14 ヤグナーンの大商人
04/12 誤字修正(ラグナーン→ヤグナーン)
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この日の食堂は賑やかだった。いつもより3倍の客入りである。普段は何も考えずに降りてきてテーブルに座るのだが、今日は空いているテーブルを探して立ち往生する。
おかげで、距離の縮まった二人、みたいなところを受付嬢に見られちまった。
サラはそんな俺の消沈した気持ちには気づかず、ご主人様に見つけた席を勧める。俺がテーブルに座るのを確認してから、その向いに座る。奴隷としての行動なのだろうが……仕草は可愛い。
いつもなら食堂の給仕が注文を聞きに来るのだが、今日はあの受付嬢が来た。理由はわかってる。いつもと同じパンとミルクと鶏肉の入ったスープ、サラダと果物を2人前注文する。そしていつもより銀貨2枚多い硬貨をテーブルの上に置く。
「エルバード様、ご注文は以上でよろしいですか?足りないものはございませんか?」
受付嬢はわざわざ追加注文の有無を確認する。
ないよ。…ないけど、君にはあるんだろ。
「これで結構だ。」
そう言って更に2枚銀貨を上乗せした。受付嬢は丁寧にお辞儀をして、テーブル上の硬貨をポケットにしまいこんで去って行った。
サラはお金には全く興味がなく、今の俺のやり取りの不自然さには全く気付く様子もなかった。
むしろ、いつもより人が多いことに驚いており。ずっと周りをキョロキョロしている。
「お!サラちゃんじゃねぇか!」
突然、俺の斜め後ろから声が聞こえた。びっくりして声のほうを向くと、鎖を編み込んだ服を着た男がサラに向かって手を振っていた。男は席を立ちこっちに向かって来る。
「あ!マグナール様!」
サラも、男の正体がわかったようで立ち上がって深々とお辞儀をする。
「ははっ!ベルドに来てさっそくサラちゃんに会えるとは運がいいな!…でこいつが?」
…まただ。マリンさんに続いてだ。
サラを知っている人物は、必ず俺を値踏みする。
「はい!私のご主人様です!」
サラは、元気に返事する。俺を“ご主人様”と紹介するのがよほど嬉しいらしい。
「俺様は、マグナール。ヤグナーンの私設傭兵団の一員だ。今回は先遣隊の隊長として今日やってきた。」
そう言って右手を差し出す。
…危険な香りがする。不用意に右手を出すのは冒険者として致命的とかなんとか本で読んだ。それにこのマグナールと名乗った男は顔は笑っているが目が笑っていない。
俺は、敢えて左手を差出してマグナールが俺の手を掴むには追加動作が必要な状態にした。
マグナールはさりげなく右手を下ろし、左手を差し出す。俺はその動きに合わせて左手で髪をかき揚げ右手を差し出す。
マグナールは更に右手と左手を入れ替える。俺はその動きに合わせて入れ替える。
マグナールのこめかみに血管が浮き出た。
「…俺様をおちょくってるのか?」
「…先にちょっかいを出してきたのはそちらですよ。」
「…。」
「…。」
俺とマグナールはほぼ同時に胸ぐらをつかみ合った。そしてしばらく睨みあう。
「…マグナール殿、俺は今からサラとの朝食のお時間なんで、あんたとの楽しいを会話はその後でよろしいか?」
「…いい度胸だな。なんでそんな余裕ぶってられるんだ?」
「サラを見てみなよ。全く動じてない。あんたが本気を見せていない証拠だ。」
サラは何でもないようなニコニコした顔で俺とマグナールを見ている。
「…クククッ。ホントにサラちゃんのことを理解しているようだな。気に入った。」
マグナールは手の力を緩めた。それに合わせて俺も力を緩める。俺は最初から分かっていた。この状況下でサラが何も言って来ないのだから死ぬことはないだろうと考え強気に出た。まあ、それが功を奏したわけだが。
「朝食の後、俺様と一緒に領代館に来てもらうよ。選択権はないと思え。」
ガハガハと笑いながら一旦その場を去っていくマグナール。ちょうど俺たちの食事が運ばれてきたので一時退散した風だ。
嫌な奴に絡まれたなぁ。
そう思いながら、席に座り直す。受付嬢がサラを並べ終わったところで俺に会釈をしたところだった。
スッとテーブルとサラの間に折りたたんだ紙を挟み込み、小声でささやく。
「後程ご確認ください。」
そう言って受付嬢は俺たちの席を後にする。
俺は訝しげに挟まれた紙を見る。何かの情報を得たのだろうか。今ではなく、後で見ろということはこの場に関することなのだろうか。俺はポケットに紙を仕舞い、朝食を食べ始める。
事件は俺たちが朝食を半分ほど食べたところで起こった。
食堂にいた客の一人が受付嬢の尻を撫でまわしていた。恐怖に怯えて受付嬢が声も出さずに震えていた。それを見た客の一人が注意をしたところ、
「貴様!俺はヤグナーンの大商人ナヴィス殿の私設傭兵だぞ!俺に逆らうってのか!」
怒鳴り声を上げて客を黙らせる。その隙に受付嬢が逃げようとしたのだが、男は受付嬢の腕を掴み、無理やり引き止める。男は完全に酔っぱらっていた。飲み過ぎて理性を失っているのか?
