六話 何処にでも、誰にでも潜む狂気
「ちくしょう、なんだこの文字って奴は。こんなの憶えて無くても生きていけるだろ・・・・。」
「えー、でも字が読めないと皆に馬鹿にされるし、悪い人に騙されちゃうよ?」
寺子屋の一角で、座りながら和紙に字を書く練習をする一同。
そんな中、いかにも腕白坊主と言った体の権助がぼやいた。
和紙は基本的に貴重なので、みんな筆に水をつけて書いて練習している。
憶えるまでひたすら書き、憶えたと思ったら、墨で正式に書いてテストする形式だ。
皆段々と寺子屋の生活にも慣れてきて、勉学に置いて優秀なものとそうでないものもハッキリと分かれつつある。
背の小さな権助は、そうでないものの代表格といえた。
「畜生、これじゃ今日も俺一人で居残り者ねえか。こんなのどうしろってんだ。」
「算術は得意なのにねぇ。なんで字は覚えられないのかしら?」
「普通は順番が逆だろ・・・・。それにしても、あまり先生に迷惑かけるんじゃないぞ?
出来るまではずっと律儀に付き合ってくれるんだからあの先生。」
この寺の教育方針は実にシンプルだ。
与えられた課題が出来たら帰ってもよし。
出来ないなら、出来るまで教える。
望むなら、新たな課題を与える・・・・と言った方針である。
年齢層を一括にしているのはその方が管理が楽だからだろうが、しかし同一の学年の中でも既に相当な差が出ている。
予め市姉さんに教えてもらっていた俺もそうだが、隣で借り受けた教科書を読んでいる絹子もまた相当に優秀なようだ。
反則をしている俺を除けば、彼女が学年の中で最も優秀な委員長と言ったタイプか。
また、もともと裕福な家の生まれで両親に手ほどきを受けていたらしい生徒や、商人の子供などはどんどん先に進んでしまっていた。
放任主義だが、かなり厳しい教育方針だ。
格差社会の縮図を垣間見た気分であった。
「あ、先生。この本読み終わりました。」
「ナニィ!?お前、ちゃんと中身覚えてるのかよ?」
「憶えてるとも。試験してもいいぞ。きっちり要点は押さえているさ。」
そしてそんな能力格差の最たる物がこれだ。
この教科書は国語のもので、物語が中心だからこそ出来る荒業だが教科書一つを一日で憶えきるなど普通は不可能だろう。
だが、知能強化系統のスキルに習熟している人間はそれが出来る。
「くっそ、算盤なら負けねえんだがな・・・・。」
そうぼやく権助は、近い内に【スキル:精密演算】を取得するだろう。
しかし【スキル:学士】に代表する、知能・精神に関わるスキルは成長が難しいと言う。
彼の能力は何処まで伸びるだろうか。
俺の場合はこの世界に来てからも勉強を続けた結果、今では既にスキルのレベルは16に達している。
初めから、スキルを持っているのと持っていないのでは大きく成長力が違ってくるいい例だ。
稀に生まれたときからスキルを持っている人間も居るともいうが、それこそ才能の証なのだろう。
寺子屋で学びながら【スキル:学士】を取得できるものは20人に1人も居ないと言うが、
もしも取得できたならこれからの人生で大きな財産になること請け合いである。
「だーー!!やってられっか!」
「駄目だよ権助。あんまり騒いだら先生に怒られるよ。」
「そろそろ迷惑かける奴も居なくなってきたけどな。皆帰ってしまったぞ。」
「ぬぐぐぐ・・・・。」
一応彼の友人であるからして、居残りを言いつけられた権助の課題が終わるまで粘る二人。
日も大分傾いてきて、縁側から見える位置からして大体午後3時程度か。
授業は7時から1時までの6時間の間に行われるため、二時間の居残りである。
絹子も秋一も勉強が苦にならない性分であるため、長時間座って本を読むことに抵抗が無い。
しかしいい加減水筆での写生に飽き飽きし始めた権助はそろそろ限界であった。
「ま、まぁ頑張れ。終わるまで待っててやるから。」
なんとなく、前世でいけ好かない教師に何度も何度もやり直しをさせられた経験があるだけに、彼の気持ちも解る。
それくらいしか、今の秋一に言うべき言葉は無かった。
*
あれから、同じ一緒に村に帰って、少し遊んでから拠点に戻ると既にあたりは夕暮れ前に差し掛かりつつあった。
鬼ごっこにしろ何にしろ、力をセーブするのが骨が折れる。
なにせ余剰成長値は全て【力】とMPに極振りしている訳であるからして、下手に力を込めると文字通り相手の骨が折れてしまうのだ。
