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万象の碑銘(ひめい)  作者: ユーディ
第一章 泥濘(でいねい)の末裔たち
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第一章 第八部 黄土の防衛戦、希望の銀光

城壁。

それは、弱き者たちが理不尽な世界から身を護るために築き上げた、泥と石の防壁である。しかし、真の絶望が押し寄せた時、どれほど分厚い物理的な壁であっても、神話の暴力の前には紙切れ同然に打ち砕かれる。

その時、街を、背後の弱き命を護るのは何か。

それは石でも鉄でもない。死の恐怖を奥歯で噛み殺し、己の命を燃やしてその「穴」を埋めようとする、泥に塗れた人間の『意志』である。

長命種が嘲笑う短く脆い命。だが、その命が爆発的に燃え上がる瞬間の熱量は、時に数万年の歴史を持つ神木の奇跡すらも強引に引きずり出す。

「……急げ! 馬の腹が裂けても走らせろ! 街が、黄土こうどの街が保たねェぞ!!」


エンの血を吐くような絶叫が、荒野の乾いた風を引き裂いた。

エルフの聖域『銀葉の森』で神木の核を手に入れたレイたち三十名の『泥の部隊』は、不眠不休で馬を飛ばし、南西の辺境——彼らの故郷である黄土の街へと急行していた。


だが、地平線の彼方に見えてきた彼らの帰るべき場所は、すでに絶望の色に染まりきっていた。

天を突く版築はんちくの巨大な城壁は、あちこちが崩落して黒煙を上げている。そして何より異様なのは、その城壁を取り囲む「黒い海」だった。

数千、いや数万に及ぶ魔物と亜人の大群。

泥濘でいねいの王の瘴気に追われ、森から溢れ出した狂乱の獣たちが、冬を越すための食料と安全な土地を求めて、人間の街へと大津波のように押し寄せているのだ。


「冗談じゃねェ……! 俺たちが出発した時とは、桁が違うぞ! あれじゃまるで、大陸中の化け物が全部集まっちまってるみたいだ!」

ゴウが、手にした鉄張りの棍棒を震わせながら呻いた。

馬たちは魔物の放つ濃密な死の匂いと瘴気に怯え、泡を吹いてこれ以上前へ進もうとしない。


「馬はここで捨てる! ここからは『軽気けいき』で陣を駆け抜けるぞ!」

部隊の先頭を走っていた黎は、躊躇なく馬から飛び降りた。その胸元には、分厚い魔封じの布で何重にも包まれた『銀霊樹ぎんれいじゅの核』がしっかりと括り付けられている。


「黎くん! 南門の城壁が……! もう崩れそうよ!」

春華シュンカが悲鳴のように空を指差した。

見れば、最も激しい攻撃を受けている南門の城壁に、巨大な攻城槌こうじょうついのような丸太を抱えた『巨腕鬼きょわんき』と呼ばれる大型魔物の群れが、ドスンドスンと体当たりを繰り返している。人間が泥と藁を突き固めて作った誇り高き防壁が、悲鳴を上げてひび割れていく。


「南門から突入する。俺が先頭で道をこじ開ける! 燕と剛は両翼を護れ! 春華は俺の背中から離れるな!」

「了解だ、隊長殿! 久々に風の刃で肉を刻ませてもらうぜ!」

「おう! 俺の棍棒で、化け物どもの頭蓋骨を全部カチ割ってやる!」


三十名の泥の部隊は、巨大な魔物の海に向かって、一斉に吶喊とっかんを開始した。

圧倒的な数の暴力の背後から、たった三十の人間が突撃を仕掛けるなど、通常であれば自殺行為以外の何物でもない。だが、彼らの瞳に宿る熱は、神話の失敗作と対峙した地下神殿のあの日から、完全に別次元のものへと昇華していた。