「ネェチャン、俺はナヴィス殿お抱え傭兵だ。逆らったらどうなるか、わかるよな?」
焦点の合っていない目で受付嬢を睨み付ける。受付嬢は「ヒッ!」と悲鳴を上げて震えている。
俺は席を立ち、その男の方に足を運ぶ。サラは俺の動作を目で追い、すぐさま俺の後ろに付いた。
男が受付嬢の服に手を掛けた。
「サラ!受付嬢を頼む!」
俺は走り出すと同時にサラに指示する。サラは≪風見の構え≫を使い、超高速で俺を追い抜き、男の手を手刀で叩き、受付嬢を抱き上げ、その場を離れる。そのあとから俺が追い付き、男の腕を掴み、動きを止める。
動きを止められた男は俺を睨む。
「なんだ貴様は!俺をナヴィス殿お抱えの傭兵と知っての所業か!」
男は俺に大声を張り上げるが俺は動じない。
「…さっきからナヴィス殿の名前を出しているが、貴様は一体誰なんだ?ナヴィス殿よりえらいのか?」
俺は男の腕を掴んでいる手に力を込める。
「ぎぃゃやあああ!」
男は悲鳴を上げ、その場に膝を付くが、俺はその力を緩めなかった。
「ありがとう、後は俺がやる」
そう言って、後ろから俺の肩をを軽くたたき、マグナールが男の前に立つ。
「貴様を拘束する。貴様の行為はナヴィス殿の顔に泥を塗る最低の行為。問答無用でヤグナーンに送還する。団長を始め俺たちがヤグナーンに戻るまで禁固の刑に処す。これは先遣隊の隊長権限を持って施行する。」
そう言って周りの兵士に指示を出す。
男は紐で縛られ、目隠しをされ、そのまま台車に放り込まれた。
「サラ、ご苦労だった。」
一部始終を見終わった後、受付嬢を助け出したサラの元に駆け寄る。サラは深々と頭を下げる。
「申し訳ありません!主以外の方に触れてしまいました。」
「かまわない。緊急事態だし、俺の命令だ」
俺はサラの頭を撫でて安心させ、その勢いを借りて受付嬢の肩を抱いて、カウンターまで誘導する。カウンターでは例の受付嬢が控えており、彼女に引き渡す。
ちらりと受付嬢を見たが、手のひらは出してこなかった。…せ~ふ!
サラのところに戻ると、マグナールが声を掛けてきた。
「俺の部下が失礼をした。」
そう言って頭を下げるマグナール。見ると他の部下たちも食堂内の人に頭を下げに回っている。
この部隊は単なる筋肉マッチョの集団ではない。ちゃんとした秩序の下に活動している。
マグナールは俺の顔とサラの顔をマジマジと見ていた。そして納得したかのようにニッと笑う。
「さっきのは中々の連携だったな。サラちゃんに仕込んでいるのか?」
さっきの連携?…ああ、≪風見の構え≫を使っての救出のことか?
