風呂場のトラブル――一縷の者忘れ
貸し出し用のシャンプー、リンス、ボディーソープ、タオルをプラスチックの桶に入れて裸で扉の前に立ちつくしていた。
両側にシャワーがズラリと並んであり、眼前五メートル程に大きな風呂が存在してある。
人は居ない。
おそらく、平日の昼だからだろう。
えーと……これからどうすればいいんだ?
銭湯を利用したことのない暗闇一縷は少し困る。礼儀作法はあるのだろうか?
一縷はそもそも風呂に入るつもりなどなかったのだが、その旨をアルテミスに伝えると、
『は? 入らない? そんなフケ山盛りに載っけて……しかも臭いし! 入らないとダメだって。女の子にもモテないし』
『いや、モテなくてもいいんだけど』
『お風呂嫌いなの?』
『いや、別に嫌いって訳じゃ……ッ!?』手を引っ張られる。
『なら入ってもいいよね? 服も買おうか?』
こんな反応をされて無理やりにねじ込まれたのである。
「まあ、いいか……」
先ずはシャワーで身体でも洗おう。
◆◆◆◆◆◆◆
予想外に風呂というヤツは気持ち良かった。
ドラム缶風呂とはやはり違う。
と。
一縷の真横の壁が音もなく、まるで水を含んだ紙を破るかのように消えた。
一縷は少し驚き、眉を顰める。
これくらいの異常では声を出すほどは驚かない。
真横を見た。アルテミスが居た。
風呂に入っている。
お湯の所為で赤らんだ肌に水滴が滴っている。ギリギリの所でその豊満な胸は隠れていた。
真横に女風呂。ほとんど混浴と化していた。
「やっちゃった……」
そう呟きながらアルテミスはまるで悪いのは左手なの、とでも言うように睨みつけていた。
そして、一縷に気づいて瞳を向ける。
恥ずかしそうに赤らんだ頬を更に赤く染め、視線を少し外した。
大穴から見る女風呂は、男風呂と同じ作りをしている。客は三十代の女性と幼女の二人だった。シャワーの前で女性は幼女の髪の毛を微笑みながら洗っている。
この事態にはどうやら気づいていないようだ。
「え?」
という声がアルテミスから洩れる。
一縷は視覚や、聴覚、感覚が引き伸ばされたのを肌で感じた。
空気が変化したのが分かり、身体がその空気に馴染んだ。
アルテミスと親子の全身がマッサージをされたかのように弛緩したのが分かる。
女性はまるで人形のようにタイルに身体を打ちつけ、布で作られたボールのように一度だけ跳ねて、倒れた。子供は親にもたれかかるように倒れた。
アルテミスはそのまま、風呂へ泥みたいに沈んでいった。お湯が飛沫となって飛ぶのが鮮明に映る。
左手が水に入ったにも関わらず、能力は発動していない。
人々が倒れた音が、風呂場に反響する。
人々が倒れたときに洩らした小さな声が聞こえた。
一縷はあり得ない異常な状況でも心を乱すことはなかった。
「……?」
何でいきなり倒れたんだ?
何の前触れもなかった筈だ。
その疑問に割り込んだ影が心の中で早口に囁くのを感じる。
「あ! アルテミス……」
一縷は女風呂へと入っていく。