「——道を開けろォォッ!!」


黎が丹田たんでんから『陽』の気を爆発させ、黒剣を抜き放った。

刃に刻まれた赤黒い波紋が、黎の気と共鳴して烈火のように燃え上がる。それは、亡きカク隊長が命を燃やして見せた『熱』の正統なる後継。


気功絶衝きこうぜっしょう・焔断ちッ!!」


黎が地を蹴り、群がっていた魔物たちの最後尾へと突っ込む。

黒い刃が横一文字に薙ぎ払われた瞬間、爆発的な熱波が真空の刃となって横に広がり、十数匹の下級魔物の胴体を一瞬で焼き切った。


「な……なんだ!? 背後から人間だと!?」

魔物たちを指揮していた狼牙族ろうがぞくの戦士が振り返った時には、すでに燕の双剣がその首を空高く舞い上げていた。

「よそ見してんじゃねェよ、犬っころ。ここは俺たちの庭だぜ!」


「どけェェッ! 押し潰すぞォ!」

剛が六十斤の鉄棍棒を大車輪のように振り回し、小型の魔物たちをボーリングのピンのように次々と弾き飛ばしていく。

彼ら三十人の突撃は、巨大な黒い海に突き立てられた一本の鋭い「焼け火箸」だった。圧倒的な気功の熱量と練度で、魔物の群れに赤い血の道を引き裂いていく。


「……見えろ、城壁の上の奴ら! 俺たちはここだ! 門を開けろ!!」

黎が黒剣に気を込め、天に向かって強烈な火柱のようなオーラを放ちながら叫んだ。


その頃。黄土の街の中央、防衛の頭脳である『統星楼とうせいろう』の最上階。

エン城主は、血走った眼で沙盤(さばん・作戦盤)を睨みつけていた。


「城主様! 南門の第三防衛線が突破されました! 守備隊の三割が壊滅、残る兵も気が枯渇し始めています!」

「西門には飛行型の魔物が群がり、いしゆみの矢が底を突きかけています! このままでは日没までも持ちません!」

伝令兵たちが、次々と絶望的な報告を投げ込んでくる。


炎は扇子を握りしめ、ギリッと奥歯を噛んだ。

(ここまでか……。やはり、魔法の結界を持たぬ我ら泥の種族では、狂乱した大陸の魔物すべてを食い止めることなど不可能なのか)

炎の頭脳は、すでに「街の南半分を切り捨て、油を撒いて火を放ち、魔物ごと焼き払って時間を稼ぐ」という非情な最終手段の計算を終えていた。だが、それを決断すれば、逃げ遅れた数千の人間の命が業火に消える。


「……城主様! 南門の外、敵の包囲網の背後から、猛烈な勢いでこちらへ向かって突進してくる小部隊がいます!」

望楼で監視していた将軍が、声をひっくり返して叫んだ。

「あの『気』の放ち方……あの異常な熱量は、間違いありません! 黎隊長率いる『泥の部隊』です! エルフの森から帰還しました!」


「……何だと!?」

炎は弾かれたように窓へ駆け寄り、南の空を見た。

どす黒い魔物の海を真っ二つに切り裂きながら、城門へと一直線に向かってくる赤い火の粉のような気の集団。その先頭で、黎の黒剣が陽炎のように熱を放っているのが見えた。


「生きて……戻りおったか、あの若造ども! 銀霊樹の核を手にして!」

炎の冷徹な瞳に、一瞬だけ抑えきれない歓喜の炎が灯った。


「全軍に告げよ! 南門の内扉をわずかに開け、泥の部隊を迎え入れろ! 弓兵は城壁から援護射撃! 何としても彼らが持ち帰った『結界の核』を、この統星楼まで届けさせるのだ!!」

炎の号令が銅鑼の音と共に街中に響き渡り、死に瀕していた守備隊の兵士たちの目に再び闘志の光が宿った。


「応ォォォォッ!! 開門!! 黎隊長を中へ入れろ!!」


ギギギギ……ッ!!

悲鳴を上げる南門の分厚い鉄扉が、わずかに内側へと開かれた。

その隙間を目指し、黎たちは魔物の死骸を踏み越えて最後の血路を駆け抜ける。


「入れ! 急げ!」

血だらけの守備隊長が叫ぶ中、黎、燕、剛、春華をはじめとする三十名が、雪崩れ込むようにして城壁の内側へと飛び込んだ。


「閉めろ! 扉を閉めろォ!」

ギリギリで鉄扉が閉じられ、太いかんぬきが下ろされる。外からは、獲物を逃した魔物たちの怒り狂う咆哮と、扉を打ち据える地響きが鳴り止まない。


「ハァッ……ハァッ……! 間に、合ったか……!」

黎は膝をつき、激しく肩で息をした。全身は返り血と泥で真っ黒に染まり、経脈は気の使いすぎで焼け焦げるように痛んでいる。


「黎! よく戻った!」

周囲の兵士たちが歓声を上げて集まってくる。彼らにとって、エルフの聖域から生還した黎たちは、すでに伝説の英雄と同義だった。


「休んでいる暇はない……! 炎城主はどこだ! 結界の核を持ってきた!」

黎が胸元の魔封じの布を叩くと、そこから微かに清浄な銀色の光が漏れ出した。その神聖な光を見ただけで、血の匂いに当てられていた兵士たちの心がスッと鎮まり、痛みが和らいでいく。


