一縷の受難
一縷の頬は丘のように腫れ上がり、青痣が出来ていた。
腕にはあの幼女の歯形がびっしりと、親の仇のように付いている。
「俺、どう悪いことした……?」
独り言をぼそっと呟くと、部屋を見回した。
柑橘系の爽やかで甘酸っぱい匂いのするピンク空間だ。
カーテンもピンクなら今座っているクッションもピンクである。
部屋は大きく、六部屋もある高級マンションだ。
そういえば、この部屋で飯を作って食べたのを思い出す。
(なるほど、あれはアルテミスの部屋だったのか)
なぜ一縷がアルテミスの部屋に居るかというと、一縷の大怪我が原因だ。
あの三人が一縷をボコボコにしている途中で、怪我をしていることに気づき、何で速く言わないのよ! と怒られ、今に至る。
絶対安静宣言をアルテミスから下された一縷は、つまらなそうに欠伸をした。
昨日からこの調子なので暇だ。
「ふあー寝みい……」
ふああ、と欠伸をしてゴロンと寝転がり、目を瞑る。
と。
がちゃりと扉を開ける音と同時にこんがりと、肉の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
目を開けると、二つの皿を持ってアルテミスが立っていた。
器用に右腕の上に皿を乗っけている。
「しっかりリラックスしてるわね」
うんうん、と満足げに頷くアルテミス。
「どんな仕事してたらこんな部屋を借りれるんだ?」
「あれ言ってなかったけ? 科学者よ科学者」
「そうか。だから魔力制御装置にも詳しかった訳だ」
「まあね」
アルテミスは軽く頷くと、ピンクのテーブルに皿を置いた。
綺麗にこんがりと焼けている肉は「早く食べて」と懇願しているようにも見える。
一縷はふと、等価交換という言葉を思いだした。
そこから、思考が濁流のように一縷の心を席巻していく。
例えば、人が人肉を食えるとしてその人一人分の命で一人の人間を何日生きさせることができるのだろう?
ふとした考えはすぐさま流れ、思考が反転する。
一瞬思考は白紙になり、シャルの諦めた瞳が浮かんだ。
自称人形のアイツを。
今度会ったときは参考程度に俺の生き方でも教えてやるかな、と心の片隅で思う。
(まあ人生なんて無駄の塊なんだから悩むなんて馬鹿馬鹿しいが)
そんなことを思っていた一縷にアルテミスがほら、一緒に食べよと肘でつついてくる。
見れば、紫色の得体のしれないジュース(アルテミスの分はお茶)と、ステーキ、カリッと香ばしく焼かれているパンがあった。
「お礼の前に訊くが、この紫の物体は何だ?」
不信そうな顔を作って一縷が言う。
アルテミスは不穏な笑みを浮かべたまま何も言わない。
一縷はよくわからない飲み物を『言わないなら飲んでみるよ』といった表情で飲み、口の中でどろっとした粘液のような感触がした。
ガソリンと、生肉を混ぜ合わせたあり得ない味がする。
一刻も速くこの異物を排除しなければと飲み下す。
粘液が喉にガムのように張り付いている感じがして激しく不快だ。
アルテミスのお茶を奪い取って喉に残る不快感を消し去る。
「まじい……」
舌がヒリヒリしていることに今更ながら気づく。
「怪我の治りがよくなるらしいよ?」
そういってアルテミスは大笑いした。