神無一夜は秒速一〇メートルで駆け上がる。
布団を頭から被って、持ち運び用のテレビを見ていた。
朝のニュースでコメンテーター、昼頃に囚人一人が消失したという事件があったらしい。
人は死ぬと消失する。
心は身体を形作る魔力とは別の物質(だと言われている)が『生命の樹』から造られ、母胎にある身体に入っていく。
そこで、初めて『人間』は完成する。
そして長い時間をかけて心が容器から離れてしまい、人間は死に、身体が消失する。
身体が消失する原因は心が身体を形作っている大きな要因となっているかららしい。
テレビを見る限り、コメンテーターが消失した原因は何らかの原因で心がなくなったかららしい。
自信たっぷりに言ったふてぶてしい専門家の言葉を要約すると『原因不明』。
専門家が言うと分からなくても、解決したかのように聞こえるから困る。
「……」
そんなニュースを見ても好物のオムライスを食べてもあの青年のことがのっぺりとした黒い影のように心からこびりついて離れない。
一夜はその黒い影を振り払うように思いっきり布団から飛び出た。
生命の樹にでも行こう。
あの荘厳な景色を見ると何とも言い難い気持ちになる。一夜の最も気に入っている場所だ。
ジャンパーを羽織って部屋から飛び出した。
◆◆◆◆◆◆◆
おおよそ、一〇キロ走り、森に入って手近な周りの木よりも頭一つ分大きな木に登ると、円柱の土地が遥か上空に伸びているのが見える。一年ほど前、標高三千二百メートルだとテレビ番組で言っていた。
ヘリコプターでも持っていないと到達できない場所――ヤハウェだ。
一夜は幹を蹴って、大きく跳躍。
一〇メートル程跳んでから、魔法を使う。
「空間制御」
ただただ、単純に、手足を動かすように、一夜は世界を変える。
空間を捻じ曲げる。空気ではなく、空間を。
身体全てを、空間の歪みにより外部から見えないようにする。
更に、空間を操り、足元に収縮させる。
空間を蹴りあげる。
空間を階段のように使う。
空間を自由自在に操る能力――それが一夜の魔法だ。
世界で唯一人、自分しか使えないと思っていたモノ。
とはいえ、こういうことくらいにしか使えないのだが。
目測にして、標高三千メートルに位置する土地へ駆けあがる。
五分後、生命の樹がある場所へと足を踏み入れた。
世界が変わったような漠然とした感覚。いつものことだ。
「寒みー」
言葉と共に息が寒さで水滴に変わる。息が白く変わらない。
この土地には塵すらもない清浄な聖域なのだ。
生命の樹は凛とした佇まいでそこにいた。
全長一〇メートル、ピンクの葉をいつまでも鮮やかに咲かす神樹だ。
生命の樹の所為なのか空間がエメラルドグリーンに見える。
一夜は生命の樹の根元を見る。
ここに、森で拾ってきた種を植えたのを思い出したのだ。
少女が居た。
生命の樹に背中を預けて眠っていた。
淡いピンクのワンピースを着ている。
「えぁ?」
本日二度目。
思考が一瞬だけフリーズ。空間制御が切れた。
おかしい。
何故こんな所に人間が居る?
部屋に居るならまだ分かる。
でもこんなヘリでもない限り到達不可能な場所に居るなんて、ありえない。
もしかしたら、自分と同じ魔法使い?
よく観察しようと少女を意識的に見るが、白銀色の色の髪をクラゲのように振り撒いており、顔がよく見えない。
少し、懐かしさがよぎった。
何故そんなことを思ったのか考える意識に割り込みをかけるように、突然真下に大きな影が出た。
一夜が顔を上げると巨大なヘリコプターが飛んでいた。
えへら、と一夜の顔がどうしていいか分からずに、にやける。
「は、はは。俺って大馬鹿?」
一夜は自分の馬鹿さ加減に呆れる。
心がなくなって騒いでいるのに、心をリサイクルする生命の樹にこない筈ないじゃないか、と。
見つからない内に帰ろうと一歩、歩み、止まった。
少女を見る。
ここに居るということは、世界全てに怪しまれるということだ。
コメンテーターの事件に係わっていようがいまいがそんなことは関係ない。
原因が直ぐに分かればいい。
しかし、分からなかった場合、居るという時点でもうアウト。
心をなくすのは次は自分かも知れないのだ。
唯一の係わりとして手放す筈がない。
そしたら最悪、少女に自由は訪れないかもしれない。
ズキリ、一夜の良心が棘でも刺さったかのように痛みだした。
「ああーもう!」
力強く、一歩目を踏み出す。
足元が爆発したかのように地面が抉れる。
ヘリは一夜達に気づかず、下降し続ける。
空間制御により姿を消す。
少女まであと、五メートル。
少女が見つかったが最後、世界中を敵に回すことになる。
汗が噴き出す。
「楽勝だっつうの!」
更に、一歩。
少女の背中に手を回す。少女の身体が消えた。
少女の身体は綿のように軽く、氷のように冷たかった。
一瞬、あそこでどれくらい眠っていたのか、考える。
「うしッ!」
少女を抱えたまま、二人はヤハウェから飛び降りた。