「城主様は中央の統星楼だ! この核を最上階の『祭壇』に安置し、炎城主の気功陣と接続すれば、この街全体を覆う浄化の結界が起動するはずだ!」

守備隊長が統星楼の塔を指差して叫ぶ。


「わかった。燕、剛! お前たち二人で、春華を護りながらこの核を炎城主の元へ走れ!」

黎は胸元から布包みを取り外し、それを剛の太い腕に強引に押し付けた。


「おい黎! てめェはどうする気だ!」

燕が血相を変えて黎の胸ぐらを掴んだ。


黎は、今まさにひび割れ、今にも崩壊しそうな南門の鉄扉を振り返った。

ドゴォォォンッ!! メキメキメキィィッ!!


「この扉は、核を起動するまでもたない。もしここで扉が破られれば、結界が張られる前に街路に魔物が雪崩れ込み、数万人が食い殺される」

黎は黒剣の柄を握り直し、全身から再び赤黒い『陽』の気を噴き上がらせた。


「俺がここに残る。城壁の守備隊と共に、結界が完成するまでこの門を死守する。……行け、剛! 燕! 霍隊長が繋いだ命を、ここで終わらせるな!!」


黎の決死の覚悟を宿した瞳を見て、燕はギリッと唇を噛み切り、剛の背中を強く叩いた。

「……死ぬなよ、バカ隊長! 結界が張られたら、一番に迎えに来てやる!」

「黎くん、気脈を使いすぎないで! お願いだから!」

春華の悲痛な叫びを背に受けながら、剛と燕は統星楼へ向かって弾かれたように走り出した。


黎が扉の方へ向き直った、まさにその瞬間だった。


ゴオォォォォォォンッッ!!!


南門の巨大な鉄扉が、爆発したかのように内側へと吹き飛んだ。

「うわぁぁぁッ!?」

扉を支えていた数十人の守備隊の兵士たちが、紙くずのように宙を舞い、周囲の石造りの家屋に激突する。


濛々たる土埃と黒煙の向こうから、姿を現したのはただの魔物ではなかった。

体長七メートル。全身が岩のような硬い筋肉と腐敗した泥で覆われ、四本の腕を持つ異形の巨人——泥濘の王の瘴気を最も濃く吸い込んだ先兵、『瘴気しょうき巨猿きょえん』であった。


「グオォォォォォォッ!!」

巨猿が咆哮を上げると、その口から放たれた瘴気だけで、周囲の建物の木材が腐り落ち、石畳が黒く変色していく。


「……ヒッ、ば、化け物……!」

生き残った兵士たちが腰を抜かし、槍を取り落とす。人間が束になっても敵う相手ではない。あれが街路を歩けば、文字通り全てが踏み潰される。


だが、その絶望の巨体の前に、たった一人、泥だらけの青年が立ちはだかった。

黎である。

彼は、震える足に無理やり気を流し込んで大地を踏みしめ、切っ先を巨猿の顔面へと真っ直ぐに向けた。


「……来いよ、泥の王のパシリが」

黎の黒剣の刃紋が、まるで生き物のように赤黒く脈打つ。


結界の起動まで、おそらく数分。

魔法を持たぬ人間の意志が、圧倒的な暴力を前にどこまで命を燃やせるのか。

運命を懸けた、狂気の防衛戦の幕が切って落とされた。


ゴオォォォォォォンッッ!!!


