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世界を廻すモノ  作者: 青空白雲
日常の破損
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暗闇一縷は不法侵入を試みる

 暗闇一縷は繁華街を歩いていた。

 一縷は、定年退職間際の刑事のようなよれよれの灰色のコートを着込み、傷だらけの黒い鞄を持っている。

 春を感じる気持ちのいい風が一縷の身体を流れていく。

 女性のように綺麗な髪がサラサラと風で靡き、抜き身の刀身のような鋭い瞳が小さく緩む。

 電器屋のアーケードからはテレビが小さな音で流され、雑踏に掻き消される。

 何かのアンケートを採っているのか、アーケードの前で色白の青年が用紙に何か書きながら、五十代くらいの男性に話しかけていた。

 五十代の男性から斜め後ろ二、三メートルの所に『ネットカフェ近日オープン!』と書いてあるプラカードをやる気なさげに持っている三十代くらいの女性が居た。

 女性は視線に気づいたのか、偶然なのか、一縷の顔を見て少しニヤき、それから顔をしかめた。

 唇が動く。

『勿体無い』

 一縷は、まだ何か言いたげな女の視線を無視して視線を別の方向に向ける。

 会社に向かう自分の外見と同じくらいの――言い換えるなら二十代くらいのスーツ姿の社会人が居た。

 社会人は寝不足気味の目を擦る。

 社会人と、学生は凄いと一縷は思う。

 金を貰う為、一時的な名誉、地位を求める為に会社に従属し、上司に媚びへつらう社会人。

 社会に出た途端、使わなくなる数学の方程式、大昔の言葉、歴史を真面目に取り組む学生。社会に出る為に必要だと言う先生は即刻、上司に気に入られる授業でもやった方がいい。