「さて、今日の作戦は夜間戦闘についての情報収集だな。特に気をつけて行かないと・・・・。」
俺は呟きつつ薄暗い拠点の中で、現在考えうる最高の兵装を整える。
とは言え、現在俺が取得している工作系のスキルは【スキル:木工】と【スキル:裁縫】の二つだ。
鉄や金属製品の加工などは生半可な設備で出来る事ではないので、当然と言えば当然の結果である。
よって、現在考えうる兵装もまたそれに準じた材料で作られることになるのだ。
残念ながら、何処からどう見ても旧時代の暗殺者のような外見であり、自分の求める軍人像とはほど遠いのが現状である。
「弓、ボーラ、短刀・・・・そして、銃剣。準備よし!」
俺は矢筒を腰に巻き、弓を背負うと、最後に壁に立てかけてあった「ライフルの形をした槍」を手に取った。
何を隠そう、これこそが長年待ち望んだ近接戦闘装備であり、自分の最も得意とする得物だ。
同じミリオタにしか解るまいが、前世から使い慣れた三八式歩兵銃を意識した造詣に仕上げてある。
これの完成を持って始めて死にスキルだった【スキル:槍術】と【スキル:槌術】を活用できる目処が立ったと言えるだろう。
「やっぱりこれが一番安心できるな・・・。」
完成したのはつい一週間ほど前だが、近頃は狩りに出る際はこれが無ければ落ち着かないほどだ。
全体はズシリと重く、樫で出来た木刀である。
先端には珍しく無事だった短刀がガッチリと備え付けられており、生半可な事では取れない。
槍の柄にしては随分と太い柄は、しかしだからこそ容易に折れたり切られたりする心配が無い。
突いて良し、殴って良し、受けて良しの万能兵器である。
・・・まぁこの世界の人間にとって、かなり変わった形の槍にしか見えないことだろう。
槍の柄は手に余るほど太く、扱いにくく感じるかもしれない。
奇妙な形はなるほど、機敏さにかける鈍重な印象を受けるかもしれない。
しかし、だがしかしだ。重火器を除けば、これこそが俺の信じる最強の近接戦闘武器。
最も頼みを置く武器だ。
本来銃剣とは、かつて敵兵に接近された歩兵のために苦し紛れに考案された、急場凌ぎの兵器に過ぎなかった。
ただ突き、只殴る。・・・鉄パイプか竹槍と同列の器械だ。
しかし・・・・一時大戦・二次大戦を超え、かつて旧日本軍に置いて槍術を基本に研究された銃剣術。
これはすなわち、すでに歴史ある"武術"。
俺の学んだ自衛隊式銃剣術は決してこの世界で通用しないなどという事は無い。
戦場で幾重もの血を啜り成長した、紛う事なき実戦武術である。
「しかしまさか、こんな所で役に立つ日がこようとはな。何が幸いするかはわからんもんだ。」
まさかミリオタの手習いとして、型だけ全て憶えておいて事がこの世界に来てこれほど生きるとは思わなかった。
そもそも幾ら銃剣道が優れた武器格闘術だとは言え、
俺が元自衛官から教わった理由はサバゲーの一環。
只単にマニア根性でミリオタ仲間と教わった、お遊びに過ぎなかったのだ。
だが、武術の型やその理念をしっかり熟知しているだけでも、より的確に成長する事が出来るのだ。
血が滲むほど真剣に修行したのは、この世界に来てからが始めてだった。
しかし今やその有り難味がいまでは良くわかる。
槍を振るえば振るうほど、俺は闘えば闘うほどその合理性を実感していったものだ。
俺は極限の狩りの中で、先人の遺した"武術の型"がいかに素晴らしいものか知る事が出来た。
ミリオタが冷やかしに道場に通うと言う、無礼千万だったかつての俺。
明らかに真剣味が足らなかった感は否めない。
だがそんな物見遊山の根性の人間にも、真面目に全ての型を叩き込んでくれた師匠には深く感謝している。
その経験があってこそ、今の俺があるのだから。
俺は夕暮れ間近の、北の森の前に立つと銃剣を握りなおし、気持ちを新たにした。
壮年の頭のボリュームが寂しい師匠の姿が頭を過ぎていく。
「・・・・作戦行動開始!」
音も無く木々の陰を駆ける影が、勝って知ったる森を僅かに震わした。
夕方の徐々に赤くなっていく空を背に、湿った森の空気に溶け込む秋一。
今日は夜間の戦闘における情報を収集する目的であるが故に、少しづつ薄暗くなっていくこの時間帯を選んだ。
近頃は醜犬族と言う厄介な鼻も居る事ではあるし、そのためにあらゆる対策を講じてきている。
おそらく、これらは有効に働くことだろう。
今日は夜間で闘う経験を積む・・・・と言うよりは、今回は夜間の森の生態調査が中心になる。