「サラならこうすると思ってたらからな。」
「はい!ご主人様はサラにこうさせるだろうと思いましたので!」
マグナールはサラのほうを見て、安心したような顔を見せた。
「サラちゃん、お前のご主人様、なかなかできてるじゃねぇか。」
その言葉を待ってましたとばかりにサラが食いついた。
「はい、サラのご主人様は世界一のご主人様なんです!サラが何も言わなくても全てわかっていただけますし、サラはご主人様が何も言わなくても何を言おうとしているかわかりますし……」
…始まった。延々とご主人様褒めちぎり談話がサラ一人で進んでいく。マグナールも最初は聞いていたが、やがて面倒くさくなり、小声で俺に話しかけた。
「サラちゃんはいつもああなのか?」
「…いつもはああじゃないんだが、何かをきっかけにああなる。」
「止める方法は?」
「知らん。サラは昔からああなのか?」
「いや、昔から笑顔は可愛かったが、必要以上に感情は表に出さなかったがな。あれじゃ感情だけで生きてますって顔だが…お前、サラに何をしたんだ?」
な、何を…て、ただ一緒に大人の階段を上っただけだよ……とは言えず、
「記憶にないんだがな。」
とだけ答えた。
マグナールと共に三度領代館を訪れた。元々俺は呼ばれてないのだが、マグナールが無理やり俺を引っ張って行ったのだ。
正直、昨日の今日なのでヘリヤ殿には会いたくないのだが…。
もちろんサラはお留守番である。昨日と違い、お留守番であっても嬉しそうに返事をしていた。もう、心配はないみたいだ。
領代室に通された俺たちは目の下にクマを残したヘリヤに会う。
領代室にはヘリヤとその奴隷のマリン、領兵団団長のバナーシと俺とマグナールの5人である。
マグナールはさっそく用件を話し始める。
「ナヴィス殿は明日の昼過ぎにフェンダー団長と到着します。到着後は商館で昼食会を開きたいと仰せです。ヘリヤ殿、マリンちゃん、バナーシ殿をご招待します。その後は…」
マグナールはきびきびと今後の予定を説明していく。マリンさんは一所懸命記録をとり、ヘリヤは眠たそうに聞いている。
「…以上になります。何か質問はございますか。」
一通りの説明を終えたマグナールは視線をヘリヤに向けた。
「ある。貴公の隣の男は何故ここにいる?」
…ほら来た。明らかに今日のこの場に俺は必要ないはずだ。なのに、マグナールは連れてきた。しかも俺が昨日ヘリヤのご機嫌を損ねていることを知らない。悪いが俺は今日は被害者面しておくからな。
「昨日の一件のことで…」
マグナールの意外な一言に俺とヘリヤとマリンまでもが同時にマグナールを見た。
マグナールは今朝街に着いたはずだ。
「そんな大げさなことではありませんよ。斥候隊を出して街の周囲を確認している最中にこいつが引っかかったんです。後を付けて行っていろいろ見させて貰いました。」
なん…だと!?
あの時、俺の≪気配察知≫には何も映っていなかったぞ!≪気配察知≫からも逃れる方法があるっていうのか!?
「で、何を見た?返答内容によってはこのまま拘束するぞ!」
脅し半分でヘリヤが迫る。マグナールはそれを意に介さず話を続ける。
「俺もサラちゃんのことが大事ですよ。彼女に何かあるようなことはしませんよ。大丈夫です。言いたかったのは、今朝サラちゃんに会って来ましたが、精神的な異常は完全に解消されておりました。全く問題ありません。」
「本当か?たった一日で一体何があった?」
「どうやら、この隣の男が“ちゃんと手をつけた”ようで。」
マグナールの締め括りの言葉に皆の顔色が変わる。
ヘリヤは狂喜の表情で手を叩いて喜ぶ。
「そうか、ついにヤッたか!」
マリンさんは立ちあがって満面の笑みでお辞儀をする。
「おめでとうございます。」
マグナールはしてやったりという顔で俺を見てにやりと笑う。
俺は…昇天していた。
なんだ、この針のむしろは?
