戦後81年 ある隊長のこと
これは、私がある人から聞いたある男性のお話です。
お聞きしたその人は今も健在ですが、その男性は白黒の写真の中にいます。
それはまだ、戦時中でした。
男性の名前は――ここでは控えておきましょう。
その男性は、ある部隊を任された隊長でした。そして、お上の命令により、1945年8月6日8時15分、原爆が投下された土地へ出陣していました。
そこでどのような会話があったのかは、全く分からないそうです。記録にも残っていない。いえ、調べたこともないそうです。
ですが、一つだけ確かなことがあります。
その土地へ出陣していた部隊で生き残ったのは、その男性が率いた部隊のみだったということです。
そう、その男性はお上の命令に反し、その土地から引き上げたそうさな。
そして、次の日、その土地へ原爆が投下されたそうです。
その男性が率いていた部隊は、その男性を含め、原爆の影響では、たった一人も欠けなかったそうです。
故郷へ帰ってから世の中から当時どのような目で見られていたかは分かりません。好奇の目かもしれません。非国民と言われたかもしれません。
だって、生きて帰ってくるのは二の次だったわけですから。
そして、戦後、その男性は二人の息子と妻を残し、不治の病にかかり写真の中の人となりました。
その男性のことは、これ以上何も分からないのです。
ですが、戦後80年が経った今日でも、当時の部下だった方々のご子息の方がご挨拶に参られます。
そして、皆様口を揃えてこう言われます。
「あの人にに助けられました」
「あの人がいなければ自分たちは生まれていない」
そして、墓前に手を合わせ帰られるのです。これは、慣れた光景です。
決して、ある男性が行った行動を称え、英雄と呼ばせたいなんて思っておりません。ただ、そのような人がいたということだけ知っていただければ幸いです。
戦後80年という月日が流れ切りました。
一体何人の方々が当時のことを覚えていらっしゃるのでしょうか。
もちろん私も全く分かりません。この世に生まれてから20年も経っていないのですから。
しかし、今、現在私たちが生きているのには理由があります。
風化させないなんて言葉で表してよいことなのかわかりませんが、今を未来を、美しく輝き、己のやりたいことをやれるような世の中になってほしい。そう思うのです。
そうそう、忘れていました。
ある男性のお話をしてくださったのは、私の父です。
つまり、私は、そのある男性の曾孫なわけです。
いつもお菓子をくださってありがとうございます。皆様の未来がよいものになりますように。そう願っておしまいにさせていただきます。
では、また。