南門の巨大な鉄扉が内側へと吹き飛び、濛々たる土埃の向こうから、体長七メートルの異形の巨人——『瘴気しょうき巨猿きょえん』がその姿を現した。

四本の太い腕が、周囲の石造りの家屋を豆腐のように粉砕していく。


「……来いよ、泥の王のパシリが」


レイは、崩れゆく瓦礫の中でただ一人、黒剣の切っ先を巨猿の顔面へと真っ直ぐに向けた。

逃げ惑う人々の悲鳴が背後から聞こえる。結界の核を持ったゴウエン統星楼とうせいろうの最上階に到達し、エン城主がそれを起動するまで、おそらくあと数分。

その数分間、この圧倒的な暴力から一本の防衛線を死守する。それが、黎が己に課した絶対の使命だった。


「グオォォォォォォッ!!」

巨猿が黎という小さな障害物を認識し、丸太のような右上の腕を振り下ろした。

空気を叩き潰すような風圧。まともに受ければ、鉄の盾ごと肉片に変わる。


「はぁぁッ!」

黎は迎撃せず、地を滑るように横へ跳躍した。

ズゴォォン! と、黎が先ほどまで立っていた石畳がクレーターのように抉れ、泥と石の破片が散弾となって黎の頬を切り裂く。


(速い……! あの巨体で、この速度か!)

黎は体勢を立て直す間もなく、巨猿の左下の腕による横薙ぎの払いを、黒剣の腹で受け流した。


ガギィィィンッ!!


「ぐ、ああぁッ!」

受け流したにもかかわらず、黎の体は紙屑のように十メートル以上も弾き飛ばされ、廃屋の土壁をぶち抜いて転がった。全身の骨が悲鳴を上げ、口からどす黒い血が吐き出される。


「黎隊長ォォッ!!」

後方で腰を抜かしていた守備隊の兵士たちが絶叫する。


「来るな……! 下がってろ!」

黎は瓦礫を押し除け、血反吐を吐きながらも再び立ち上がった。

足が震え、視界がぼやける。だが、彼の手にある気鍛きたんの黒剣だけは、主の熱を吸い上げて煌々と赤黒い光を放っていた。


カク隊長の熱……無駄にするかよ!)

黎は丹田たんでんの底から、残された『陽』の気の全てを絞り出した。経脈が焼き切れるような激痛が全身を走るが、それを意志の力でねじ伏せる。


「おおおおぉぉぉッ!!」

黎は自ら巨猿の懐へと飛び込んだ。四本の腕が乱れ打つ死の暴風雨の中、燕から学んだ『軽気けいき』の足捌きで紙一重の回避を繰り返し、巨猿の分厚い胸板へと肉薄する。


気功絶衝きこうぜっしょう連牙れんが!!」


赤黒い光の軌跡が、巨猿の胸元に三連撃の斬撃を叩き込んだ。

「ギ、ギャアァァッ!?」

陽の気による灼熱の刃が、瘴気に守られた硬い皮膚を切り裂き、腐った血を噴き出させる。

だが、致命傷には程遠い。逆に痛みに激昂した巨猿は、四本の腕を地面に叩きつけ、巨大な口を大きく開いた。


その口の奥底で、ドロドロの黒い瘴気が超高密度に圧縮されていく。


(マズい……! 瘴気のブレスか!)

黎は瞬時に悟った。あれを放たれれば、黎だけでなく、背後にいる避難し遅れた民衆や兵士たちまで、数百メートルの扇状に全てが溶かされて消滅する。

避けるわけにはいかない。


「……抜かせるかよォォッ!!」

黎は逃げることをやめ、巨猿の正面に仁王立ちになり、黒剣を両手で上段に構えた。

命の燃料を全て剣に注ぎ込む。エルフの泉で神木を沸騰させた、あの爆発的な熱量を再び呼び起こす。


同じ頃。黄土の街の中央、統星楼の最上階。


「城主様ァァッ!! 持ってきたぜ、エルフの木っ端を!!」

剛が、大扉を蹴り破るようにして軍議の間へ飛び込んできた。その後ろから、燕と春華が転がり込む。


「遅いぞ、若造ども! 黎はどうした!」

エン城主が、沙盤の奥に用意された気功増幅の祭壇の前に立ち、鋭く問うた。


「黎は……南門で、化け物の足止めを一人でやってます! 早く、こいつを起動してやってくれ!」

剛が、胸に抱えていた『銀霊樹の核』を炎の手に強引に押し付けた。


炎は、純白の光を放つその結晶を受け取ると、冷徹な仮面をかなぐり捨て、額に大粒の汗を浮かべた。

「エルフの魔力結晶を、魔法を持たぬ人間の『気』で強制起動させる。理屈の上では可能だが、前例のない力技だ……! 燕、剛、春華! お前たちの気も全て私に貸せ! 陣の四方に立て!」


