われていたとか……硬石鹸は十二世紀頃から使われだしたと教わった気がする。
「軟石鹸はかなりの昔からあるようだが、硬石鹸が出来て使われだしたのは凡そ二百年程前だと言われておる」
「へぇ~俺は旅してる間は動物の脂から作った軟石鹸しか見た事が無かった。香料を混ぜても獣臭さは完全には消せないからそれが嫌で、俺は無患子の実を使っていたよ。この硬石鹸は植物油から出来ているみたいだな。いい香りがする」
「我が帝国ではオリーブ油を使って硬石鹸を作るのが一般的だ。南方ではヤシ油を使うがな、あれはあれで良い香りがする。商人達が言うには帝国まで持ってくると値段がオリーブ石鹸の何倍にもなるのであまり売れないらしい。あと獣人族は好んで軟石鹸を使うと聞いておるぞ、何でも自分達で倒した獲物の香りを纏う事でその力を得るとかなんとか……」
「エルは博識だな」
少しだけ照れたようにはにかみながら皇帝は答える。
「シン、お主ほどではない。皇帝は帝国の主立った特産品ぐらいは覚えておかねば国を統べる資格はなかろう。……話は変わるが軍務卿、先程の話はどう思う?」
「ああ、いいんじゃないか? 少なくとも国難に際して自家の兵力を出し惜しみし、勝敗が明らかになってから勝ち馬に乗ろうとする者どもは貴族の資格はないだろうよ。まとめて処分して帝国の風通しを良くした方がましだろう」
「ふっ、余は後世において大悪人として記されるであろうな」
少しだけ寂しげな表情で夜空の星を見上げて小声で呟く。
「はっ、皇帝、貴族に善人なんているかよ。軍人や傭兵も然りだ、諦めろ。働いた悪事に勝る業績を残しさえすれば名君だと讃えられる。為政者なんてそんなもんだろ?」
シンも己の手のひらを見つめてつまらなそうに呟く。
白い手のひらがシンには真っ赤な血に染まって見える。
いくら戦争だの敵だのとはいえ、直接手に掛けたときの感触は何時までも残り続けていた。
そんなシンの声を聴きながら皇帝は、何も言わずに静かに目を瞑った。
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今更ながらに参陣し勝ち馬に乗らんとする日和見主義者共、反乱予備軍と言ってもよい者達をどうすべきか?
貴族の地位に在り続けたいのであれば、貴族たる証しとして血を流して帝国に対する忠誠を見せてもらう他は無い。
つまり日和見主義者だけで難攻不落のフュルステン城を攻めさせる。
当然失敗するだろう、成功する可能性など毛ほども無い。
今回皇帝に付き従いスードニアの丘で戦った貴族たちは、大なり小なりの損害を受けている。
日和見主義者共が無傷のまま戦が終わると、貴族間の力関係がいささか拙いことになりかねない。
参陣しただけでは手柄にならない日和見主義者共は、皇帝に手柄を立てる機会を与えると言われたならば、落ちぬとわかっていてもフュルステン城を攻めざるを得ない。
ましてや皇帝自ら督戦していれば、決して手を抜くことは出来ない。
元々が要衝、難攻不落と言われたフュルステン城を迂闊に攻めれば、手痛いしっぺ返しを喰らい大損害を被ることは確実であった。
このことはフュルステン城にいるブナーゲル男爵にも伝えてあり、本気で相手をしてやれと言ってある。
日和見をしていた貴族たちが慌てて駆けつけて来るのを、皇帝や付き従った貴族たちは温泉に浸かりながらのんびりと待っている。
将兵たちにも交代で温泉を楽しませ、ルーアルト王国軍の遺棄した物資の酒や食料を振る舞って英気を養わせている。
日に日に貴族たちが兵を率いて集まって来て、帝国軍全体の総数は十万に達していた。
頃合いと見て、皇帝は日和見主義の貴族達に死刑宣告をする。
「よくぞ集まってくれた。卿らの忠誠心、誠に大儀である。さて、そろそろ攻勢をかけるべきと余は考えておる。余やスードニアの丘で戦った将兵は未だに疲れが抜けず、未だ戦力として考えるに厳しい。そこで卿ら無傷の者達でフュルステン城を落とす事を命じる。なに、礼は要らぬ。卿らも手柄を立てたいであろうからな」
それを聞いた貴族たちの顔は蒼白と言ってもよく、唇を紫色にして震える者や膝が笑っている者もいた。
彼らは今知ったのだ……皇帝の静かな怒りを、静かだが何よりも激しい怒りを……
断ることは絶対に出来ない。もし断れば不平分子としてこの場で誅されるか、もしくは貴族位や領地を没収されかねない。
恩着せがましく参陣した貴族たちは、皇帝の命により先陣の名誉を賜っている。
この際、体を多少損なおうとも膿は全て出し切ってしまわねばならない。
皇帝は目の前で青い顔をして震えている貴族達に、情け容赦を掛けるつもりは毛頭も無かった。
そんな貴族達を皇帝の傍らでシンも冷ややかな目で見つめていた。
――――こいつらが最初から帝国の為に戦う気ならば、ハーベイ連合もあのような謀略を企てる隙も無く、戦自体が起きなかっただろう。どうあってもこいつらに同情する気にはなれないな。
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三日後、無謀とも思われる帝国軍のフュルステン攻城戦が開始された。
帝国軍本隊は援護するが、援護と言っても普段通りに散漫的に投石器で石を放つだけであり大した効果は無い。
城から次々と撃ちだされるクロスボウのボルトや矢を受けて、瞬く間に将兵が散って行く。
だが後退は許されない。背後には皇帝自身が目を光らせており旗下の将兵が督戦隊として控えているのだ。
やがてフュルステンの堀は流れ出た血で赤く染まり、城へと続く道は死体で溢れていた。
それでも攻め手は退かずに、死体を担いで矢避けとしながら必死に梯子を掛け城壁に取りつくも、城壁の上から熱湯や煮えたぎった油を掛けられて損害だけが増え続けて行く。
フュルステン城は鉄門扉ゆえに火責めは通じなく、衝車を用意するが門に辿り着くことが出来ないまま、城からの火矢によって焼き払われた。
先陣の栄誉を賜った貴族たちは皆戦死し、旗下の将兵も壊滅した。
無謀な我攻めは早朝から夕刻まで休みなく行われ、五万の将兵は半数近くが死傷し最早軍としての体を成してはいない。
攻城が失敗に終わり、それを貴族達が謝りに来るのを皇帝は快く許してやり後方へと下げさせた後、シンを始めとする帝国軍本隊の貴族や将を集め作戦の開始を告げた。