暗闇一縷のブレと考え
アルテミスを風呂から上げ、その辺りに置いておく。
風邪引くか? と思ったが、放っておく。更衣室へ向かう。心に詰め物を入れられた感じがして気持ちが悪い。
木製の扉を開けて、ロッカーから着替えを取り出して、着替える。
コートを羽織って、更衣室を出る扉に手をかける。
ふと、心に入った詰め物がホントに置いて行くのか? と、一縷に問いかける。
手が止まる。
詰め物が凄く気持ち悪い。
「はあ……」
と、小さくため息を洩らす。
大体、一縷の考えは『生きることは延命行為で何の意味もない』なのに。
何故、あの三人が風邪を引くかもしれない可能性にこんな罪悪感を抱かなければならないのか。
後頭部を思わず掻きながら言う。
「ま、コレが俺なら別にいいか」
一縷は女風呂へと引き返して行く。
◆◆◆◆◆◆◆
それは、三人の身体をよく拭いて服を着替えさせ、革張りのベンチに寝かした時だった。
突然、声が聞こえた。
「オイオイオイ。何だよコリャ? 人が動いてんじゃねえか」
一縷は声のする方向――女子更衣室の扉の前を向く。
青のパーカーに白のラインが入った服を着ている人が居た。下は黒のジーンズだ。年齢は一六、一七といった所か。
外見は凶暴な獣を彷彿とさせた。
三白眼で瞳はつり上がっており、時折見える犬歯は鋭い。鉄さえ噛み千切れそうである。
そいつは重苦しく息を吐いた。刺々しい雰囲気が辺りを取り巻く。
「お前誰だよ?」
ギロッ、と人を射抜きそうな視線を向けて一縷に言う。
対して、一縷は無駄な体力使ってそうだなあ、と場違いなことを考えながら自己紹介する。
「俺の名前は暗闇一縷。お前は? この状況に関係あるんだろ?」
「ああ。俺はシャル。この状況に関係はしてるな」
気だるそうに、しかし、刺々しい雰囲気はそのままにパーカーのポケットから一枚の写真を取り出し、見た。
それから、ベンチに眠っている三人を見て、その内の一人――アルテミスを指差して言った。
「ソイツの左腕を貰う」
左腕を貰う、その台詞を聞いた瞬間、アルテミスの左手には『一縷の闇の能力以外は消し去ることの出来る力』を持っていることを思い出した。
それが目的だろうとは理解できた。
理解はできたが理由も利益も見当たらない。何が目的なんだ?
一縷はアルテミスを横目で見やる。
そして、目の前の少年を見た。
左腕を千切れるような怪力少年には見えないし、切断できる武器も持ってなさそうだ。噛み千切るのか?
「貰うってどうやって貰うんだ?」
「斬るんだよ。決まってるだろ?」
シャルは腰の辺りに手を伸ばした。
一縷の目の前に何かが迫っていた。
息を吐く間すらない圧倒的な速度。
一縷の心がようやく警戒音を叩き鳴らす。移動が見えなかった。
一縷を守る為に闇が盾として現れる。
音もなく、何かを闇が受け止めた。
シャルは少々驚いて目を細め、動きを止めた。
闇が受け止めたモノは果物ナイフより大きいくらいのナイフだった。刃渡りは一五センチ程か。
一縷は闇を制御し、ナイフを奪い取ろうとするが、その前にナイフが闇から遠のいた。
意識すると闇の操作が遅い。
ふっ、と小さく息を吐いてシャルはナイフを突き出す。
あまりの速さに一縷の動体視力では視認仕切れない。銀色がレーザーのように伸びる。
適当に闇を身体中に纏おうとするが、意識して制御すると遅すぎる。顔と心臓だけはどうにか闇で纏う。
銀色のレーザーは角度を大きく変えた。
一縷は避けようと身体を動かすことさえ出来ずにナイフが深々と肩に突き刺さる。肉の繊維が断ち切れたのが分かった。
「……ッ!?」
一縷の身体はトラックに跳ね飛ばされたように肩から飛んだ。
真後ろにあった女風呂へと続く扉に身体が叩きつけられる。扉の金具が荒々しい音と共に壊れ、扉はタイルを滑る。
身体がタイルに投げ出された。
シャルはタイルの僅かな溝に流れる血を見ながら肩を竦める。ナイフを上下に振るう。血が飛び散る。
「弱すぎ。あの黒いのは見かけ倒しかよ」
ガッカリしたようにそう言って、ベンチへと歩く。
その真後ろに倒れていた一縷は冷静に左肩を見る。
だらだらと滝のように流れる血が印象的だ。痛みはない。麻痺しているのだろう。
まだ、戦える。
それだけ分かればもう充分だった。
「待て」
立ち上がりながら言う。
「ああ?」
シャルは目線を一縷にやり、ため息を吐く。
「お前と俺との力量差はわかんだろ?」
「わかるけど、止める」
一縷は宿題を前にした学生のように面倒くさいなあ、と思いながら笑みを浮かべる。
「わっかんねえなァ」
と言いながらシャルは血染めのナイフを一縷の心臓に向ける。
「コイツの彼女ってヤツか?」
「違う」
「友達ってヤツか?」
「……違う」
「なら何で止める?」
「止めたいと思うからだ」
一縷はその問いかけの答えに笑いそうになる。
(ああ、俺の考えはホントにブレてるな)