 そういうしたくもない事に限られた人生のほぼ全てを埋められるのだ。

 それらを疑問に思ってもそのまま流れて行く。

 純粋に凄いと思う。

 もしかしたら人間は自分は絶対に死なないという思いを持っているのかもしれない。

 きっと、生きる為に、種を繁栄させる為にそういう装置が付いているのだ。

 もしくは、来世の為に世の中を良くしているのかもしれない。

 しかし、どれだけ科学が進もうが死んでしまうのだから、世の中を良くしようが悪くしようが意味がないような気もするが。

 と。

 肩に衝撃が来た事により、意識が現実世界に帰って来た。

 下を見ると学生が居た。

 自分がぶつかったのか、学生がぶつかったのかは知らないが、自分とぶつかったのはこの学生なのだろう。

「すみません」

 学生が頭を下げてきた。

 高校生だろう。色気も何もなく、変に髪が跳ねている。

 寝癖だろうと見当をつける。

 もしこれが、最近の流行とでも言うのなら若者はオシャレの意味を辞書で調べ直すべきだ。

 真横に居た女学生が「何やってるんですか先輩」と辟易していた。

 こちらはしっかりと身嗜みを整えており、見る者を魅了する美貌を持っている。

 化粧をしていない事に好感を持つ。

 無視しないで謝った男子高校生にはもっと好感を持ったが。

 一縷は二人を見比べて心の中で首を捻った。

 二人の関係性がイマイチよく分からない。

 そんな事を考えながら、一縷は言う。

「俺も悪かったよ、考え事してたし。悪かった」

 男子高校生は、処世術としての愛想笑いを浮かべた。

「じゃあ、さようなら」

 そう言って、学生達と別れた。


 繁華街を抜け、少し歩くと、全体的に灰色のアパートが視界の端にちらついた。

「ここにするか」

 口内で呟いて、灰色のアパートに入って行った。


◆◆◆◆◆◆◆


 一縷は鍵穴を覗き込んで、呻く。

「オイオイ、今時ディスクシリンダーかよ」

 素人でさえ、練習すれば針金で開錠出来てしまう玩具同然の鍵だ。

 泥棒からすれば、これほどやりやすい鍵はない。思わずプレートを見る。

 一縷はいつものように鞄を開く。

 中に入っているのはガム、透明な薄い板、ノートパソコン、ケーブル一束に割り箸、ピックとテンションだ。

 ピッキングの専用工具であるピックとテンションを差し込んで、鍵を開ける。

 ガチャリ、と鍵を開いた音が聞こえた。



 ドアを開けて部屋へ入る。

 電灯が部屋を明るく照らしていた。

 部屋の広さは割と小さい。

 先日侵入した家の半分程だ。

 一つの本棚にありったけの本を詰め込んでおり、本の上に本が重なり合っている。

 が、それでも足りない本が部屋に敷かれた絨毯に積まれてある。

 卓袱台が置かれており、その上にはパンを入れたままのトースターと漫画の本が五冊置いてある。

 一番奥にベッドが置いてあった。

 一メートル程上に窓があるが、日当たりが悪いらしく陽光が入ってきていない。

 壁にどうにかして付けたのだろう木の板に持ち運び用のテレビと、教科書が置いてある。

 部屋をもう二、三周見渡した一縷はこの部屋の宿主は学生であり、だらしない性格だと見当をつけた。


(電気を点けっ放しにし、パンを入れたまま出かけてるし……。

 そのわりに本棚を一つにして、テレビを安い持ち運び用ので我慢する位には質素なんだよな……変な奴の部屋に忍び込んじまったよ)


 バリバリと後頭部を掻きながら、トースターを起動させる。そのまま流れるように冷蔵庫へ向かい中身を確認。

 賞味期限切れの物は纏めてゴミ箱に入れる。

 流し台にあったフライパンを水洗いする。

(あんまり良いモンがなかったな)

 今日の家は大ハズレだ、と一つため息を吐く。

 暗闇一縷は不法侵入者だ。

 泥棒とも言えるかもしれない。

 しかしながら、人の物は奪わない。

 それが、大切な物だった場合、一縷には責任がとれないからでもあるし、単純に人の物を奪うのは気分が悪いからでもある。

 しかし、食べ物や電気代などは容赦なく食うし、使う。

 別に一縷は正義感に溢れる若者ではないのだ。

 世間のルールさえ破る不法侵入者だ。

 とはいえ、自分で決めた信念ルールくらいはある。

 洗ったフライパンに冷蔵庫から取り出した卵とベーコンを手際よく入れて、目玉焼きを作り始めた。



 漫画を卓袱台から絨毯にそっと下ろし、トースターが作動していない事に肩を落とす。

 卓袱台に持ってきた持ち運び用のテレビをつける。コメンテーターが最近の経済状況について物知り顔で批判している所だった。

 ……どうせ死ぬのにムダな事をしてるモンだ。

 俺も、このコメンテーターも。

 そう、このコメンテーターも、暗闇一縷という存在も、いつかは生命の樹で『リセット』されるだけだというのに。

 一縷の心の片隅にそんな考えが浮かんだ。

 自分の装置は不良品なのかもしれないと、一縷は他人事のように思う。

 一縷には人間が繁栄する為に必要であった『欲』という物がほとんどないのだ。

 失いたくない物と言えば、『自由』と『自分自身の考え』のみである。

 だからこそ、社会に縛られない『不法侵入者』として生きていっているのだ。

『本能』『理性』『感情』『記憶』『演算』の塊である『心』が少し壊れているに違いない。

 この場合は『本能』か、『感情』か。

 一縷はそんな事を考えながら、パクリと冷たい食パンと温かい目玉焼きを口に詰める。

 コメンテーターはまだ熱弁を振るっている。

 こんな経済状況のお話なんて不法侵入者には何の関係もないし、面白くもない。

 どうせ死ぬのだとしても生きている間は楽しみたいという気持ちもある。

 チャンネルを変えようとした所で、

 コメンテーターの厚ぼったい唇が消えた。氷を熱風で溶かしたかのような不自然な消え方。

 唇がなくなった為、歯茎が剥き出しになる。気持ちの悪いピンクが目に焼きつく。

「——あ?」

 一縷は驚きに目を見開く。

 食い入るように小さな画面を見る。

 画面の中の人はその異常な出来事にどう対象していいか分からないのか、画面はコメンテーターのままだ。

 コメンテーターはなくなった唇にようやく気づいたのか、唇があった場所へ手を伸ばす。

 ――絶叫。

 そして、真夏に降った雪のように身体が溶けて、消えた。

 存在が消えた。

 暗闇一縷は一拍置いて、生放送だったんだな、と場違いな事を考えた。

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