なぜ俺がなけなしの度胸を使い切って得たサラとの思い出を翌日にバラされ、手を叩いて喜ばれる?ヘリヤさん…『ヤッた』発言は女性としてどうかと。マリンさん、そんなに喜ばしいことなの?マグナールよ、俺のことは昨日の時点で見知っていたということか。
聞けば、使役範囲が『全て』となる奴隷に対し手をつけないことがおかしいそうだ。だから、マリンさんは昨日俺を心配そうに見つめていたのか。だからサラがあんな大胆な行動を取ったのか。
つくづく俺はこの世界の常識のなさに不安を覚える。
だが、それ以上に、今は公式の会見の場であることを忘れ、ワイワイ騒いでいるこの4人に殺意を覚える。
4人は俺の突き刺すような視線を意に介さず今日のサラの話で大いに盛り上がっていた。
……サラよ。お前はその境遇にも関わらず、多くの人に愛されているようだ。
翌日は朝から大賑わいであった。大通りは街の入り口から、商館まで等間隔で、私設傭兵団と公設領兵団の兵士が立ち並び、道路自体には水を撒いて砂埃が立たないようにしている。
今日ナヴィス殿が到着されるのだが、一介の商人ごときの到着を待つ風景ではない。
それだけこの街に対しての権力、影響力を持っているということだ。
俺たちもナヴィス殿に会うため、商館の入り口付近に向かった。
街の入り口の方から歓声が上がった。どうやら到着したらしい。俺たちは、ベルドの商館入り口近くで待っているから、その姿はまだ見えないが、サラは嬉しそうにしている。…そうだな。お前のグランマスターだもんな。
歓声はだんだんと近づいてきて、やがて大きな馬車が数台こちらに向けてやってくるところが見えた。1台だけひときわ豪奢な作りになっていることから、その馬車にナヴィス殿は乗っていると思われる。
馬車は商館の入り口に到着し、ドアが開いて中から50代の紳士が降りてきた。地面まで到達する長さの緑色のマントを羽織り、やや大きめのハットをかぶり、金色の杖を手にもっている。
「グランマスター!」
思わず、サラが口に出す。それほど大きな声ではなかったが、その声は緑マントの男に届いた。顔をこちらに向け、サラの笑顔を確認すると、傍にいた女性に何やら話しかけた。女性が緑マントにお辞儀をし、こちらに歩いてくる。女性は俺の前で止まりゆっくりと挨拶をする。
「エルバード様とお見受けいたします。グランマスターからお話があるそうで、サラちゃんと共にお越し頂けますでしょうか」
ちらりとサラを見て俺に話しかけてきた。俺は無言で頷き、サラを伴って緑マントのところまで行った。緑マントは馬車から降りたところで立ち止まり、商館には入らずに俺とサラを待っている。
「初めまして。君が“エルバード”殿ですな。私がナヴィス・ザックウォートだ。サラからはいろいろと聞いていると思うが。」
男は初老の雰囲気だが、足腰や発音はしっかりしている。口髭がやや白くなっているが、年齢を感じさせるのはそのひげと顔に刻まれた皺くらいだ。
「お初にお目にかかります、エルバードと申します。サラのことでお会いしたいと思っておりました」
俺は丁寧に挨拶をする。ナヴィスは俺に紳士的な漂いのする笑顔を見せた。
「君のことはヘリヤからの手紙にも書いてある。提案の件の確認や、サラの奴隷契約の件もあるから後程時間をつくろう。」
「もう一つ。俺自身のことでご相談があります。できれば少し長めにお時間を頂きたいのですが。」
俺の返事に、急激に顔が変わっていく。商品を品定めするかのような鋭い目を向け、俺の真意を探っているようだ。俺も負けじとナヴィスの目を見つめる。やがてナヴィスの頬は緩んだ。
「ほっほっほ…。何やら楽しそうなことになりそうじゃな。よかろう。私はこの通り忙しい身なので。昼食会やら夕食会やら予定が詰まっておる。夜、お日様6つ分くらいにここへ来てもらえるかな。中に入れるよう手配しておく。」
「ありがとうございます。」
俺はまた深々とお辞儀をした。
それを見届けてから、サラににこやかにほほ笑み、観衆に軽く手を振って商館の中に入って行った。
「ふう、なんとかなった。」
俺は安堵の息を吐き出し、サラを抱き寄せる。サラは逆らうことなく俺に体を預ける。
「…これで、正式にサラのご主人様になって頂けるのですね。」
サラは本当に嬉しそうにしていた。
そうだ、いろいろとあって、忘れていたが、受付嬢から手紙を貰ったんだった。何かの有力情報かな?
俺はポケットから折りたたまれた紙を取り出して広げた。
なになに、銀貨10枚受領いたしました……ってこれ、領収証じゃねぇか!!!
あのアマ、ぶん殴ってやる!
ようやく、サラと奴隷契約を行うことができます。
しかし主人公は何かをしようとしています。
次話では戦闘系の話になります。死人は出ませんので。
ご意見、ご感想をいただければ幸いです。