「了解だ! 俺たちの命、全部使い切ってくれ!」

燕たちが祭壇の四方に配置され、中央の炎へ向けて全力で気を流し込む。

炎城主は、己の天才的な気功の制御力をもって、四人分の人間の気(熱)を束ね、それを銀霊樹の核へと一気に叩き込んだ。


『——起動せよ! 高貴なる森の遺産よ! 泥の意地を食らい、我らが盾となれ!!』


炎の絶叫と共に、統星楼の最上階から、夜空を焦がすような凄まじい光の柱が立ち昇った。


「オオォォォォォォォォッ!!」


南門。瘴気の巨猿の口から、死の黒い濁流ブレスが放たれた。

それは、あらゆる生命を泥へと還す絶対的な腐食の波。


「……はぁぁぁぁぁッ!!」

黎は一歩も退かず、極限まで『陽』の気を圧縮した黒剣を、迫り来る黒い濁流のど真ん中へと真っ向から振り下ろした。


ズドォォォォォォォォォンッ!!!


黎の放った赤黒い熱の斬撃が、瘴気のブレスを正面から真っ二つに切り裂く。

だが、その圧倒的な質量差に、黎の腕の骨がミシミシと悲鳴を上げ、皮膚が裂けて鮮血が噴き出す。

(足りない……! このままじゃ、押し潰される……ッ!)


黎の視界が闇に染まりかけた、その絶対絶命の刹那。


カッ……!!!


黎の後方、街の中央にそびえる統星楼から、真昼の太陽を思わせる、いや、それよりも遥かに清浄で絶対的な『純白の銀光』が爆発的にドーム状に広がってきた。


それは、神木『銀霊樹』の浄化の結界。

泥濘の王の瘴気と対極に位置する、星の生命力そのもの。


銀色の光のドームは、街の建物をすり抜け、黎の背後から凄まじい速度で到達した。

光が黎の体を通り抜けた瞬間、彼の全身を苛んでいた瘴気の痛みが嘘のように消え去る。そして、その光は黎の放っていた赤黒い気の刃と融合し、信じられないほどの推進力を生み出した。


「な……!?」

巨猿が、迫り来る銀色の光の壁に恐怖し、ブレスを止めて後ずさろうとした。


「遅えよ……!」

黎は最後の力を振り絞り、銀光を纏った黒剣を振り抜いた。

浄化の光を帯びた斬撃が、巨猿の巨体を縦に一刀両断する。


「ギ、ガァァァァァァッ……!!」

巨猿の悲鳴は、広がり続ける銀色の結界の光の中に溶けていった。

結界のドームは南門を越え、城壁の外に群がっていた数万の魔物と亜人の大軍を飲み込んでいく。


「グォォォッ!」「ギャアァァァッ!」

光に触れた瞬間、泥濘の王の瘴気に侵されていた魔物たちは、まるで太陽光を浴びた氷のようにジュウゥゥと音を立てて浄化され、灰となって消滅していく。

瘴気を持たない亜人たちは、その神聖な光の絶対的な「拒絶」の力に恐れをなし、完全に戦意を喪失して一目散に荒野の彼方へと逃げ出していった。


黄土の街を覆っていた絶望の黒雲が晴れ、満天の星空の下、街全体を直径数キロに及ぶ美しい『半球状の銀色の結界』が覆い尽くしたのである。


「……終わっ、た……」


銀色の光の粒が舞い散る中、黎はポツリと呟き、その場に崩れ落ちた。

黒剣がカランと音を立てて石畳に転がる。

右腕の骨は砕け、経脈はボロボロに焼き切れている。もはや、指一本動かす力も残っていなかった。


「黎隊長ォォォッ!!」

「やった! 街が、俺たちが助かったんだ!!」

城壁の陰で震えていた兵士たちや民衆が、歓喜の涙を流しながら黎の元へと殺到する。


黎は薄れゆく意識の中で、夜空を覆う美しい銀色の結界を見上げた。

(霍隊長……見えますか。俺たち泥の人間が……神話の化け物から、この街を護り抜きましたよ……)


「黎ェェェッ!!」

遠くから、燕と剛、そして春華が、なりふり構わず涙を流しながら走ってくるのが見えた。

遠くから、燕と剛、そして春華が、なりふり構わず涙を流しながら走ってくるのが見えた。


黎の口元に、微かな笑みが浮かぶ。

彼が点けた火は、黄土の街を、そして人間の歴史を確かに未来へと繋いだのだ。


こうして、泥の末裔たちによる第一世代の最も過酷な防衛戦は、完全なる勝利をもって幕を閉じたのである。

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