そして旅立ち
「ちょっと落ち着いたか?」
和希が晴日の顔を覗き込む。
「兄さん?」
「ん?」
「い、いえ何でもありません・・」
温かいコーヒーを飲み頭の中を整理する。
ログインしたのは、今日の1時、今が4時だから3時間程度のプレイだったようだ。
「3時間のプレイ中にいったい何があったんだい?今まで当社のスタッフが何人もβテストを行ったけど君のような症状は始めてだから、ちょっと困惑してるよ。」
「・・・・」
「まさか・・・君勝手にムチャなクロック数でプレイしたんじゃ・・・?」
2020年以降、少子高齢化と更なる情報革新により、
現代人の生活は正に時間に追われる日々となっている。
それに比例して、プレイ時間の減少が起き、ゲーム人口は年々減少をしていった時期がある。
2040年にアカデミックが脳クロック技術を開発し、TACVCのシステムに実装してからは、このシステムの恩恵で、教育や医療など様々な分野で人々が時間の有効活用が出来るようになった。
今回、アカデミックの本社研究室で使われた、脳クロックの最新技術を駆使した。最新ゲーム機 TACVC。正式名称trace&copy virtual_consoleは、脳のクロック数を今までの技術限界の3倍から大きく飛躍させる事に成功したのも売りの一つだった。
「そんな事してません。ただ想像してたより、ずっとリアルだったので驚いただけ・・・」
「そうか、それならいいんだけど、ちょっと異常な反応だったから、でも大体のゲームの概要は分かってくれたかな?」
「はい、まる1日、サポートプログラムによって教育されたので」
ガラガラガラ
突然部屋のドアが横にスライドした。
「おー!晴日どうだった?楽しかったか?」
大きな声で部屋に、体格のいい男が入ってきた。
「お前、こんな大会社の最新作のキャンペーンガールとか大チャンスなんだぞ。本当に。事務所も相当期待してるから、この企画にお前をプッシュしたんだし、頼んだぜ!」
「志賀崎さんちょっと、まだ彼女ログアウト直後でちょっと混乱してるようなんで、少し、声小さめでお願いします。」
すかさず、和希がフォローに入る。
「佐藤さん、ウチの高田が、この度は大変お世話になります。なんでも、今回は3倍速でのプレイということで、TACVCの中では9時間ですか?体感時間がそれだけってことは、事務所的には時給はどう換算したらいいも んですかねぇ!?あっはっは」
「一応、今回のプレイで概略を知っていただければ、高田さんにはキぇンペーンガールとしての仕事に今後は専念してもらうと思いますので、このような長時間のプレイはしていただく機会はもう無いと思うのですが。」
「そうですかぁ。おい、高田、お前しっかり佐藤さんにお礼は言ったのか?何でも今回はサポートプログラムとして佐藤さんをトレースしたキャラクターがお前が、このゲームに慣れるまでをサポートしてくれたんだろ?」
「いや、自分自身では無いですし、あくまで別人格ですから、自分にお礼というのは、ちょっと違いますよ」
「どういうことですか?」
「このトレースクエストには、確かに人の人格や性質を、個人のスマートフォンからその嗜好や会話履歴、ショッピングや行動パターンなどから様々なステータスに振り分けて90%以上の精度でトレース&コピーしてヴァーチャルキャラクターを生成するわけですが、ゲーム内では、現代社会とまったく違う習慣や、生活風土になっていますので、その環境において、現代社会と同じような性格や人格になるとは限らないんですよ」
「ふむー、オレはまったく同じ人間が存在するもんだと思ってたが違うのか・・・」
「まぁ、いつか志賀崎さんもプレイして頂ければ分かっていただけますよ。とりあえずβテスト期には御社の所属タレント及び、高田さんの所属するアイドルグループや、親近者のデーターとトレース&コピーしていますが、それ以外のキャラクターも当社の関連企業や様々な媒体からトレース&コピーしていますし、開発段階で、人間がログインしていない状態で、交配繁殖も進み、サンプリングしたデーターも初期データとして入っていますので、今では日本の人口に迫る勢いで各種族のヴァーチャルキャラクターが溢れている正にもうひとつの世界といっていいぐらいの広大なデータになっているんですよ。」
二人の会話を聴いている間も、晴日はどこかうわの空だ。
「高田、お前大丈夫か?顔色がかなり悪いぞ?」
やっと佐藤との話に一区切りついた志賀崎が声をかける。
「大丈夫です。でも、志賀崎さん、ちょっとの間、ここで休ませてもらえますか?」
「あ、ああ。別に構わんが・・」
「志賀崎さん、ではちょっと、この後のキャンペーンの進め方について
細部をちょっと詰めさせていただけないでしょうか?」
「高田、じゃぁ、ちょっと待っててもらって大丈夫か?医務室に行くか?」
「大丈夫です、あまり、こういうゲームをしたことなかったので少し疲れちゃっただけですから。」
「そっかぁ、昨日まではツアーだったし、疲れも溜まってるんだろう
打ち合わせ早めに終わらせるから、この後は、寿司でもうなぎでもご馳走するよ。
それじゃ佐藤さんどちらで?」
「あちらの会議室にプロジェクトメンバーを待たせてありますのでどうぞ。」
二人が部屋を出ていくのを確認すると、晴日はTACVCを素早く起動し装置の専用液の中に身を投じた。
最初、液体が口や肺の中に入ってきて違和感を感じるがすぐに慣れる。
この酸素含有率、伝導性、弾性に富んだ特殊液によってアカデミック社では他社で実現出来なかった完璧なVRMMOシステムを実現している。
「トレースオンライン ログイン!」
一瞬、視界が白くなったかと思うと、真っ白な世界の真ん中に一つの机と椅子。
椅子に一匹の兎が座っている。
メガネをかけて中々事務的な印象を与える兎だ。
「こんにちは、ウサギさん。また来たわよ」
「ようこそいらっしゃいませトレースクエストの世界へ、お客様。」
「ルカでいいわ。」
「ルカ様。では、トレースクエストの世界へ誘う前に種族をお決めください。」
晴日は一瞬の考慮ののち答えた。
「サラマンダーでお願いするわ」
「ではドラゴンライダーへの道を進むのですか?」
「まぁ、それはあっちへ行ってから考えるわ。」
「かしこまりました。」
「クロック時間は3倍でよろしいですね。」
「限界クロックでお願いするわ。」
「ルカ様。限界クロックでは、こちらの世界の1年があちらの世界での1秒以下とあちらに戻られた時にどのような障害が出るのか分かりません。現段階では許可いたしかねます。」
「あら、前回のログインで、私はこちらで6年あちらで3時間という高クロックを体験したけど全然平気だったわよ。いーからやりなさいよ!」
「本当にどうなっても知りませんよ・・・まぁ、死んだら強制ログアウトですから本格的に人体への影響はあまりないとは思いますが・・」
「もう、うんちくはいいわ、とっととやりなさい!」
「では、サラマンダー領にトレースイン!!」
白い世界が縮小したかと思うと、一瞬まばゆく光った。
反射的に目を閉じて、ゆっくりと目を開くと
「ゴオオオオアアアアアア!!!!!」
強烈な異臭。焼け焦げたニオイ。熱風。轟音。様々な感覚がルカの肉体を襲う。
そして、目の前には、巨大生物ドラゴンの巨大な口が待っていたのであった。