ロト地区でのお話
そこは家すらないゴミ捨て場のような場所だった。
いや、実際にここは世界最高のゴミ捨て場として機能していた。
大量の生まれながらにしての人生の脱落者とゴミと廃墟が並ぶ最悪な場所。
絶えず酷い異臭が広がっている。
血の匂い。
便の匂い。
泥臭い汗の匂い。
ゴミの匂い。
死体が腐った匂い。
様々な匂いが混じり合って最悪な匂いを作り上げている。
芸術と読んでいいかもしれない。
その異臭の中で人間は生きていた。
ボロ切れの布を身体に巻き付けて、赤ん坊を掻き抱いている虚ろな目の女が居る。
包丁を持った凶悪な顔をした大男が居る。
飢えを凌ぐために生ゴミを食べようとする子供が居る。
そんな最悪な場所、ロト地区のオシリス通りで歩いている二人の男たちの姿があった。
片方は身長百八十程で新緑よりも鮮やかなサラサラの髪を腰の辺りまで伸ばしている。瞳も緑で顔は意味不明な程に整っている。
男であっても見惚れそうだ。
金色のマントを無理矢理衣服にしたかのようなモノを身に纏っている。
もう一人は金髪を眉に掛かる程で切っている神々しい雰囲気を纏っている男だ。
薄い青色の白衣を着ている。
二人の身ぐるみを剥がそうとしていたエヌルタとその仲間--十人が皆、何の合図もなく手を止め、立ち止まった。
なぜ? と尋ねればそこに居た人たちはこう答えただろう。
緑の髪の男のせいだ、と。
世界の異物。
そこに存在しているだけで己の運命がねじ曲げられるような圧倒的な存在感。
なぜ存在している? 疑問が心の底から溢れでる。
死人が生き返るよりもありえないことだと、全員は本能のまま思う。
そして、そんな男の横に何でもないように立っている男の存在もありえないと思った。
同時刻、チコメコアトル通り。
比較的安全な場所、即ち、人の多い場所で二人の男女がビニールテントを張って食事を配っていた。
二人の名前は伊沢波破魔と、伊沢波淡波である。
二人共三十代で、子供を生んだのが確か十八だ。
破魔は結婚十六周年目である。
破魔は隣の地区に置いてきた子供に思いを馳せてみた。
(うん。帰るときが楽しみだな。仲間も一杯できたし)
阿波波は続々と詰め寄ってくる人の波に押され気味だ。
「アンタ! 人の顔をニヤジロ見てないで手伝いなさいよ!」
阿波波の説教が飛んできて首を竦める。
「あいあい……つかニヤジロって何?」
破魔は針金みたいな身体をした女性に食事は差し出す。
女性は涙を流しながらお礼を言って食事を受け取り、近くの鉄骨の上に座って食べ始める。
涙と笑顔がそこにはあった。
食事と言っても簡素なパンと薄味のスープだ。
それだけであんなグシャグシャな泣き顔で、あの笑顔で食べ物を食べるのだ。
世界の理不尽さが身に染みてわかる。
喜びと悲しみでじんわりと心が熱くなった。
「私と娘以外にニヤジロするなあ!」
ゴカアン! と破魔の頭にお玉が炸裂した。
見れば、嫉妬の炎を燃やしに燃やしている淡波さんが居る。
本当に珍しくこの地区に笑い声が溢れた。
「理不尽だ……」
言いながら、苦い思いが心の中に渦巻く。
政府に託された任務を遂行する必要がある。
同時刻、テオヤオムクイ広場。
通称ゴミ溜め場。
ここは世界から出たゴミを捨てて行く場所であり、ロト地区の人達にとって唯一飢えを凌げる場所でもあった。
電化製品が山のように積み上がり、残飯は今日を生きる糧となる。
そこで二人の少年が対峙した。
一人はめんどくさそうに耳を掻いているオレンジの髪をしたやる気の見れない男だ。
その男の頭に顎を載せているゴミみたいに汚い衣服を着た可愛い女の子が居る。
オレンジ髪の男と同じ服だ。
もう一人は好戦的とも冷静ともとれる冷やかでキツメの瞳が印象的な男。
その男はオレンジの髪の男を見て、喋り始めた。
「オレンジ。政府は何でここを放っている? 流行病は必ずここが発信地なのにな?」
「うっせえなあ。俺は食いモン貰いに行くんだって。残飯は食い飽きた」
オラどけよ錬二、と掌をひらひら振る。
構わず錬二と呼ばれた男は演説染みた喋り方で言う。
「ここの戦力を恐れているからだ」
「世間の目が一番大きな要因だろうが」
錬二はまたもや無視して言う。
「ここは犯罪者や、親がここに住んで居たためにここに住むしかない人達が揃っている。約十万人。今年はここに逃げ込んだ犯罪者が五十人は居るらしい」
「それがどうしたんだよ。お前は浮気に気づいた回りくどい主婦かよ。サッサと要件を言ってくんねえかな。コイツが顎でぐりぐりしてくるんだけども」
錬二はオレンジの興味が微塵もない態度にはあ、と溜息を吐く。
「ここに居る連中は多かれ少なかれ何の対策もしない政府やのうのうと暮らしている世界に恨みを抱いてる」
オレンジは何かに感づいたかのように表情を変える。
「お前、世界にケンカを売るつもりか?」
「ああ」
短く言い切った。
この前から必死で演説していたのは知っていたがこんなことを計画していたとは、バカバカしい。
ハッとオレンジは鼻で笑う。
「出来る訳ねえだろ」
「出来るさ。お前と俺が居ればな」
一切迷いがない瞳のまま言い切る錬二。
確かに不満がないと言えば嘘になる。
残飯は不味いし日々の生活も飢えとの戦いだ。
だけど、オレンジは錬二と一緒に戦うなんて選択肢は存在しなかった。
唐突に錬二は真下にあった携帯電話を踏み砕いた。
「いや、蹴り砕く必要はなかったか」
忘れていることに恥じたような声を出す。
次の瞬間。
世界が変わったかのような感覚に囚われた。
(俺と同じ進化しやがったのか……?)
オレンジは少しだけ感慨深いモノを感じた。
驚きはしなかった。
俺が進化したのだからコイツが進化してもおかしくはないと思う。
携帯電話は勝手にバラバラになり、やがて小さく固めた金が携帯電話から現れた。
錬二はそれを拾いながら一言。
「驚いたか?」
「「べっつにー」」
二人は同時に言い放った。