俺はそれを念頭に、北の森と言う巨大な生物の一挙一動を見逃すまいと目を凝らしてゆく。
これからの俺の活動にとって有利になる情報があれば、確実に取得しておきたい。
特に、あのうざったい醜犬族とか、醜犬族とか、醜犬族とか・・・・・の事だ。
奴等を楽に狩る方法は無いものか。
俺は地味に切実な悩みに頭を捻った。
*
薄暗い森の中、これまで以上に慎重に木々の間を中腰で移動する。
夜間戦闘の経験を積み、情報を収集するためとはいえ、本格的に夜間の森で狩りをするつもりではない。
ただ夕暮れ前から日が赤く霞むまでの間、森の中で活動してみるというだけの話。
それ故実際には完全な夜を経験するというわけではない。
だが、これまでは慎重を期して早朝から昼下がりまでの間しか森に入る事はなかったので、
時間帯の変化による魔物の行動の変化と言った情報を俺は持っていない。
近頃醜犬族の跳梁が厄介極まるので、出来ればその対策の突破口となってくれれば幸いなのだが・・・・。
「おかしい。・・・・醜犬族がいない。何処へ行った?」
静まり返る森の中には【スキル:索敵】を使える身からすれば、
いつもうるさいほど無遠慮な衣擦れの音や呻き声が聞こえると言うのに。
今日はあまりに森が静かだった。
首筋がチリチリする感覚が常にするのがおかしい。
──これは重大な"違和感"だ。そして"異常"でもある。
だが、醜犬族の習性を詳しく知っているわけではない俺にとっては、これは要調査対象になり得る。
この夕暮れ時だからこその現象なのか、それとも何か別の要素がこの森に入り込んでいるのか・・・・。
"危険を冒す者が勝利する"の弁の通り、ここは危険を押して調べるべきだろう。
俺はそう判断した。
・・・醜犬族が俺にとって厄介な点は、その鋭い嗅覚・聴覚と、高い瞬発力である。
醜犬族と言うのは知能自体はむしろ仔鬼よりも低く、道具も殆ど使っている個体が居ない。
筋力や体重もかなり下回るし、体は仔鬼よりも脆弱である。
もしも接近戦になったらと言う仮定ならば、重く力強い仔鬼のほうが厄介だ。
加えて仔鬼は群れる。基本的に一匹で行動する醜犬族より余程脅威である。
・・・・ただ醜犬族は体重が軽い分、素早い。
加えて、彼らの嗅覚・聴覚は俺の【スキル:索敵】と同程度の能力を持つらしく、
かなり遠距離からでも補足してくるのが厄介極まるのだ。
奴等が動けば此方も索敵能力で発見できるが、その時は既にかなり近くに近寄られていると言うのが致命である。
接近戦で殺す事自体は簡単だが、神経を削ってしまう。
総じて、危険度度合いで言えばほぼ同程度と言えるだろう。
ただ仔鬼と違い、醜犬族は現在の俺の戦闘スタイルと相性が悪いので、近頃は気が立っているというだけの話だ。
いつもどおり、森を一定のパターンで決められた巡回ルートを通り索敵する。
が、状況は大きく一変した。
「・・・・・居た。あんな所に、一匹、二匹・・・・なんだありゃ?」
遠く見えるのは、何匹かの醜犬族とスンスンと鼻を鳴らす巨大な一匹の"狼男"。
【スキル:直感】が警報をビンビンに鳴らす。
2M程はある醜犬族の変種のような奴は一体何者なのだろう。
「・・・・まだ、気付かれて無いか。」
急ごしらえの<対醜犬族迷彩>は上手く機能しているらしかった。
醜犬族の死体に一晩ギリースーツのボロ布を被せて置いただけなのだが、上手く匂いが移ったようだ。
これからの探索にも応用できる技術がまた一つ実証された。
まぁそれはともかく。
あれは・・・一体何だろうか?
要調査対象と言うよりは、むしろ要殲滅対象であるように感じる。
それ以前に、既にここから帰還することが難しい事に気付く。
匍匐姿勢で様子を伺っているが、連中の内何匹かの耳がピクピク動いていやがるのが解る。
あまり物音を立てると気付くだろう・・・どうしたものか。
撤退が難しい状況に、図らずとも追い込まれてしまった。
(・・・・・狙撃?いや、毛皮が硬そうだ。それに一発で致命傷になるかどうか・・・。)
レベルはかなり高めかもしれない。
何故かは解らないが、ただの弓では奴に矢を突き立てることが出来る気がしない。
さりとて、銃剣での格闘になってしまえば明らかにタッパの上回る相手が有利。
俺は必死でこの場での正解を模索する。
(・・・・逃げるしか無い。だが、どうやって?下がれば気付かれるかも知れん。
───気付かれたら、逃げ切れるかな?)
