一夜と一縷の影を持つ者の邂逅
伊沢波祠は人型のパンチングマシーンに拳を撃ちつける。
液晶画面に『60』という文字が浮かび上がった。
その下に勿体ぶった間を開けてから『激弱』
『俺は起きたから。もう心配しなくてもいいから』
そう言って微笑む先輩の姿が浮かぶ。
凄くムカつく。
心の中にコールタールみたいに黒く、有害な何かが渦巻く。
もう一回硬貨を入れて殴ろうか、『買い物』に行こうか悩む。
買い物と言っても普通の女の子よろしく服を見たり、化粧品を吟味したりする訳ではない。
3DTに物語りをインストールする買い物だ。ネットを通じて買うので買っている感覚がしないのがデメリットだろう。ストレス解消にはならない。
3DT――カルマ=モレクスが発明した電子反射板で光を反射、屈折させて立体の像を浮かばせるというモノを応用させた3Dテレビを携帯化させたモノだ。
けど。
(そもそも私が満足するようなものがないのよねー)
最近は恋愛モノが多すぎてゲンナリする。
まあ風潮なんだろうけど。
と。
優しく肩を叩かれた。
振り向くと、金髪を短く伸ばし、端整な顔をしている少年が居た。
先輩と同じくらいの歳だと思う。
金髪はいかにも女慣れしてそうな笑みを浮かべながら、
「パンチの打ち方を教えてあげようか?」
百人居れば百人は落ちそうな笑顔だなあ、とかぼんやりした心で考える。
金髪はそれを了承と受け取ったのか、それとも元から取るつもりもないのか硬貨を投入した。
人型のパンチングマシーンが挑発的に人差し指をくいくいと折り曲げる。
「ふッ‼」
金髪は小さく息を吐いて顔面を殴った。
ゴウン! と大きな音が響き、パンチングマシーンが揺れる。
『700』という文字が浮かび、先程と同じ間を開けて陳腐な音楽が鳴り、『記録更新』という文字と『無敵』という文字が浮かんだ。
周りに居た人達は「おお」と歓声とも驚嘆ともつかないような声を上げた。
金髪無敵はプライドが満たされたような笑みを浮かべて、
「どう?」
何がどう? なのかは全く分からないが愛想笑い抜群の笑顔を浮かべて言う。
「凄いですね。それじゃあ私はこれで」
ゲームセンターなんて来るんじゃなかった、そんな後悔をしつつ歩きだした瞬間、腕を掴まれた。
「ちょっと待ってよ。あんたアレだよね」
「なんですか?」
ムスッとした表情で言う。
「黒い髪に黒い瞳、モーセの一族じゃない?」
モーセ――黒い髪に黒い瞳が特徴の仲間意識が強い一族で数万年前まで小さな孤島で暮らしていた一族だ。
とはいえ別にモーセが珍しい訳ではない。
モーセの子と他の者が結婚して子供を産んだ所で遺伝的な問題で黒髪黒眼の人間が産まれてくるのだから。数万年前から今までで、世界の三割は黒髪黒眼になっているとの報告も出ているくらいである。
祠は無表情のまま言う。
「違いますよ」
「ああ。そうなんだ。美人だからテッキリそうおもちゃった」
「それ根も葉もない噂話なんじゃないですか何はともあれさようならです」
つらつらとそう言ってから腕を剥がそうとするが金髪は離してくれない。
「離してくれませんか?」
「嫌だね」
金髪は厭らしい笑みを浮かべて言う。
下品に口角を上げる。
周りに居た人達は視線をワザとらしく逸らし、二人の様子を静観している。
と。
自動ドアが開いた音が聞こえた。
祠は『先輩』だと、そう直感的に感じる。
――先輩だ!
祠は柄にもなく笑って後ろを振り向いた。
自動ドアの前。
そこに居たのは『暴力的な外見の少年』だった。
一夜ではない。
ゲームセンターに居た人達はボサボサの茶髪に三白眼の少年の衣服に呆気に取られていた。
青に白のラインが入ったパーカーに黒のジーンズ、ここまでは普通だ。
但し、大量の血が付いていなければ。
子供ような瞳でゲームセンターを眺める。
「あっれー? ゲーセンって所は騒がしい所じゃねえの? 何で俺に注目が集まってんだよ?」
「当たり前だろ! テメエ何なんだ!」
金髪がパーカーに詰問する。
「ああ。強姦しようとしてた奴か」
「ご……ッ!? ナンパだっつうのボケ!」
怒鳴る金髪に不快そうに眉を顰める。
「嫌がってる女をナンパするのが強姦って言うんじゃなかったけ?」
「はあ!? 一切嫌がってねえよ」
「いや。嫌がってましたけど」
祠は金髪の馬鹿発言にツッコミを入れる。
「な!? テメエ! 顔赤くして喜んでたじゃねえか!」
犬歯を剥き出しにして吠える金髪。
祠は意味不明な金髪の言葉に一瞬頭が真っ白になる。
「あとでぶん殴ってやる!」
吠えた金髪をパーカーは眉を顰めたまま裏拳を顔面に叩きこんだ。
金髪は呻き声を上げることさえ許されず、その場に沈みこむ。
直後。
ゲームセンターが悲鳴で埋め尽くされた。