おそらく、無理そうだ。
あの巨躯に発達した大腿は、見ただけでも相当のスピードを誇ると予想がつく。
何ゆえあんな化物がこの森に居るのか、
あるいは違和感を感じた時点でなぜ帰還しなかったのか・・・・などと益体も無い無様な思考が脳裏を過ぎた。
だが、考えようによってはラッキーであるかもしれない。
あんな化物に遭遇する時点で不運かもしれないが、ある意味不幸中の幸いと言う奴だ。
何故なら、『此方が先に発見できた』のだから。
(奴が【スキル:陰行】を習得しているかは未知数。
だが、もしも俺の索敵能力を上回る隠密能力を備えていたとしたら・・・・一撃死もありえた。)
ならば、明日を待たず"今"調査を行った事は結果として良い結果を導き出したともいえる。
奴が何時からいたのか?この森に定住しているのか?と言った様々な疑問も尽きないが、
ポジティブに考えれば、これはまたとない奇襲のチャンスを得たと言える。
通常なら手も足も出ない格上相手に、ジャイアントキリングをかませる絶好の機会でもある。
(狼男が一体。醜犬族が一、二・・・・・五体。奇襲が嵌れば、手持ちの手札で十二分に殲滅可能・・・・!)
ニィ、と口端が釣りあがるのが止められない。
これだから、狩りは止められないのだ。
───始めは、ただ飢えのためだった。
ただ肉が食いたいばかりに、野生動物を知恵を凝らして狩って持ち帰ったのが俺の狩りの原点。
だが、何匹も狐やキジ、兎なんかを狩ってゆく内、レベルアップと言う現象に出合ってからだ。
・・・俺の狩りはドンドンエスカレートしていった。
──目に解る成果!──確実に成長できる達成感!
初めからこの世界に生きる人間にとっては解らないかも知れないが、
自分の努力がどれだけ報われているか具体的な数値で知る事が出来ると言う事がどれだけ燻っていた向上心を燃え上がらせた事か。
そうして、何時の間にか自分はいわば"レベルアップ中毒"とでも言うべき状態に陥っていた・・・・。
だが、治すつもりも毛頭無い。
高みを目指すでもなく、目的があるわけでもない。
ただ手段が目的に入れ替わってしまっていて、俺はそれを良しとする人間であった。
ようは、ゲームである。
相手は幾ら殺しても心の痛まない害獣。それを敵兵に見立て、殺す。
敵地に潜入して、単身任務をこなす一兵卒になりきるRPG。
そして、強くなる。
いわば、俺にとって"狩り"とはとてもリアルなサバゲーなのだろうと思う。
それも"命を賭けたゲーム"・・・だ。
死ぬつもりも無い。命を軽んじるつもりも無い。
痛いのは嫌だし、苦しいのは嫌いだ。
ミリオタと言っても、本当に殺したり殺されたりがしたい訳じゃない。
自分は臆病で痛がりでどうしようもない弱虫だと知っている。
自分だけは死なない等と自惚れている訳でもない。───ただ、それでも俺はこの状況を愉しんでいる。
前世では自分はこんな奴だったなんて思わなかったが、・・・筋金入りのミリオタとはこう言う人種なのかもしれなかった。
生粋の軍人などではなく、ゲームと現実を履き違えた狂人と言う訳でもない。
ただ、戦争と言う一つの概念にどうしようもなく引き込まれた愚か者。
戦争と言う無意味で非生産的な行為に、特別の価値を見出してしまった勘違い者の事を指すのだろう。
ならば、"ソレ"が許される環境におかれたならば箍も外れよう。
ハッキリ言って自分のやっている事は、公園の鳩をボウガンで撃ち殺す最低の人間とそう変わらない。
そういう醜悪な行動理念である事は理解している。
それでも、・・・・俺にはこれを止める気はさらさら無いのだった。
───バクバクと奮える心臓の音が、何処か心地よい。
藪に臥せり、前方の少し開けた森の一角に目を凝らせば身振り手振りでコミュニケーションのような事をしている醜犬族が見える。
ソレを見つつ俺は静かに、且つ迅速に背負った弓を銃剣に嵌めこみ始めた。
確実に相手を殺すために、自分は生き残るために。ありとあらゆる条件を勘案して、無い知恵を絞り作戦を立てるのだ。
銃剣の初めて使う機能だが、これならば、格上相手にも致命傷が与えられるだろう・・・・。
俺はじっとりと汗ばむ首元の汗をぬぐう事もせずに、腹ばいのまま作業を続ける。
───口元を、歪に吊り上げたままで。
つづく。
感想ありがとうございます!
掲載三日目で沢山の声援とご意見ありがとうございました!
これからもお願いいたします!